第二十五話 淳くんからの報告


 新横浜署生活安全課の坂下さかした淳之輔じゅんのすけ巡査部長は、弾丸のようにぎゅっと引き締まった身体に少し長めの健康的な坊主頭がよく似合う、笑ったときの白い歯が爽やかな典型的体育会系好青年だった。こちらが通された会議室のドアの外で「失礼します!」と大きな声を上げると、そのドアを勢いよく開けて現れ、満面の笑顔で近づいてきて言った。

「みっちー、久しぶり!」


 ――え、なんだって? み、みっちー? 誰? 警部?


「久しぶり、淳くん」

 警部も嬉しそうに笑っている。は、淳くんだって。

「――淳くん、こちらは二宮巡査。今、わたしと組んで仕事してくれているの」

 警部に紹介されたので、慌てて名刺を出して「山下署刑事課の二宮です」と頭を下げた。坂下巡査部長は自分の名刺と交換で受け取ると、

「どうも。新横浜署生活安全課の坂下淳之輔です」

 と一礼すると、顔を上げてにんまり笑って敬礼し、言った。

「一条警部の元カレでーす♪」

「え」


 ――一日に二人も元カレ登場かよ。秋葉原署では実際に姿を見ることはなかったけど、今度は堂々のお目見えだ。しかもなんだか軽い! こんな展開、予想外過ぎて、さすがにどうリアクションしていいのか分からない。あと、警部って警官フェチだったのか?――


 隣の警部を見ると、今まで見たことのない、何とも照れ臭そうな愉しそうな、あまつさえはしゃいでいるようにすら見える笑顔で自分の「元カレ」とやらを眺めていた。


 ――ああ、何だか頭がクラクラしてきたぞ。やっぱ体調悪くなってきたのかも。


 やがて坂下巡査部長は、本題に入る前にこっちが訊いてもいない、自分と警部の馴れ初めを話し始めた。昼食のときに自分たちには時間がないとあれだけ言っていた警部がそれを止めてくれるかと思ったら、まるでそんな気配もなく、むしろころころと笑いながら同調した。普段の警部の言動からはまったく想像も出来ないタイプの元カレの告白に、こっちは驚きを通り越してちょっと怖くすら感じたほどだ。

 それによると――

「――みっちーとはさぁ、インカレのサークルで一緒だったんだよねー」

「そう。『大食い同好会』。大食いチャレンジをやってるお店に行って、ひたすら食べて成功させるの。目標は全国制覇」

 なーるほど。およそ趣味嗜好が合いそうにない二人の、おそらく唯一と思われる共通点はそこか。

「みっちーが一年、オレが三年の秋だったかな。その頃東大の先輩にフラれて落ち込んでるみっちーに、オレがタイマン勝負を挑んだんだよね。確か神田かんだのカレー屋にある『肉三種全部乗せ大辛スープカレー』だったっけ」

 ――え、なんでそうなる。よく分からん。

「そう、あれはいい気分転換になったわ。あれで綺麗さっぱり吹っ切れた」

 ――またそれにうまく乗せられてるよ。

「それからだよなぁ、オレたちが急接近したの」

「ええ。淳くんが警察官を目指してるって知って、そこから付き合うまでそんなに時間はかからなかった」

 そう言うと警部と坂下巡査部長は顔を見合わせて「ねーっ♡」と笑った。なんじゃコイツら。

「あ、もちろんオレはノンキャリだよ。みっちーみたいに官僚になりたいわけじゃなかったし、柔道をやってたからその能力を活かしたいとも思ってたからね」

「淳くんはちょっと有名だったのよ。『慶應けいおう姿すがた三四郎さんしろう』とか言われて。例えが古いけど」

 ああなるほど、と適当な相槌をうって、それから訊いた。

「警部は、あの――警官フェチなんですか?」

 ――あ、いかん、こっちもすっかり乗せられた。

「特にそう言うわけじゃないけど。そもそもわたしが警察官になりたかったから、それで自ずと興味が沸くのよね」

「みっちーが大学を出た直後の春休み頃まで、三年ちょっと付き合ったかな。見事警察庁に入ってエリートの道を歩み始めたみっちーに、オレはもう一線を画した方がいいかなって思い始めて。みっちーもオレに気を遣うようになってたから、話し合って、円満に別れたよね」

