第十五話 まったり捜査会議 

 そーだよすっかり忘れてたよ、この人のめんどくささを。


 昨日、仕事を終えてから今朝の出勤までのあいだに、自分を取り巻く状況に関していろんなことがそこそこ凝縮されて起こり、心境の前向きな変化なんてのも味わってたもんだから、正直、職場でのいろんな煩わしさのことなど頭の隅っこにすら浮かんでこなかった。だから、刑事部屋に入って、上席で小難しい顔をして何やら書類とにらめっこしている警部を見た途端、さっきの思いがふっと浮かんでしまった。今日はもういつもの、ちょっと(いやかなり)わがままで手厳しい仕事モードに切り替えてくれてると有り難いんだけど。

「……おはようございます」

「おはよう」

 警部は書類に目を落としたまま言った。良かった。口調は普段通りに戻っている。

 そして、席に着いてリュックを下ろしたところで早速「二宮くん」と呼ばれた。

「あ、はい」

「出かけるわよ。用意して」

 警部は立ち上がってバッグを肩に掛け、歩きながら車の鍵をかざした。

「あ、えっと……」

 視線をデスクの係長に移すと、係長は黙ったまま、一度だけ首を振った。早く行け、と言う意味だ。

 分かりましたよ。もはやいちいち許可を求めて来るなってことなんだな。そのかわり、彼女が暴走して何かあったときには責任取ってくれよ。

 下ろしたリュックを再び背負い、警部の後を追った。


 駐車場に着くと、一番奥に停めてある捜査車両ではない車の前で警部が待っていた。あずき色とベージュのツートーンのローバーミニ、警部の愛車だ。

「え、それで行くんですか」

「ええ、ちょっといろいろ行きたいから」

「いろいろ?」

「いいから。早く乗って」

 警部は言うと運転席のドアを開けて乗り込んだ。仕方なく助手席側に回る。

「いろいろ行くって――」

「いろいろよ。もちろん最優先事項は仕事。あとちょっと――私用にも付き合って」

「何ですかそれ」警部を見た。「……憂鬱うぅ……」

「だから、仕事が一番って言ってるじゃ――」

「優先順位は承知しました。だったら割合の方は?」

「……半々」

「それのどこが‟ちょっと”なんですか」思わずため息が出た。「……まぁいいです。警部に抵抗しても無駄なんだし」

「そういうこと」

 警部はサイドブレーキを解いてハンドルを切った。



「――いいんですか、外に出ていきなりカフェでおサボりなんて」

 新横浜駅から徒歩五分ほどのコーヒーショップでコーヒーとモーニングセットを注文したあと、スマホをいじっている警部に言った。「しかもわざわざコインパーキングに停めてまで」

