第三十七話 今日、きみに会って
張り込みはもう四十分続いていた。
昨夜の電話で確認した限りでは、この時間にはここに現れるはずだった。だけどまぁ、今日の行き先は到着時間に制約があるところではないし、予定より少しくらい前後することだってじゅうぶんにある。それに、今日はずいぶんと暖かい。ひと月前に
駅前の公衆電話の脇に立つ街路樹のそばでスマホ片手に佇んでいると、正面にあるコンビニの向こう側の通りから
そのまま目の前を素通りしそうになったので、慌てて一歩踏み出し、声を掛けた。
「奈那ちゃん」
「えっ、え――ええ?」
振り返った彼女はびっくりした様子で、少し後ずさりした。「に、二宮さん? どうして?」
「おはよう」
「はい、おはようございます――って、え、どうしてここにいるの?」
「
「言ってたけど、でも何で?」
「その前に。道、飛び出してきちゃ危ないよ」彼女の後ろを指差した。「車がたくさん来てる」
「あっえ、ええ――」彼女は後ろを振り返った。「ホントだ」
「すぐそこに横断歩道があるだろ」
「慌ててたから。ごめんなさい」
彼女は向き直って困ったように眉を寄せた。「……タイホ案件?」
「次やってるとこ見たら現行犯逮捕だな」にやっと口元を緩めた。
「気をつけます……あ、二宮さんお仕事は?」
「今日は当直勤務だよ」
「あっそうだった。昨日言ってたよね」
「うん。そしてきみは大学に行くって」
そしてハッと思いたった。「ごめん、急いでるんだよね」
「ううん大丈夫。次の電車でも全然間に合うの。もっと後でも」彼女はにっこりと笑った。
「ちょっと来て」
そう言うと彼女の手を取り、駅舎へと続く階段脇の通路まで誘導した。彼女は不思議そうに首を傾げてついてきた。相変わらず表情豊かだ。
咳払いを一つして言った。
「――今日、ホワイトデーだよね」
「あっ、え……うん」彼女は小さく頷いた。
「本当はちゃんと会う約束して、食事でも行って渡したかったんだけど――あいにく予定が合わなくて」
そう言ってジャケットのポケットからラッピングした包みを取り出し、差し出した。
「これ……」
彼女は戸惑い気味に受け取ると、ゆっくりと顔を上げた。「あのお店の――」
「そう。ルビーのネックレス。ハート形の」
「買いに行ってくれたの……?」
うん、と頷いて笑った。「ちゃんと意味のあるプレゼントだから」
そして大きく深呼吸をして、昨夜、布団の中で整理したことを話し始めた。
「――去年の夏、あのメイドカフェで、きみがボクのことを見つけてくれた」
彼女はまた微かに頷いた。
「それで、好きになってくれた。しかも、半年ものあいだその想いをずっと持ち続けてくれて、先月、バレンタインの日にあの駅で――すごく寒い日だったよね。それなのに長いこと待って、そのときもちゃんとボクを見つけて、チョコレートをくれた」
「……うん。一時間半待ったの」
「だろ。そんなこと、ボクだったらできないよ。しかもすごく思い切った告白までしたんだ。あんな人混みで、ボクがどんな反応をするか分からないのに」
「ごめんなさい。すごくびっくりさせちゃった」
「いいんだよ。嬉しかった。最初は途惑ったけど、だけど本当に嬉しかったんだ。ボクみたいな、何の取り柄もない男に、あんなに勇気の要ることを――」
「そんなことない。二宮さんはとても素敵な人よ」
「ありがとう。でも自信がないんだ。きみはずっとそう言ってくれるけど」
「そういう、控えめって言うの? そんなとこも、奈那は好きなの」
照れ臭くなり、もう一度ありがとうと言うのに乗じて俯いた。しかしまだ話は終わっていない。すぐに顔を上げる。
