第十八話 マロンちゃんの真実(後)


「――ビール、おかわり頼もうか」

 グラスを指して言った。「それとも、他の飲み物がいい?」

「あ、じゃあ――レモンサワーで」

 スタッフを呼んで、レモンサワーと黒のクラフトビールを注文した。

 それも美味しそう、とマロンちゃんは笑った。

 そしてアヒージョをつつきながら、話を続けた。

「――実の父は大手電機メーカーでAIエンジニアとして働いていました。官民共同のある国家的なプロジェクトに携わることが決まった矢先、病に倒れたんです。私は中学に入る前から、数学や物理が得意で国語や社会が苦手な、典型的なリケジョでした。趣味も、ファッションやお菓子作りよりもゲームが大好きで――それで、亡き父の方のおばあちゃんから、父が将来を期待された有能なエンジニアだったのに、志半ばで天に召されたと聞いて――自分はその遺志を継ぎたい、と思ったんです」

「それで知能情報学を専攻してる」

「ええ。最初はどうしようか迷ったんです。父も母も、大学進学は許してくれるだろうけど、実の父と同じ道に進もうとしてると知ったら、さすがに反対されるんじゃないかって。だったら和菓子屋を継ぐのが道理だろうって言われたら……父や祖父母にはすごく感謝してたし、それをはねつけることはできない。それでもやりたいと思うなら、私は家を出るしかないんじゃないかと思いました」

 マロンちゃんはふうっ、と肩で息を吐いて、困ったような笑顔を見せた。当時の自分を思い出しているのかもしれない。

「それで、もしそうなったら、きっと辛い思いをするだろう母にまず打ち明けました。母はやはり難色を示しました。和菓子屋を継ぐことに関しては、義務感だけでやっていけるほど甘い世界ではないから強要はしないけれど、栗原家から受けた恩を考えると、亡き父と同じ道を進むための大学進学は手放しでは賛成できないと」

「……お母さんも、苦しかっただろうね」

 そう言うとマロンちゃんの瞳にぶわっと涙が溢れた。

「あっ、ご、ごめんなさい」

 慌てて両手をかざす。不用意に何を言ってんだ、馬鹿じゃないか。考えたら分かるだろ。

 大丈夫です、とマロンちゃんはベソをかいて、手元に置いたハンカチで目の下を押さえた。ちょうどそのタイミングでスタッフが飲み物を運んできた。レモンサワーをマロンちゃんの前に置くと、彼女が泣いているのに気づき、すぐさまこちらに振り返って眼光鋭く睨みつけてきた。

 クラフトビールをドン! と置いてスタッフが去っていき、その音で縮み上がっているこちらを見て、マロンちゃんはアハハ、と笑った。

「二宮さん、ビビっちゃってる」

「だ、だってあの人……ちょっとイカつかったし」

「え? アナタ警察官でしょ?」マロンちゃんはまだ笑っている。

「関係ないよ。職業に過ぎない」

 グラスから零れたビールをお手拭きで拭きながら、マロンちゃんの表情が明るくなったことにホッとした。ガテン系のスタッフさん、なんだかんだでありがとう。

「ゴメンね、話しにくいことを。話題変えようか」

「いえ、大丈夫です。むしろ聞いてほしいです」

 そう言うとマロンちゃんはレモンサワーをぐいっと呷った。はあっと大きく息を吐いて、また話し始めた。

「数日たって、母から言われました。どうしても亡くなったお父さんと同じ道を行きたいんだったら、現役合格できる大学を選んで奨学金を借りること、家を出ること、何かあっても一切泣きついてこないことが条件だと」

「厳しいな」

「そう言うと私が諦めると思ったのかも知れません」

 マロンちゃんは首を傾げた。「……そんなの無理だって分かってたはずなのに。私はお母さんに似て意地っ張りだから」

「あえて厳しい条件を突き付けて諦めさせることで、きみを守ろうとしたんじゃないかな」

「えっ?」

「だってやっぱり、親は子供に苦労させたくないもんだよ」

「そうなのかな……」

「一方で、子供の夢を叶えてやりたい、応援したいって気持ちも当然ある。お母さんはきっとすごく葛藤したんだと思う」

 マロンちゃんはマッシュルームが刺さったままのフォークを持ってゆっくりと俯いた。

「あっ、また余計なこと言っちゃった。ご、ごめん」

「……二宮さん優しい」

「ああ、いや、そんなこと――」

 ――優しい。よく言われる。確かこの前警部も言ってたな。絶対にそんなことないはずなのに。だけど、カッコいいとは決して言われないんだよな。一度でいいから言われたいよ、冷たいけどカッコいいって。

