第二十八話 長い夜(後)


 捕まった逃走犯の自供によると、逃走犯と窃盗犯は高級車を狙った窃盗団のメンバーで、盗難車の換金後の分け前を巡って口論になり、逃走犯が窃盗犯をナイフで刺して重傷を負わせたということだった。逃走犯はそのまま窃盗犯を盗難車に乗せると去年まで働いていた会社の倉庫がある大黒埠頭の先っちょにやって来て、会社を辞めるときに盗んだ倉庫の合鍵を使って中に入り、窃盗犯を置き去りにしたらしい。刺したのは左の脇腹か太腿か、大体そんなあたりだということだからおそらくはたちまち命の危険はないだろうが、夜になって気温もぐっと下がってきているから、楽観視はできない。


 埠頭に向かう道すがら、垣内主任からメイドカフェの従業員への事情聴取の結果を聞いた。

「――一応、全従業員十二名から話は聞けた。一応と言ったのは、相手のスケジュール上、直接には会えずに電話対応せざるを得なかった場合もあったからだ」

 助手席の主任は言った。「で、結論から言うと怨恨の線は薄い。被害者が何かトラブルを抱えていたという話も出てこなかったし、職場関係も良好だったようだ。本人の人柄にも特に問題はない。家族と同居しているが、家庭内の悩みを抱えている様子もなかったということだ」

「それらの証言に怪しいところは――」

「もちろん、その可能性も皆無じゃない。だが今のところは特に引っかかる点は出てきてないな」

 そう言うと主任はため息をついた。「……被害者には気の毒だが、犯人が襲う相手を物色していたところに、たまたま運悪くそこに居合わせてしまった、というのがじゃねえかな」

「だったら、なぜ今回は横浜じゃなくて秋葉原だったんでしょうか」

「そこだ。つまり、その理由は犯人ホシの方にある」

「秋葉原で犯行を起こすべき理由、と言うことですか」

「うーん……『秋葉原』なのか、もっと広くて『東京』なのか」主任は少し髭の生えてきた顎をさすった。「わざわざ車を使ってまで――」

「えっ、車?」主任に振り返った。「犯人は車に乗ってたんですか?」

「あれ、お嬢さんから聞いてねえか」

「……ええ」

「秋葉原署からの情報だ。犯行時間とほぼ同時刻に、女性の悲鳴に続いて車が急発進する音がしたといういくつかの証言が、現場周辺の聞き込みから取れたらしい」

「……それも今までとは違いますよね」

「ああ。今までの五件での移動手段は足。つまり野郎は横浜こっちのヤツだ。昨夜は遠出をしやがった。だからやっぱり、今回のは意味があるんじゃねえかってことになる」

「ターゲットを女性に変えて、大きなダメージを与えたのにも――」

「意味がある。だけど被害者に対する怨恨ではなさそうだ。要は、相手は誰でもいいから、アキバで女性を襲う理由があったってことなんじゃねえか」

 それを聞いてまた不安が過った。やはりマロンちゃんにはバイトを休ませて正解だった。というか、被害者には申し訳ないが、昨夜彼女がアキバにいなくて良かった。

「同一犯というのはほぼ間違いないんですよね。今さらですけど」

「ああ。犯行に使われた鉄パイプに赤い布かテープが巻かれてたって話は報道されてないから、模倣犯の可能性は限りなく低い」

「その車は目撃されてないんですか」

「現場付近には防犯カメラは設置されていなかった。周辺の防犯カメラをあたってるらしいが、今のところ有力な情報は出てきていない」

「犯人はそれも確認済みだったんでしょうか」

「どうだろうな。偶然なのかも知れないし、予め下見しておいて、そこに誰かが通るのを待ってたのかも知れないし」主任は首を捻った。「現時点ではなんともな」

「……だけど、確かに一段階進んだ気がしますね」

「そうだな。早いとこ捕まえねえと――死人を出すわけにはいかねえ」

 主任は言うと、大きくため息をついて舌打ちをした。「……ふざけやがって」



 大黒埠頭に着くと、現場とされる倉庫の前で赤色灯を点滅させたパトカーが停まっているのが分かった。救急車も到着している。

 そばまで行って車を降り、パトカーの前にいた二名の制服警官に合流した。

「ご苦労さまです。どうですか」主任が訊いた。

「扉のすぐそばで倒れてました。出血はそこそこありましたが、命にかかわるような怪我ではないようです。今、処置をしてます」

 四十代後半くらいの警官は言った。上着の階級章は警部補のものだった。

 そばの救急車に振り返ると、中で担架に乗せられた男が救急隊員の処置を受けていた。

「話せますか」主任は警部補に訊いた。

「いや、意識が混濁してるから、ちょっと無理なんじゃないかな。早く病院に連れて行かないと」

 すると主任は救急車に近寄り、中の隊員に声を掛けた。「どこの病院に行きます?」

本牧ほんまきの赤十字。ここから近い」隊員は答えた。

「分かりました」

 そして主任は戻ってきて言った。「二宮、行くぞ。先回りだ」

 車に乗り込み、エンジンを掛ける。主任がシートベルトを着けるのを待って発進した。


 病院で窃盗犯の意識がはっきりするのを待ち、事情聴取を行った。それは逃走犯の供述とほぼ変わりはなく、窃盗グループの中では比較的年齢が近くて気の合った両者が、結局は分け前のことで仲間割れし、傷害事件に発展したというものだった。両者はそれぞれの罪状で逮捕され、これでひとまず事件は解決だ。自動車窃盗グループの検挙など新たな案件が発生したが、それは明日以降また改めてということになる。



