第十九話 『リア充』男に何が
案の定、朝起きると左肩に違和感が残っていた。今日はリハビリの予約を入れてあるのだが、いつも通りのメニューがこなせるかどうか。しまったな。
左肩をゆっくりと回しながら起き上がった。サイドテーブルのスマホを取ると、メッセージの着信通知が入っていた。マロンちゃんからだ。
通知のポップアップをスライドさせてメッセージを開くと、「うわ」と声を漏らすほどの謝罪のスタンプがずらっと現れた。どんだけの種類のスタンプ持ってんだ。
そしてようやく現れた文字は、あらためて「ごめんなさい」の嵐。「怒ってますよね?」の連投。「送ってくれてありがとう」のオンパレード。
以下――
《また逢ってくれますか?》
断る理由なんてない。ただし、しばらく飲みはちょっと。
《――二宮さんは大丈夫でしたか?》
いや何が。確かにある意味ヤバかったわ。
とにかく、昨日のことを激しく悔いていることはひしひしと伝わってきたので、とりあえずフォローしておこう。
《おはよう。昨夜は――》
どう続けたらいいものか。案外難しい。さっさと帰ってゴメン? ちゃんと着替えて寝た? 気にしなくていいからね? ダメだ、何を書いても意味深になってしまう……
「そうか、『昨夜は』がダメなんだ」
思わず声に出して言い、それにちょっとハッとして、それから苦笑いをする。右手で作った拳を口元に当て、スマホの画面を見つめながら返信の内容を考えた。
《おはよう。二日酔いは残ってない? 美味しい店だったね。また行こう――》
こんな感じでどうだろう。彼女の謝罪要件についてスルーしすぎかなとも思ったが、今の彼女には何を言っても重く受け止められそうだし、ここは流しておこう。
メッセージを送り、また同じような内容の返信が来ないようにと祈りながらベッドから出た。コーヒーを淹れ、昨夜の帰りにコンビニで買ったサンドイッチを頬張りながらパソコンの前に座る。昨日の朝仲間に頼んでおいた、中川修二に関する調査の進捗状況を確認するためだ。一日あれば、彼らはたいていの人間をほぼ丸裸にしてしまう。唯一苦手としているのは、実際に足を使って行なわなければ分からない類いの対象者の行動確認くらいだ。ただそれに関してはこちらの本業とも言えるから、特に問題はなかった。
マグカップから立ち上がる香ばしい湯気を堪能しながらいつものチャットルームに入る。
さて、今回はどんな成果が――
結論から言うと、中川は今どきめずらしく極めてアナログな人物だった。
もちろんスマホは持っているし、メッセージアプリは日常的に利用している。電話ももっぱらそのアプリの無料通話サービスを利用しているようだ。主要なネット通販サイトでの会員登録もしているし、実際それらで頻繁に買い物もしている。
が、その他には特にこれと言って何もない。プライベートでの楽しい写真を公開することもなければ、日頃のちょっとした思いを呟いたりもしていない。暇つぶしのゲームや動画鑑賞とも無縁のようだ。
つまり、世の中的に必要に駆られてネット上のツールを使ってはいるが、それを目いっぱい楽しんでいるとまでは言えず、必要最低限の関わりに留まっているというのが現状だった。たぶん、この男はそれで満足なのだろう。三十歳という年齢にしては機械オンチのじいさんみたいだが、こういう種類の人間はいる。というか、ほんの十数年前まではそれが当たり前だった。むしろ、物心ついたときから父親のパソコンを勝手にさわっては叱られたり感心されていた自分のような人間の方が、たまたま今の時代に合致しているだけでさほど多くはないのかも知れない。