 するとマロンちゃんは、ありがとう、と小声で言って顔を上げた。

「それで、諦めない私に母の方が諦めたみたいで、一緒に頼んでくれると言うので、意を決して父に打ち明けたんです。将来はAIエンジニアになりたい、そのための大学に行きたいって。お父さんの願うように和菓子屋は継げないけど、お母さんから出された条件を全部受け入れるから、それで将来は絶対に和菓子職人さんの旦那さんをもらうから、どうか許して欲しいって」

 きっと、一生懸命に言ったんだろうな。

「そしたらお父さん、ものすごく怒っちゃって」

「え、そうなんだ」

 さすがに納得できなかったか。愛情かけて育てて来たのに、その仕打ちは無いと思ったのだろうか。

「そんな大事なこと、どうして何の相談もなしに勝手に決めてるんだ、事後承諾で大丈夫だとでも思ってたのかって。おまけに奨学金だの現役合格だの家を出るだの、挙げ句には職人の婿を取るとまで、勝手なことばっかり言うんじゃない、親を見くびるのもいい加減にしろって――生真面目でいつも穏やかでにこやかで、声を荒げるところなんて見たことなかったお父さんが、それはもう、顔を真っ赤にして怒って――居間で話してたんだけど、ずっと奥の部屋にいたおじいちゃんとおばあちゃんがびっくりして飛んできたくらい」

「……お父さん、寂しかったんじゃないかな。それが怒りになって出ちゃったとか」

「すごい、二宮さんわかるんだ。その通り。お父さん、寂しくて怒ったの」

 マロンちゃんは驚いた表情の中に、どこか楽しそうな空気を醸し出していた。

「――お父さん、私とお母さんに自分が反対すると思われてたことが悲しい、って言ったんです。だから勝手にそんな厳しい条件つけて、こともあろうに婿養子を取る覚悟までして、それで亡くなったお父さんと同じAIエンジニアになるための大学に行くことを許してもらおうと考えてた私とお母さんのことを、何でそんなに他人行儀なんだって、すごくがっかりしたって、それで怒っちゃって――」

「と言うことは――」

「ええ。許してくれました。許すどころか、全力で応援する、って感じ」マロンちゃんは嬉しそうな笑顔を見せた。「お父さん、私よりもずっと早くに気づいてたんですって。私が数学や物理が得意なのを見て、将来はそっちの道に進ませた方がいいと思ってたそうです。やっぱり血は争えないねって。奈那ちゃんがAIエンジニアになったら、天国のお父さんきっと喜ぶよって、ちょっと前のあの鬼の形相は何だったのって思うくらい、それはそれは嬉しそうに言ってくれました」

「……すごいね、お父さん」

「ええ、本当に。しかも、現役合格にこだわって志望校のレベルを下げる必要はないし、奨学金の心配も要らないとまで言ってくれました。そのくらいちゃんと用意してるし、何なら予備校だってドンと来いだ、なんて」

 マロンちゃんは言葉の通り胸をドンと叩き、それから肩をすくめた。「だからってわけじゃないけど、一浪しちゃいました。てへ」

「でもそれで志望校に入った」

 たいしたものだ。ここまで芯の強いコだとは思わなかった。「独り暮らしも許してくれたんだね」

「最初はね、ダメだって。だけどそこは私がどうしても、ってお願いしたんです。そんな風にあまりにも居心地のいい実家にいると、この先、研究や就職で躓くことがあったとき、つい甘えてしまいそうで。実家には職人さんや従業員の方々がたくさんいて、私は家のことお手伝いする機会があんまりなかったし、独り暮らしは大変だって分かってたけど、いつまでもそんなんじゃきっと夢は叶えられないと思って、あえて厳しい環境に置いたんです」

「で、バイトも週四で頑張ってたんだ」

 マロンちゃんはうんと頷いた。「最初はメイド服が恥ずかしくて嫌だったんだけど、アキバが好きだし、ショータイムには歌とか歌ってアイドルの真似ごともできるでしょ。だんだん楽しくなって」

 残念ながら歌っている彼女を思い出すことは出来なかった。自分があのメイドカフェに行ったときにはステージに立ってなかったのかも知れない。

「――そうだ。私、お店に来てくれた二宮さんに一目惚れしたって言ったでしょ」

「あ、う、うん……」どうにも照れる。

「厳密に言うと、少し違うんです」

「あ、やっぱり? さすがにボクに対してそれはないよね。そんな、イケメンみたいな――」

「いえその、見た目がどうかってことじゃなくて。初めて二宮さんを見たときの、その様子が――すごく気になったって言うか、惹かれたって言うか」

「……何がそう思わせたんだろ」

「前にも言いましたけど、そのとき情報学の雑誌を持ってらして。それをパラパラとめくってらしたときの表情が――うまく言えないですけど、とても憂いを帯びてて……私、それがとても気になって。何だか、すごくドキドキしたんです」

「……そうなんだ」

 恥ずかしいな。けど俺もそんな表情できるんだ。けど残念ながら記憶にない。

「その瞬間、ああ私、きっとこの人のことが好きになる、って思いました」

「いやぁ……」俯くしかなかった。

「だから、こうやって二宮さんが奈那に逢ってくれて、とっても嬉しいです」

 マロンちゃんは目を細めてにこっと微笑むと、レモンサワーをごくごくと飲んだ。



――その結果。


 今、マロンちゃんは俺の背中の上でスースーと寝息を立てている。まったくの無防備で、決して太ってはいないのにすっかり脱力しているからやけに重い。彼女の部屋がエレベーターからは一番遠いというのが恨めしい。


 あのあと、マロンちゃんはすっかりゴキゲンになってたくさん食べ、たくさん飲んだ。もうやめときなよと何度か忠告したけど、ほぼ効き目はなかった。それで案の定、テーブルに突っ伏して眠ってしまいそうになったので慌ててそこからタクシーを呼び、何とか店から連れ出してタクシーの後部座席に乗せて家まで帰らせようと思ったが、ドライバーに告げるべく家の住所を訊いているうちにゆらっとシートに倒れ込んだ。するとドライバーが「困るなぁ。お客さん、一緒に乗ってあげてくださいよ」と言うので仕方なく同乗し、マンションの前でタクシーから下ろして自分はそのままタクシーで帰ろうとした。ところがあらためて座席に戻ったとき、ドライバーが「あの人、道端に座っちゃってますよ」と言うから振り返ると、彼女は玄関前の舗道にぺたっと座り込み、書物の入ったカバンを抱えてぐったりしていた。タクシーを諦め、彼女のそばに戻って引きずるように抱えて立ち上がらせ、それでもまた座り込もうとするので仕方なくおぶってマンションに入った。

 隙あらば眠ってしまいそうになる彼女を何とか起こしてバッグから鍵を出させ、エントランスを通り抜けた。エレベーターに乗り、部屋番号を訊いてボタンを押す。そのあたりからじわじわと左肩に鈍痛を感じ始めた。まずいな、明日はまたリハビリなんだけど、このままだとしんどいぞと思っていると目的の階に着いて今に至る、だ。


 廊下を進んで、突き当たりの部屋にマロンちゃんの告げた番号を見つけた。

「着いたよ。大丈夫?」

「うーん、はぁい」

 そう言うとマロンちゃんは足をもぞもぞと動かした。

「あっ、ちよっと待って、今降ろすから、じっとしてて」

 ゆっくり腰を落として、彼女の両足が地面に着くのを確認する。

「ごめんなさぁい」

 マロンちゃんはまだふらふらとしている。代わりに鍵を回し、ドアを開いて彼女の背に手を添えてゆっくりと中に入るよう誘導すると、振り返った彼女に鍵を渡して言った。

「ほら、到着。しっかりして」

「ありがとぅ……二宮しゃん」

「ちゃんと着替えて寝るんだよ」

「はぁい。二宮しゃんもおやすみなしゃい」

 そう言うとマロンちゃんは部屋の奥に振り返った。「……あれ? あれれ?」

「え、なに」

「ここ……奈那の部屋?」

「いやそうだけど。どこだと思った?」

「二宮しゃんのお部屋かなあって」

「なわけないだろ。俺ん、寮だし」

「そうでしゅかー」

 そう言うとマロンちゃんはじっとこちらを見上げてきた。可愛いけど、目が完全にすわっている。

 そして彼女は言った。

「奈那のウチ……二宮しゃん、お泊りするの?」

「おやすみ」

 バタンとドアを閉めた。一目散に廊下を戻り、エレベーターのボタンを押す。


 はぁ、やれやれ。可愛すぎる。あっぶねぇ。

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