第十六話 内見の違和感

 はい、内覧に付き合うことになりました。だって抵抗は無駄だから。


 候補の物件は四つもあった。いずれも新横浜駅から徒歩で五~十分以内の好立地に建つ賃貸マンションで、間取りは1LDK。それぞれ広さに多少の差はあるが、平均して五十㎡前後と言ったところだった。六~七帖の個室に、十帖ほどのリビングダイニング、三帖くらいのキッチン。ウォークインクローゼットが付いている物件もあった。築年数はバラバラ。家賃は管理費込みで十万円から十三万円台、最も高いもので約十七万円。警部クラスの平均年収は七百万円台らしいし、ボーナスを差し引いた一ヶ月の手取り収入はおそらく四十万円台の半ばくらいだろうから、最高額の物件はともかく、他ならまあ余裕ってところだろう。

 その四件すべてを内覧したが、正直な感想を言えば、どれも「うーん、悪くはないんだけど……」って感じのものばかりだった。

 もちろん、住環境における好みは人それぞれだし、自分のようにそもそも選択肢のない寮生活を送っている身としては住む部屋に対するこだわりなどたいしてなかったから、1LDKでそれなりの広さがあって、トイレと浴室が分かれており、駅近で、勤務先にもだいたい三十分以内で行けるどの物件も文句のつけようがないはずなのだが、なぜだろう、どれも「いい! 気に入った!」とはならなかった。

 例えば、警部がこれらのどの物件にしろ既に住んでいて、「ここがわたしの部屋よ」と紹介されたのなら、迷いなく「いいですね。広さもあるし、便利だし」と答えるだろう。だがそうでない現状では、どうしても「なんか、イマイチ」という率直な感想を抱いてしまうのだ。


 なぜ、そう思ってしまうのか。


 最初はピンと来なかったけれど、すべての内覧を終えてからあらためて考えてみた。すると、何となくだがじんわりと分かってきた。


 悪くはない。だけど、警部が住むとなると――


 そして、ひょっとすると芹沢巡査部長も、この違和感に気づいているのではないかと思った。

 警部はこれらの候補物件について巡査部長に報告しているらしいし、彼もおそらくそれらをネット等で調べてはいるだろう。それで、どうにも違和感あるいは不満を抱いて、けれども実際に見たわけではない上に、本人曰く「俺の言えた義理でもねえ」ということなので、些細な難癖をつけて遠回しに反対しているんじゃないのか。

 ああ、答え合わせをしたい。自分がこれらの物件について引っかかっていることと、巡査部長が抱いているであろう不満が同じなのかどうか。

 でもまぁ、いずれにせよ自分はこの件についてはさほど踏み込むつもりはない。決めるのは警部だし、巡査部長だって、どうやらそこは一歩引いているようだし。警部の思惑を知ってか知らずかは別として――


「――ね、どう思った?」

 最後の物件を見終えたあと、車の中で警部が訊いてきた。

「え? あ、まぁ――」

 言葉を濁していると、警部は小さくため息をついた。

「あ、すいません。はっきりしなくて」

「いいのよ。結局、決めるのはわたしなんだもの。さんざん引きずりまわしといて言うのは狡いけど」

 そうだよ、今さらだよと思いながら、手に持っていた物件の資料に視線を落として訊いた。

「警部がこれらの物件を選ぶ際にこだわった条件って、何ですか」

「駅近。駐車場有。1LDK以上」警部は即答した。「あと、もろもろの規則が緩め」

「規則が緩め? どういうことですか」

「もちろん、あたりまえの規則は厳守すべきよ。ごみ出しのルールとか、駐車場やエレベーター、廊下などの共有スペースの使用マナーとか、騒音対策とか。でもときどきあるって言うじゃない。管理人がて、勝手に決めたルールをあれこれと強要したり、帰宅時間を見張ってたりっていうの。ああいうのは却下ってこと」

「レディースマンションだと今でもそういうのあるって聞きますよね」

「レディースマンションはダメ。女性しか住んでませんよって公表してるのが、防犯上かえって良くない」

「ですね」

「こういう仕事してると、帰宅が夜中になるのは当たり前だし、逆に夜中に出勤することだってあるじゃない」

「そのことですけど、警部はキャリアなんだから、そこまでする必要は――」

「何それ、どう言うこと?」

「すいません、失言でした」ソッコー頭を下げた。

「まだそんなこと言ってるの? 呆れちゃう」

 警部はぷいっとむくれて顎を上げた。こっちは黙ってもう一度頭を下げた。そのタイミングと警部が赤信号でブレーキを踏んだタイミングが合って、ガクッと前につんのめった。

「とにかく、極力自由に、余計な制約無しに生活できるって言うのが、部屋選びの四つ目の条件」

「なるほど」


 ――やはり自分の抱いた違和感はその条件のせいか。


「で、それが?」

「いやあの、ちょっと気になったもので」

「なぜ?」警部は振り返った。

「……確か、芹沢さんもこれらの物件について何かとケチをつけてくるって、この前おっしゃってましたよね」

「……え? うん……言ったけど」

「それが何でかなぁって、ちょっと思って。それで」

「関係ないじゃない。住むのはわたしなんだから」

 警部は切って捨てるように言った。まずい、地雷を踏んだかな。だけど、そう言うなら何で内覧に付き合えって言って来たのさ。

「だったら、ボクに訊くのも違うんじゃないですか」

「……まぁ、そうだけど」

「独り暮らしは、芹沢さんがこっちに来たときのことを考えてのことだって、警部はおっしゃってましたよね」

「……うん」

「それなら、一度芹沢さんにも物件を見てもらって、どうして難癖をつけるのかの理由を訊いてみたらどうですか。仕事が忙しくてそのスケジュールが組めないんだったら、急いで今決めなくても」

「でも――」

「すいません。ボクはもう」とまた頭を下げた。「失礼を承知で言いますけど、これ以上付き合わされるのは――その、勘弁してもらえますか」

 警部はハッとしたように眉を上げると、すぐに力なく頷いた。

「……ごめんなさい」

「いえ、こちらこそお役に立てず申し訳ありません」

 ようやく信号が青に変わった。警部は車を発進させた。


 それから交差点を三つ越えたところで、警部はしみじみと言った。

「……わたし、あなたに甘えすぎてるわね」

「今頃ですか?」造り笑いを浮かべて後頭部を掻いた。「だけど、ボクに芹沢さんの代わりはムリですよ?」

「そんなこと思ってないわ」

「はい。分かってますよ」

「あなたは、その――わたしを理解しようとしてくれる、信頼のおける部下って言うか、頼りがいのある同僚って言うか――」

「やめてください、今さら持ち上げるのは」

「本当のことよ。警察官になって初めてかもしれないわ。同じ職場でそう思える人物に出会ったの」

 いや、マジでやめてほしい。そんなわけないんだから。けどまあここは受け入れておいた方が話を収めやすいか。

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

「イヤね。茶化して」警部は口元を歪めた。

「とんでもない。喜んでますよ」

「本当なのよ。あなたは信頼できるわ」

「だったら――ね。仕事に戻りませんか」

「……そうね」

 警部はベソをかいたような笑みを浮かべた。


 ――マロンちゃんの住む部屋って、どんなところなんだろ。


 膝に置いた物件の資料を眺めながら、突然そんな思いが胸を過った。それと同時に、「あなたに甘えすぎてるわね」と言う、今までなら確実に心がざわついていた警部の言葉に、そうはならなかったさっきの自分に少し驚いていた。


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