しかも、そんな自分が今、就いている職業といえば、太古の昔からある泥臭い仕事だ。時代に沿った特性を持つ部署も確かにあるが、そこに身を置いているわけでもないし、そもそも望んでもいない。化学の研究者である父親は息子が警察官になると聞いたとき、理解できなかったようだ。警察官という職業がどうこうより、大学院まで出て、それなりの資格も持っていながら、なぜその研究を活かした職業に就かないのかという極めて当たり前の疑問だ。だから父はかなりがっかりした。自分が警察官を志す理由は言ってなかったし、考え直せと何度も言われた。今でこそ納得してくれてはいるが、あの当時は落胆しきっていて、高い学費を出してもらっただけに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それはさておき中川だが、そんなアナログな私生活を送りつつも、仕事の上では病院のホームページ内に開設されたブログを担当していた。名付けて『理学療法士・修二サンの元気に歩こう! リハビリ散歩』。近郊のちょっとした名所や話題のスポットを訪ねて歩き、その様子を写真に撮って載せるとともに、リハビリについてのワンポイントアドバイスを披露する、という内容のものだ。昨年七月の開設以降、ほぼ隔週のペースで更新されていた。病院の関係者や患者が主な読者のようで、そのせいか閲覧数はさほど多くはなかった。
記事は全部で十七本掲載されていた。最初は季節的なこともあってか張り切っていたのか、
ところが、そのリア充ブログが年明けとともに一気にトーンダウンする。ブログ開設以降半年間はあれだけフットワークの軽さを見せつけていたのに、正月明けの十五本目の記事から最新の十七本目まで、突然遠出をしなくなるのだ。単純に寒さがピークの時期なので動きが鈍っただけかもしれないが、それにしても行先は横浜市内の近場ばかり。しかも、一応は読者の興味をそそるようなスポットに行くもののそれはあくまでこじつけっぽいセレクトで、いわば寄り道程度なのだ。三回とも、なぜこの場所を選んだのだろうと首を傾げたくなるような住宅街や湾岸エリアを歩き、ぶっちゃけ何の変哲もないカフェでどこにでもある普通のメニューを食べ、以前の記事でも紹介したリハビリポイントの使いまわしでお茶を濁して終了。何なんだ、やる気あんのかと、一見客であるこちらですら不満を抱いてしまうのだから、このブログを楽しんでいた読者にとってはさぞ期待外れな記事だろう。温泉巡りをしていた頃には三ケタを数えたコメント数が今や二ケタもままならないという現状に、その落胆ぶりが現れていた。
――年明けか、あるいは年末年始のどこかで、何かあったな。
そういえば、遠藤さんへのつきまとい行為はいつくらいから始まったのだろう。もしもこのブログの変化の時期とリンクしているならば、原因はそこと無縁ではないはずだ。いや、仮につきまといが年末よりも前だったとしても、それが徐々にエスカレートし、どんどん忙しくなって、ブログ記事のための遠出をする暇がなくなったとも考えられる。
――何なら、つきまとうついでに記事の取材をしてるとか――?
あり得る。というかそうに違いない。年明け以降の三つの記事に書かれた中川の散策先は、その時期の遠藤さんの行動と照らし合わせたら、きっと一致する――
三本の記事をもう一度精査しようとしたところで、出勤時刻が近づいていることに気付き、パソコンを閉じた。続きはスマホで見るとしよう。
身支度を整えて部屋を出た。駅に向かう途中で内ポケットのスマホが振動したが、歩きスマホは危険だ。歩調を速めて、駅舎に入ると同時にポケットに手を入れた。
案の定、マロンちゃんからの返信だった。
《――二日酔い大丈夫です。本当にごめんなさい。あのお店、美味しかったですね。また誘ってください――》
ふう、よかった。あまり恐縮されると、こちらも気後れしてしまう。その、なんて言うか……次の機会を。
とにかくまぁ、これで二回『デートっぽいこと』をしたわけだが、彼女といるのは楽しい。先のことは分からないけれど、こんな感じで続けていけたらと思う。
そのためにも、遠藤さんのことは早く決着させないとな。
ホームに電車が入って来た。さあ、まずは仕事だ。
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