第三話 悪魔にみつかる

 

 会議には十二分遅れで到着した。主任に怒られ、係長に嫌味を言われ、あの人には冷ややかな視線で非難され、完全に委縮しながら席に着いた。聞き込みの報告こそ難なくこなせたものの、そのあと、全員の報告を集約した現時点での犯人像の推察、今後の捜査方針、今日これからの役割分担が話し合われているあいだ、正直、気もそぞろだった。もちろんあのチョコレートのせいだった。


 会議のあと、刑事部屋に戻ってデスクに着くなり、近づいてきたあの人に声をかけられた。

「何かあったの」

「えっ――」俯いたままで振り返り、そこからさらに頭を下げて言った。「すいません、ご迷惑かけました」

「謝罪はさっき聞いたわ。いま要求してるのはその理由よ」

 そう言うとあの人は腕組みして見下ろして来た。


 一条みちる警部、刑事課課長代理。東大法学部出の二十五歳。即ちキャリア。ただし、通り一遍の腰掛け現場経験でさっさと出世していく一般的なキャリアと違って、現場にこだわり、どんな些細な事件にでも首を突っ込んでくる厄介なエリート。おまけにキャリアゆえのプライドの高さと元来のお嬢様育ちの高慢さが相まって、周囲の反感を買いまくっているのだが、まるで意に介していない。要するにかなりの変わり種だ。ところが完璧に可愛い。ギャップ萌えの典型。ますます厄介だ。


「えっとあの、駅でちょっと」

「故障か何か? それとも人身事故?」

「いえ、そういうのとは違って」

 つい正直に答えて、その瞬間にしまったと後悔した。

 するとやっぱり、

「じゃあ何があったの」

 と食い下がられた。めんどくさいな。

「大したことじゃないんです。たまたま顔見知りの人に会って、ちょっと話してたら乗るつもりの電車を逃しちゃって」

「ふうん」

 警部は腕組みしたまま、じっとりとした視線を投げかけてくる。どうやら納得していないようだ。

「あ、じゃあボク、聞き込みに」

「どういう顔見知り?」

 さすがにしつこい! 何なんだよ?

「どうって……ホントにちょっとした」

「ちょっとした顔見知りと話すのに、わざわざ遅刻したの?」

 警部は溜め息をつき、一度顔を逸らしてすぐにまた厳しい眼差しを向けてきて言った。「あなた仕事ナメてる?」

「いえ、決して」激しく手を振った。

「しかも到着してからも、心ここに在らずって感じだったし」

「そんなことないです」今度は頭をぶん、と振った。ちょっとクラっとした。

「単純な事件だと思って甘く見てると、足元すくわれるわよ。みたいに」

「……分かってます。甘く見てません」

 嫌味なこと言うなぁ。気にしてるの知ってるくせに。

「まあいいわ。聞き込みに行きなさい」

 は? いいのかよ? ホントもう、何⁇

「はい、すいません。行きます」

 ちょっとふてくされて言ってやった。椅子の背にかけていたリュックを掴み、それを無造作に背負いながら彼女の前を横切ってドアに向かった。ちょっと肩に痛みが走ったが、構ってられなかった。

 そして、ドアの前まで来てノブに手をかけたときだった。

「二宮くん」


 もう、いい加減にしてくれ。遅刻を咎めているくせに、これ以上時間を無駄にしてどうする――


「……はい」

 溜め息とともに振り返って、ゆるゆると顔をあげる。

「何でしょうか――」

 すると警部はさっきまでとはうって変わった可愛い笑顔で、両手で持ったを小さく振りながら噛み締めるように言った。

「落しものよ」

「――――!!!!!」


 絶句して立ち尽くす二宮。これがドラマの台本なら、そうト書きを入れてくれ。


「もしかしてチョコレートかしら。今日はそういう日だもの」


 ああ、何という大失態。俺は大バカ者だ。


「遅刻の原因はこれね。さんにもらったの?」

 何も答えられずにいると、警部はゆっくりと歩いてこちらに来た。相変わらずの可憐な笑顔だったが、恐る恐る覗くと、瞳の奥に『面白いもん、見っけ♪』とはしゃぐ好奇心が光っていた。

 やがて目の前に来た警部は、包みを差し出すと弾んだ声で言った。

「聞き込み、同行するわ」


 勘弁してくれ――。

 それと、仕事ナメてんのあんたじゃね?


 嬉々として外出準備を整える警部を眺めながら、この人はきっとバレンタインデーというものにたいした恋愛上の価値を認めていないのだろうなと思った。だから、たとえば義理チョコというある意味職場での円滑なコミュニケーションツールの存在についても、きっといとも鮮やかに否定するだろう。そうでないと、こんなにもあからさまに人がチョコレートを貰ったことを面白がらない。部下のささやかな幸せを一緒に喜べとは言わないし、ましてや嫉妬して欲しいなんておこがましいことも考えないが、弄ぶとは何事だ。とにかく、ほっといてくれ。この人は厄介なクールビューティーなんかじゃない。小悪魔、いや純正の悪魔だ。今さら思い知ったところでどうにもならないが。


「さ、行きましょ」

 ショルダーバッグを肩にかけて戻ってきた警部は、車の鍵を差し出して言った。「運転して」


 黙って鍵を受け取りながら、何だよ俺も、結局言うこと聞いちゃうんだよなと、自分の愚かな想いを歯痒く思った。


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