「サボってなんかいないわ」警部は平然と言った。「捜査会議よ。わたしと二宮くんで」

「モノは言いようですね」

「だって、状況に変化がない今は、他の連中とダラダラ会議してても仕方ないもの。会議はそれぞれのコンビできっちりやって、全体では報告で充分。極めて合理的よ」

「そうかな。同じ事件を追っている以上、事件に対する認識や情報の全員での共有は大事だと思いますけど」

「だから、それは報告で充分じゃない」警部は視線を上げた。「あなただって長い会議は嫌いでしょ?」

「……まぁ、みんな警部と同じ考えならいいんですけど」

 どうかしらね、という感じに肩をすくめて、警部はいつものシステム手帳を取り出した。

「――最初の事件が起きたのが二ヶ月ちょっと前。それからだいたい十日から二週間おきに四件続き、最後は十五日前。ここへ来て犯人の動きが止まった理由は何なのか」

「もう、やり切ったんですかね」

「二勝三敗で?」警部は首を傾げてこちらを見た。「自分から勝負を挑んでおいて、負け越したまま終わる?」

「本当に腕試しだったのかどうか分からないじゃないですか。普通に襲うだけじゃつまらないから、ちょっとスリルを味わいたいって言うか」

「だとしたら、一度でも返り討ちにあったら、その時点でやめない?」

「まあ、そうですね」

「どっちにしろ、わざわざそんなリスクを負うことがどうしても解せないのよ。相手にも武器を渡すなんて、通り魔がそんなことする?」

「警部はずっと言ってますね。ただの通り魔なんかじゃないって」

「ええ。絶対違うわよ」

 そこへ注文したメニューが運ばれてきた。コーヒーカップを顔に近づけてと、警部が興味深そうに見つめてきた。

「な、なんですか」

「二宮くんって、コーヒーきなのね」

「あ、ええ」ちょっと照れ臭かった。「一日に六、七杯は飲みますね」

「こだわりとかあるの?」

「いえ、特には。専門店の本格的なのも飲みますし、ファストフード店の百円のやつも好きですよ」

「カフェイン中毒ね」

 警部はにっこり笑ってモーニングのフレンチトーストを頬張った。味わいながら満足げにうんうんと頷く様子が、破壊的に可愛い。もう、調子狂うなぁ。立て直さないと。

「それで、犯人の動きの件ですけど」

「洗い直す必要があるわ」と警部は真顔に戻った。「この十五日間、犯行が途絶えてるのには理由があるはずよ。それに迫ることができたら、きっと犯人像も明らかになると思うの」

「でもどうやって――」

「何度も言うけど、わたしはこれがいわゆる普通の通り魔だとは思ってない。そう見えるだけで、違うのよ。襲う相手は、無作為に選んだんじゃなくて、あえて狙った」

「……通り魔に見える連続傷害事件」

「ええ。だから、相手にも武器を渡して勝負を挑んだことにも犯人なりの意味がある」

「と言うことはつまり、被害者を洗い直すんですね」

「そう。一通り調べて共通点はないって結論が出てるけど、それはあくまで連続通り魔の被害者としての共通点という見方に過ぎない。本当のつながりはきっとあるはずよ。見逃してるんだわ」

「でも、簡単じゃないですよ。それを見つけるのは。時間がかかるだろうし、あくまで通り魔だという一係うちの捜査方針にも反してる」

「分かってるわよ。だからって何もしないわけにはいかない。被害者五人のプロフィール、行動履歴、交友関係、一つ一つ見直して、場合によってはもう一度話を聞いて、犯人に狙われた共通点を見つけるのよ」