「――先月、きみのお父さんを怒らせて、きみもお父さんに怒って、かなりこじれたせいでこのままだと監視みたいなことをされそうだからしばらく会えないって、きみに言われたとき、そりゃ、あんなとこ目撃されたんだから仕方ないよなと納得したけど――同時に、このまま二度と会えなくなったらどうしようって思って不安になったんだ。そんなの絶対に嫌だって、毎日電話で話してても実際はその不安が増す一方で、バレンタインにきみが告白してくれたことへの返事もちゃんとできてないのに、もしこのままきみの気持ちも離れてしまったらって思うと、すごくしんどくて――怖くて」
想いが高まって、少し胸が熱くなった。まったく、ダラダラと何を言ってるんだ。でも、ちゃんと伝えなきゃ。
「バレンタインの――あのときのきみのおかげで、今の、相変わらずまるで自信は持てないけど、そんな自分のことを嫌いじゃないボクがいる。だから今日、バレンタインのお返しの日のホワイトデーにきみに会って、ちゃんと伝えようと思って――」
――そう。きみなら俺を変えてくれる。昔の過ちのせいでどうしても自分のことが好きになれなくて、自信がなくて、人を羨んで、煮え切らない叶わぬ想いをいつまでも
「ごめんね。いい加減もう時間ないよね。ちゃんと言うよ」
そして、頬を赤く染めて包みをじっと見つめたままの彼女に言った。
「――あなたが好きです。付き合ってください」
彼女は大きく頷いて、それからうわっと泣きはじめた。
「えっ、わ、どうしよ、あの、泣かないで――」
そばを通ったスーツ姿の男性が、えっという感じでこちらに振り返り、すぐに顔を逸らして歩いていく。すいません、驚かせて。どうぞ知らん顔してください。
「だ、大丈夫?」
彼女はうんうんと頷いた。でもまだ泣いている。
「ゴメンね、こんなとこで。やっぱちゃんとどこかで会って言うべきだった」
そうだよ。何でそうしなかったんだよ。一日くらいあとになっても良かったろ?
「そうじゃないよ。嬉しい……嬉しいから泣いちゃう」
そう言うと彼女は少し顔を上げ、ズズっと鼻水を啜ってから見上げてきた。
「……抱きついてもいい?」
「え、いや、それは――」思わず周りを見渡す。
「もう、なんで? そういうとこ……!」
彼女は涙目のまま笑って、こちらの胸をとんと叩いた。その手を取って、
「ウソだよん」
とわざとふざけて言いながら抱き締めた。
驚いたらしい彼女は三秒ほど息を止めていたが、やがてエヘヘ、と笑いだした。
「……私たち、カレシとカノジョなんだね」
「うん。今さらだけど」
「じゃあ、正式にカレシとカノジョになりました記念に」
少しだけ身体を離し、もう一度見上げてくる。「キスしよっか」
「……さすがにそれはちょっと」と愛想笑いで首を傾げる。
「だよねー」
彼女は明るく言うと腕時計を見た。「あっもう、ギリギリ。行くね」
「うん。気をつけて」
「……これ、ありがとう。大切にする」
とネックレスの包みを頬の横に添える。その仕草もやっぱり可愛い。
「あとでまた電話するよ」
「でも、夜勤でしょ。無理しないで」
「あっそうだった」顔をしかめる。「行きたくねえぇ~」
うふふ、ダメだよと笑い、じゃあね、と言って彼女は駅舎への階段を駆け上がって行った。
――良かった、大仕事が終わった。久しぶりに顔を見たけど、やっぱり可愛い。あんな彼女ができるなんて、自分史上最高の大金星だ。
ひと安心したせいか、そう言えば腹が減ったなと思った。どこかで朝食を食べ、今夜に備えて今日はちゃんと寝よう。
そろそろ通勤通学の時間帯が終わる頃で、賑わいが落ち着き始めた駅前の通りを歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます