第十二話 深夜ちょっと前、迷走気味の電話

《――あれ、俺あんたに番号教えたっけ》

 電話の向こうの声は、相変わらず自信たっぷり、余裕たっぷり、色気たっぷりで、それがもうこちらには嫌味たっぷりに感じられた。

「……またそんなことを」ため息まじりに答えた。「京都で何度も連絡取り合ったじゃないですか。最後はちゃんと登録してくれてましたよ」

《だっけな》

「だからこうやってコールバックしてくれたんでしょ。そうじゃなきゃあなたは知らない番号は平然と無視する人だ」

《いきなり突っかかるねぇ。無視どころかわざわざかけ直してやったのに》

 相手はからりと笑い、それからすっと静かな口調に変えて訊いてきた。《――で? 何かあったのか》

「えっ……」

《怯んでんじゃねえよ。何かないと俺に電話なんか寄越さねえだろ――しかもまぁまぁの時間だぜ?》

 壁掛け時計を見上げると、十一時を少し回っていた。「あ、すいません」

《まぁいいさそれは。だからとっとと用件を話せ》


 芹沢貴志たかし巡査部長――大阪府警西天満にしてんま署の刑事にして、超ド級のイケメン。一条警部の遠距離恋愛の相手だ。去年の暮れ、ひょんなことからある人物を探して二日間行動を共にした。同い年だが、何かにつけて自分との“格の違い”を思い知らされる腹立たしい人物だ。なのに、そんな相手に自分から電話をかけた俺って――ついさっきまでマロンちゃんの声が聞きたいって思ってたはずなのに――何なんだよまったく。自室のベッドに寝転んで、ストロング缶片手になぜこうなってしまったのだろうと少し後悔していた。でももう遅い。


「あの、実は――」

《あぁちょっと待った! 俺とみちるのことだったら却下だからな。大きなお世話だ》 

「違いますよ。あなたにそんな電話したら警部に殺されます」

《おう、まだ死にたくねえもんな》

「って言うか、何かあったんですか? わざわざそんなこと言うなんて」しらばっくれて訊いてやった。

《やーなんか分かんねえんだけどさ。最近やたら機嫌わりぃんだよ》

 言うのかよフツーに。しかも警部がなぜ怒ってるか全然気づいてない!

「そうなんですか。それはボクとしても困りますね。仕事に支障が出るかも知れない」もう思いっきり出てますけどね。

《あいつはそんなタイプじゃねえよ》

 そんなタイプなんです! あんた知らないの? あの人めちゃくちゃ恋愛体質ですよ!

「とにかく、警部には関係のない話で――」

《ふうん。だったらいいけど》巡査部長は短いため息をついた。《チョコがどうとかこうとか、スゲー怒ってたし》

 あ、そこは伝わってるんだ。そういえば――

「ちなみにちょっと伺いますけど、チョコっていくつもらったんですか?」

《えぇ? そんなの数えてねえよ》

「だいたいの数くらいわかるでしょ。百とか二百とか」

《うん、さすがにそんなにもらってないよ二宮くん。俺アイドルじゃないんだから――その半分くらい?》

「二百の?」

《いや、百の。括弧カッコ義理チョコは除く括弧閉じるだけど》

「……それでもすごい」思わずため息が出た。「で、それどうしたんですか? まさか全部食べるわけにもいかないですよね」

《訊いてどうすんのよ? どうせまた勝手に妬んだり僻んだりするんだろ?『イケメンはいいよなぁー』とか、『俺なんか全然だったよー』とか。知らねえっての》

「純粋な好奇心ですよ」

《ノーコメントだね。また逆恨みされたら迷惑だし、あいつにチクられても困る》

「分かりましたよ。もはや羨ましいと思わなくなってきました。腹は立つけど」

《それも知らねえよ。ったく、勝手に敵視しやがって。俺みたいになれるもんならなってみろってんだ》

「わー、やっぱすごいわ」もらったチョコをごみ箱に捨てるっていうのに匹敵する暴言。「いつか刺されますよ」

《いいから早く用件を言えよ。切るぜ》

「いや、待って待って。あの、実はちょっと――相談があって」

《えっ相談? なんだよ俺、相談してくる相手にいろいろ文句言われてたわけ?》

「確かに失礼でした。謝ります」ベッドの上で正座をし、きちんと頭を下げた。

《まいいけど。で、それ、長くなる?》

「要約して話します。手短に、簡潔に」

《お願いしますよぉ?》

 軽い口調が京都の二日間を思い出させた。そう言えばこの人はあのときもずっとそうだった。へらへら、チャラチャラと軽薄に振舞いながらも、実際のところは、その美しいかおの下に秘めた誠実さと狂気を刹那にたぎらせ、自分のやれること――いや、やるべきことを迷いなく真っ直ぐに積み上げていく。そう、確かあのときこの人は言っていた。「俺は自分を使い切って死にたいんだ」と。そしてその信念通りの行動を目の当たりにして、自分はあのとき、己の未熟さと無力さを思い知ったんだ。