 そう力強く言った警部を眺めて、ついため息が出た。

「……調べてみましょうか。

「ダメ。必要ない」警部は毅然とかぶりを振った。「違法に集めた証拠では公判が維持できないどころか――」

「逆に糾弾される」

「……分かってるのなら言わない」警部はため息をついて睨んできた。「怒るわよ」

「すいません、調子に乗っちゃいました」あえて笑った。

 もう、反省しなさい、と警部は頬を膨らませ、カフェラテを飲んだ。

「でも、だったらどうして今、新横浜ここへ来たんですか」

「あ、それ?」

 警部は一気に表情を緩めた。「私用の方でね。新横浜ここに用があったから」

 そして警部は今度は、数十枚はあろうかという書類の挟まったクリアファイルを鞄から出してきてテーブルに置いた。刑事部屋で見ていたのはこれか。

「え、なにそれ」

の資料」

「物件?」と、言った瞬間にピンときた。「あ――」

 警部が独り暮らしのために借りようとしている賃貸物件のことだ。

「いくつかの候補を、もう一度内覧しようと思うの。ね、付き合ってくれない?」

「嫌ですよ」

「そう言わないで。わたしでは決めかねてるのを、視点を変えて――そう、男性目線で見て判断してほしいの」

「は? ボクに芹沢さんの代弁は出来ませんよ」

「そういう意味じゃないわ。じゃ、男性目線って言うのは撤回する。性別に関係なく、あくまで第三者としての冷静な意見が欲しいのよ」

「だったら、女友達とかに付き合ってもらえばいいじゃないですか」

「それだとなかなか時間が取れないのよ。ほらわたし、こんな仕事してるから」

 そうは言っても、どう考えても芹沢巡査部長の代わりとしか思えないんだけど。しかも昨日と今朝話したばかりだから、かなり抵抗がある。

「わたしに抵抗するのは無駄なんでしょ?」

「……はい。抵抗があります」

「え?」

 わーやべ、間違えた。「あ、いや、違います。抵抗しても無駄ですね、はい、はい。確かに」

「……大丈夫? 二宮くん」

「と、とりあえずその資料見せてくださいよ。内覧に付き合うかどうかはそれから決めます」

 そう言ってコーヒーカップを口元に運んだが、既に飲み終えていて空だったのに気づいた。「お代わり頼もうかな。警部はどうですか」

「うーんと、だったら何かデザート――」

「まだ食べるんかぃっ」

「だって、母が同窓会旅行で留守にしてて、今日は朝食抜きだったのよ」

 警部はメニューを開きながら言った。「明日の夜帰ってくるから、明日の朝も何とかしないと」

「……大丈夫ですか警部。朝食に困ってるようじゃ、独り暮らしなんて無理ですよ」

「そのときはそのときよ。何とかなるでしょ」と警部は顔を上げ、メニューを閉じた。「スフレパンケーキとブレンドで」

「……部屋で一人、飢死とかしないでくださいよ」

「わたしに限ってはありえないわね」警部はふふんと笑った。

 スタッフを呼んで、追加注文をした。他のテーブルの客が食べているパンケーキを目を輝かせて眺めている警部を見て、ふと思いついた。

「じゃあ警部、ちょっと訊きますけど」

「なに?」

 警部はキラキラした瞳で振り返った。もう、いちいちドキッとする。

「朝食にバゲットパンが一本あるとしたら、どうやって食べますか」

「何それ、心理テスト?」

「いえ、違います。警部の独り暮らしスキルを測ってるんです」

 ふん、と警部は不服そうに肩をすくめた。「あるのはパンだけ? 他の食材や調味料の類いは使用不可?」

「いえ、何でも使ってOKです」

「とは言うものの……普通に切って、バターかガーリックオイルを付けて食べるけど」

「なるほど」にやりと笑った。「まあ、普通ですよね」

「何よそれ。だから?」警部は眉をひそめた。

「ひとつ、美味しい食べ方をご伝授しますよ。リンゴは剥けますか?」

「剥くだけならね。皮を一本に繋げるとかは無理だけど」

「その必要はありません。皮を剥いたらスライスしてバゲットに乗せて、メイプルシロップを掛けてトーストするんです」

「……確かに美味しそう」警部はうんと頷いた。「二宮くんのお気に入りレシピ?」

「いえ、ボクは作って食べたことはありません。どっちかって言うと朝はご飯党なんで」

「なんだ。じゃあ味の検証はできてないんじゃん」

「はい」

「……まあね。朝ごはんに家で作るにはちょっと気取ってるわよね」

「そう思いますか」へーえ。

「時間のない朝に、そんなチャラいもん作ってられる? わたしなら休日のブランチ要員にするわね」


 ――あ、何だか俺、今すごく意地の悪いことやっちゃってるんじゃ――意図してじゃないけど。


「あの――」

「ただ、美味しそうではある。これは大事」

「――あ、ええ」

「それと、リンゴとメイプルシロップなんて、栄養価も充分っぽいわ」

「そうですね」

「チャラそうに見えて、意外と機能的なのかもね」

 そう言うと警部は満足そうに頷いた。「今度作ってみるわ。時間のあるときに」

「きっと警部は気に入ると思いますよ」


 そうなんですよ。あなたの彼氏はまさにそういう人なんですよと思いながら、ちょっと悔しくもあり、だけどかなり清々しくもあった。


 やっぱり、お似合いのカップルなんだな。

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