 病院から署に戻るともう午前二時だった。通常勤務だった垣内主任は帰宅し、自分もできれば仮眠をとりたかったが、腹が減っていたので警部の差し入れのカレーを食べることにした。

 刑事部屋に設置してある電子レンジでカレーを温め、サラダと共に自分のデスクまで運んできたところで、後ろのデスクで新聞を読んでいた嶋田主任が話しかけてきた。

「――通り魔の案件。ややこしいことになってるんか」

「あ、ええ、まぁ」

 サラダをつつきながら振り返った。

「今度はアキバでやったって?」

「おそらくは」

「犯人の共通点は?」主任は新聞を閉じた。

「赤い布のようなものが巻かれた凶器、上下黒のトレーニングウェア。上着のフードを被って、黒のマスクにゴーグルを着けていたそうです」

「ゴーグル? 泳ぐときのやつ?」

「いえ、ほらあの……工業用って言うんですか、ヘルメットに付いてるような」

「ああ、ごついやつな」主任は頷いた。「それでは顔は分からんか」

「目だけがちょっと見える程度で。二十代から三十代じゃないかと」

横浜こっちでは勝負を挑んでくるって?」

「そうなんですよ。凶器と同じ鉄パイプを相手に渡して、『勝負だ』って言うらしいです」

 そう言ってサラダ用のフォークを前に差し出した。「で、結果二勝三敗」

「アホちゃうか」

「みんなそう言います」と苦笑した。

「被害者に共通点はないんか」

「洗い直してるんですが、今のところは何も。横浜での被害者は全員男性で年齢も職業もバラバラ、みんな軽傷だったんですが、アキバでは大学生の女性が重傷を負ってます」

「……嫌な感じやな」

 はい、と言ってカレーを一口食べた。旨い。なかなかの辛さだけど。

「もう一回り広げてみたらどうや」

「はい?」紙ナプキンで口を拭った。「広げる?」

「被害者らにが見つからへんとしても、もう一回り交友関係を広げたら、そこに共通点があるかも知れへんで」

「一回りと言うと――」

「例えば、被害者の友達のまた友達とか、職場の同僚の身内とか、配偶者の兄弟のそのまた配偶者とか」主任は顎に手を当てて天井の照明を見上げた。「……まぁ、そうなるとかなり手間やけど」

「……そうですね」

 ――確かに、このままだといよいよ手詰まりなのは否めない。しかし調査対象をさらに広げるとなると、これはかなりの時間と労力を必要とすることになる。手がかりが見つからない以上はいずれやらなければならないと分かっていたが、犯行が凶悪化してきている現状で、そんな悠長なことをやっていいものか、どうにも悩ましいところだ。

「――ところで自分、大学院出てるらしいな」主任が言った。

「え? あ、はい」

「何の勉強してたん」

「情報学です」

「え、理系なん」

「はい」

 主任はふうん、と言って腕組みした。「システムエンジニアとか、そんなんになろうとは思わへんかったんか」

「……あまり考えませんでした」

 興味本位で自分の経歴に深入りされるのが嫌だったから、話を終わらせようと否定的な返答をした。ところが――

「え、なんでなんで。普通考えるんと違うん」

 主任は座ったままの椅子を引きずって近付いてきた。――そうだ、この人関西人だ。オチが見つかるまで話は終わらない。しかもできるだけ強烈なオチが。

「実は――」

 スプーンを置き、神妙な顔を造って主任を見た。「……誰にも言わないでくださいよ」

「おお、オケ」主任は頷いて親指を立てた。

「……担当教授と不倫して、相手の旦那にバレたんです。旦那はIT業界では有名人で。それで、もうその世界では生きていけないようにしてやると言われて」

「うっそ!」主任は拳を口に当てた。

「……危うく、大学も除籍になるところでした」

 顔をしかめて俯いた。笑いをこらえるために。

「……マジ?」

「嘘ですよ」と顔を上げて笑った。

「……なぁんや」主任は脱力した。

「警察官になりたかったんです。子供の頃から」

 これまた嘘を言った。空になったプラスチック容器を重ねてポリ袋に入れ、口を結んで壁際のゴミ箱へと持って行った。

 主任は椅子を反転させて向き直り、なおも訊いてきた。

「じゃあ、サイバー犯罪対策室とか、そういうとこ希望してんのか」

「いいえ、特に」――しつこいな。

「もったいないなぁ。まで出てるのに」

 主任はしみじみと言った。そして――

「そうや、一条警部に頼んだらどうや」

「えっ……」ごみを捨てる手が止まる。

「あのコはどうせそのうちに行くんやから、そういう部署に引っ張ってもらえば――」

「そんなつもりありませんから」

 思わず強く言って遮った。顔を上げると、主任は驚いた顔をしていた。あ、まずかったか。

「……そんなこと、考えてませんので」

「……そうやな。悪かった」

 主任は開いた膝に手を置き、勢いよく頭を下げた。「すんませんでしたー」

「いえ、大丈夫です」

 警部のことでムキになるのはよそう。気にしてしまうのは自分が悪いのだから。


 そのとき、またしても事件発生の無線指令が入った。今度は中華街界隈のコインパーキングで連続車上狙いだ。目撃者がいて、犯人は二人組、逃走中だという。

「行こか」

 主任は立ち上がり、コートを羽織ってドアに向かった。

「はい」

 自分もコートを持って主任に続いた。


 ――このまま一息つく間もなく朝を迎えるのだろうか。二十四時間眠らないとなると、さすがにしんどいな。マロンちゃんに会う前に少しは眠っておきたいけど――


「二宮、急げ――!」主任の声が叫んだ。

「あ、はい」


 ――えっ、俺、そんなに遅い? 全速力で走ってるつもりだけど……なんでだろ。


 

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