 そのときの経験が今のこの状況を呼んだのかも知れない。遠藤さん――今夜、彼女の要望を受け入れたものの、やっぱりどうしたものかともやもやした気持ちを持て余したまま帰って来て、自分一人では決心がつかなくて、誰かに話を聞いてもらいたいと思った。そこで、もう何年もネット上で繋がっている、共通の趣味、共通のの、それはそれで信頼のおける仲間よりも、たった二日間顔を合わせただけのこの人に電話をかけたのだ。


 上手く要約できたかは分からないけど、遠藤さんの一件をすべて話した。合間に彼女からチョコを受け取ったことを冷やかされたり、彼女が美人かどうかを訊かれたりしたが、あとはだいたい黙って聞いてくれていた。寝てるのかと思ったくらいだ。

 そして、一通り話し終えてまず彼が言った言葉は――

《そんなのほっときゃいいだろ。めんどくせえ女だな》

 そっちのパターンかぁ! 確かにそれもこの人の言いそうなことだわ。

「え、でもストーカー行為を受けてるんですよ。パワハラだって――」

《どこにそんな証拠があんだよ》巡査部長はふんと鼻を鳴らした。《あっそうか、もう調べたんだ。あんたのいつものやり方で》

「いえ、それはやってません」

《そんならなんで無条件で信用してるわけ? その中川ってヤツがいけすかねえ野郎で、彼女が美人だから? 俺なんか常日頃から、美人だけは信用しないって決めてるけどね》

「へえ、じゃあ警部は美人じゃないんですね」

《ちょっともぅー上げ足とらないでよ二宮くん》巡査部長は不満そうに言った。《あのコはさ、特例ってことで》

「別にどうでもいいですけどね。確かに警部は特例レベルの可愛いさだし」

《おっとぉ、聞き捨てならねえな》

「褒めてるんですよ。あなたの彼女を」

《……それだけかねぇ?》

 えっ、どういう意味。やっぱり何か感じ取ってる?――まあいいか今は。

「遠藤さんは、わざわざ手の込んだやり方でボクを頼って来たんですよ。さすがにそうバッサリ棄て置けません。だいいち、ボクにそんなでたらめを言って無理のある芝居を打たせる理由って何ですか」

《だから、自分を棄てて逆玉に乗った男への復讐だよ。あんたをそれに利用しようとしてるんだ。男が担当する患者で、二人がトラブってるような場面も目撃したから、あんまいい印象を持ってない可能性がある。おまけに警察官だし、ストーカー行為を受けてると言えば職務上の正義感を発揮してくれるかも知れない。まさにうってつけってわけさ》

 そう言われればそんな気もしてきた。確かに自分も最初にあのメッセージを読んだときは自分に仕掛けられた何かの罠だと思ったっけ。だが実際、罠は別の人物に仕掛けられたもので、自分はただそれに利用されているだけの、つまりは仕掛けの一部というわけか――?

「……いずれにせよ、もう少し探ってみる必要があるってことですね」

《……ンまぁ、な。このままほっとく気がねえんだったらな》巡査部長はため息をついた。《まだかかわる気か?》

「ええ、そうですね」

《チョコもらったから?》

「そうじゃありません。助けを求められて、それが本当であれ嘘であれ、聞いた以上はということです」

《だったらなんで俺に相談なんて言ったわけ? 聞いた時点で腹括ってんなら相談なんて要らねえだろ》

「それは……」

 あんたならどうするか知りたかった、とは言えなかった。いや――違う。知りたかったんじゃない。そう、確かめたかったんだ。そしてそれを聞いた上で、背中を押して欲しかったのかも知れない。

 すると巡査部長は、まるでこっちの心の中を見透かしたかのように――

《意外だったか。俺がほっとけなんて言ったの》

「えっ――」

《京都でのことが、そっちに何かしらのイメージ付けちまってる?》

「いえ、そう言うわけでは――」

 言った瞬間、俺は何をやってるんだと思った。年末に京都駅で別れて以来、一度も接触コンタクトしていないのにこんな遅くからわざわざ電話をかけて、相談などと言って分かり切ったことをつらつらと、そのくせ図星を突かれるとこうやってまたはぐらかして――

「……やめた方がいいですね。こんなこと」自嘲の笑いとともに言った。

《えっ?――まぁ、それが無難かもな》

「いえ、違うんです。彼女の頼みを断るってことじゃなくて。これ以上とりとめのない話はやめます」

 そして大きく深呼吸すると、思い切って吐き出した。

「後悔したくないんです。もう」

 ああ、言ってしまった。そうなるともう、止まらなかった。

「見殺しにしたんですよ。友達を。大学の同期でした」

 電話の向こうの短いため息が聞こえた。けれどもそれはどうにも穏やかで、無性に身に染みた。

 そしてその穏やかさを湛えたままの声で、巡査部長は言った。

《――なんだよ。やめるって言っときながら、結局長くなるってことかよ》



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