「うん。寂しかったけど、そうやってちゃんと別れたおかげで今でも仲良しよね、わたしたち」

「オレだって寂しかったよー。みっちーと一緒に行ったいろんな店に、思い出に浸りに一人で行ったりしてさー」

 そう言うと坂下巡査部長は両手を水平にして目の下に添え、おいおいと泣くジェスチャーをした。

「淳くんそんなことしてたの? 泣けちゃうー」

 警部も同じ仕草をする。やめろ、見てらんねーわっ!

「あああのーもういいですか。お二人が仲睦まじいカップルだったってことはじゅうぶん伝わりましたから、話を先に進めていただいても」たまらなくなって口を挟んだ。

「おっと、そうだった申し訳ない」

 坂下巡査部長は真顔に戻ってコホンと咳払いをし、またにっと笑って警部に振り向くと、反射的に微笑み返す警部を見ながら言った。「アレだな。ちょっと二宮刑事には刺激が強かったかな?」

 ――どこがだよ。何の刺激も感じないわ。無駄にダラダラ長いだけだわ。つかえっえっちょっと待って、あんたらもしや、ただただ大食い店巡りしてるだけのプラトニックな関係だったわけ?――まさか。

「と、とにかく、お願いしていた件についての話を」

「ああはい、了解」

 坂下巡査部長は軽く言うと、持参してきた資料を広げて説明を始めた。

「―—まず、みっちー……もとい、一条警部どのから要請を受けた遠藤清花さんの自宅マンション近辺のパトロール強化ですが、これまでのところ特に異常はないとの報告を受けております」

「淳くん、変わり方が極端よ」と警部は笑った。「もっと普通に話して」

「そう? なら失礼して」と坂下巡査部長は頷いた。「しばらくはこのまま続けるつもりだけど、特に何ごともなければ――それが何よりなんだけど――生憎だけどずっとと言うわけにはいかないね。そのへんはご容赦願いたい」

「もちろんよ。ご協力感謝するわ」

「もう一つ。さっき電話で依頼を受けた、過去にその中川って男が遠藤さんのマンション周辺で何かやらかしてないかってことの調査だけど」坂下巡査部長は資料から視線を上げた。「特に報告は上がってきてないみたいだね。あくまで警察こっちが把握できてる限りでは、ってことになるけど」

「そう。分かったわありがとう」

 それも仕方ないか。むしろそれだからこそ遠藤さんの苦しみがここまで続いているのだ。

「――ただ、一つ気になる案件がある」坂下巡査部長は人差し指を立てた。「遠藤さんとは別人の事案だけど」

「と言うと?」警部が訊いた。

「実は、遠藤さんと同じマンションに住む女性が、去年十二月、不審な男に自分の部屋を見張られていたようなことがあったとかで、交番に届け出たことがあったんだ」

「……興味深いわね」警部は腕を組んだ。

「具体的な内容は分かりますか」

 そう言うと坂下巡査部長はこちらに視線を移し、頷いて資料をめくった。

「――住人は二十歳の専門学校生。昨年十一月二十五日の夕方、部屋の窓からふと外を見ると、道路に立ってじっとこちらを見上げている一人の男を見つけた。怖くなってすぐにカーテンを閉めて、その日は部屋から一歩も出ずに過ごした。カーテンの隙間から確認したところ、男はおそらく十五分くらいで立ち去ったと思われる。女性は実家の母に相談し、話を聞いた父親が心配してしばらくは女性の部屋に寝泊まりしたらしい。だがそれっきり何も起きなかったので、父親は仕事の都合もあって実家に戻ったそうだ。再び独り暮らしになった女性は不安が完全に払拭されたわけではなかったらしく、その後、交番へ届けた」

「不審者の特徴は?」

「二十代後半から三十代後半、中肉中背。サングラスを掛けていて、そのせいで顔の他の部分の特徴が分かりにくくなってしまった。何せ一瞬しか見ていないからね。濃紺か黒のスーツを着ていたそうだ」

 まるでハリウッド映画に出て来る『謎の男』だ。

「……それが中川だったのかどうか」警部が拳を顎に当てて言った。「それだけでは何とも言えないわね」

「いや、そうでもない。と言うか、大いに怪しい」坂下巡査部長は言った。

「どういうこと?」

「女性の部屋は、遠藤さんの部屋のすぐ上階だった」

 ――なるほど。不審者は、その女性の部屋ではなく遠藤さんの部屋を見上げていたというわけか。

「女性は結局、年明けに引っ越した。たまたま契約更改の時期だったそうだが、その一件が引き続き更新しなかったことに影響していないとも言い切れないんじゃないか」

「でも――いずれにせよ、それで中川を挙げられるようなものではないわね」

「そこは無理だろうね。この前の投石事案の目撃証言の方が確実なんだろ?」

「……そうみたいね」

 警部はため息をつき、こちらに振り返った。「仕方ないわね」

 ええ、と頷くと坂下巡査部長に言った。「先ほどのパトロール強化の件ですが、この数日間だけでも特に念を入れていただくことは可能ですか?」

「えっ、まあ――地域課に言ってみますけど」

「よろしくお願いします。ボクも可能な限り警戒に当たりますので」

 そう言って頭を下げた。

「分かりました……でも、なぜ?」坂下巡査部長は首を傾げた。

「そもそもの話、彼がね、遠藤さんに個人的に頼まれたのよ」警部が言った。「ウチとは管轄が違うんだけど、頼まれると断れないタイプだから。二宮くんは」

「いや、そんなの当たり前だよぉ!」

 坂下巡査部長は声を上げ、晴れ晴れとした表情でこちらを見た。「そうだよなっ?」

「いえあの、ついと言うか、成り行きと言うか――」

「なに言ってんのさ、謙遜は必要ない! 二宮巡査、きみは正しい! それでこそ警察官、それでこそ男だ! いや、やっぱり謙遜するところもまたいい! みっちーはいい部下を持ってるよ。羨ましいなぁ!」

 もう何かヘンなゾーンに入っちゃってる。

「止めてください、警部」

「いいじゃない、褒めてくれてるんだから」

 警部は笑って、坂下巡査部長と顔を見合わせてまた「ねーっ♡」と首を傾けた。

 ――ったく、調子狂うなぁ。



「じゃーねみっちー、また! 大食いの腕、磨いとけよ!」

 と大きく手を振る坂下巡査部長の見送りを受けて、新横浜署をあとにした。

「――警部のストライクゾーンの広さには敬服しますよ」

 駅までの道を歩きながら言った。

「あら、どういうこと?」警部はしれっとすまし顔だ。

「ああいうタイプとも付き合えるとは。驚きです」

「芹沢巡査部長とは違うってこと?」

「違うも違う、ほぼ真逆じゃないですか。きっと、秋葉原署の副署長もまた全然違うタイプなんでしょ」

「どうだったかしら。忘れたわ」警部はふんと鼻を鳴らした。

「今朝、無理を言って協力させたのに? 可哀想なこと言いますね」

「いいのよ。神崎と付き合ったのはわたしの黒歴史。忘れて何が悪い」

「……そうでしたか。でも、おかげでいろいろ助かりましたけど」

「でしょ。じゃあ次はメイドカフェの従業員ね」

 そう言うと警部は腕時計を見た。「――あ、一度署に戻りましょ。もうすぐ五時よ」

「はい」


  ――そう。のんびりしてる暇はなさそうだ。まだ先は長い。




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