第四話 一矢報いたぞ


 聞き込みは順調に進んだ。ただ今回の事件はその対象人数が多く、それぞれの素性も多岐に渡っていた。中には仕事の昼休みにしか捕まらない相手もいて、休憩抜きのぶっ通しの作業が一通り終わった時点で時計は二時を指していた。

 そこでようやく遅めの昼食を摂ることにして、最後に聞き込みをした対象人物の勤務先近くにある生パスタ専門のファミレスに入った。


「――何にするか決まった?」

 メニューを前に真剣な表情で一つ一つのパスタを吟味しながら、警部が訊いてきた。

「あ、はい。この『生ハムとほうれん草のカルボナーラ』で」

「それね。わたしも気になってた」警部はうんうんと頷いた。「カルボナーラの中ではそれよね」

「ここの名物みたいですよ。カルボナーラ」

「そうなのよねー」

 警部は握り拳を作って顎に当て、またメニューに視線を落としてページをめくり始めた。まるで捜査資料を精査しているときと同じだなと思って、ちょっと呆れた。

「食べることにこだわりがあるんですね」

「あたりまえじゃない。基本一日たった三回で、その日の活力を補うのよ。ちゃんと選ばないと」警部は顔を上げた。「特にこんな仕事してるとね、食べられるときにしっかり食べておこう、って心がけてるの」

「とか言いながら、単純に食べることが好きなんでしょ」

「もちろんそれもあり。食いしん坊だからね」警部はふふんと笑ってメニューに視線を戻した。

「で、何にするんですか」

「ペスカトーレとボロネーゼで迷ってる。でもトマトソースの気分なのよね」

「じゃあ、その『海老とヤリイカのペスカトーレ』ですね」

「うーんでもやっぱりカルボナーラも――」

「あげますよ。ボクのを」

「ほんと?」警部は目を輝かせた。「……あ、でも――」

「大丈夫です、ボクは要りませんから。ペスカトーレ」

「そう? ならお言葉に甘えて」

 警部はにっこり笑ってメニューを閉じた。「じゃ、それで。楽しみ」

 やれやれ、いちいち可愛さを前面に押し出してくれるよなと思いながら、スタッフの呼び出しボタンを押した。


 注文を済ませ、上着のポケットからスマホを取り出して画面のロックを解除しようとしたところで、警部が身を乗り出して来た。

「それで? どんな女性なの?」

「は、何のことですか」

 来たぞと心臓をバクバクさせつつも、極力平静を装って言った。

「ちょっともうー。そういうの無しよ」

 警部はぷっと頰を膨らませた。「この話を聞くために、しんどい聞き込みを頑張ったんだからぁ」

「仕事ナメてるのは警部でしょ」眉を寄せて言った。

「わたしは常に真剣勝負よ」警部はしれっと肩をすくめる。「ほら。さっさと白状しちゃいなさい」

「嫌ですよ。てかそもそも報告義務あります?」

「あるわよ。遅刻の原因なんだから」

「でも相手の個人情報は対象外ですよね」

「それを言っちゃうとおしまいよ」警部はにやっと笑った。「もう。堅いこと言わないの」

 相変わらずしつこいな。そんなんじゃないんだよ。ちょっと苛立ちを覚えた。

「そもそも、警部が思ってるようなことじゃありませんから」

「というと?」

「その……要するに、告白とか」

「駅で女の子にチョコ渡されたんじゃないの?」

「それはそうですけど」

「じゃあ告白じゃん」

 そう言ってまたにやにやしている。そして明らかにワクワクしている。こういうとこ女子なんだよな。くそ、暇つぶしの恋バナ提供者になんかならないぞ――。


――と、決心したのもつかの間。注文したパスタが運ばれて来て、ひと口目を呑み込む頃には、駅での一部始終を白状させられていた。ああ、俺のバカ。


「――ふうん。で、二宮くんはそれがメイドカフェへの勧誘活動だっていうの?」

「ええ」

「わざわざ? 朝早く起きて?」警部はグラスの水を飲んだ。「ずいぶんと手の込んだプロモーションね」

「そういう盛り上げ方をした方が、こっちが喜ぶと思ってるんでしょ」

「そんな不効率なことするかしら。必ず会えるって保証もないのに」

「まあ……そうですけど」

「わたしは違うと思う」警部は首を傾げた。「その彼女、本当に二宮くんのことが好きなのよ」

「……からかわないでくださいよ」

 思わず俯いた。だいぶ恥ずかしかったのがあるし、少し嬉しかったのもあるが、戸惑ったのが一番の気持ちだった。この人にそう言われることが、正直、受け容れ難かった。

「からかってなんかいないわ」警部は真顔で否定してきた。「自分では気づいてないかも知れないけれど、二宮くん、あなた意外にそこそこイケてるわよ」

「……『意外に』『そこそこ』ね。盛大に失礼なこと言ってるの分かってます?」

「ごめんごめん。わたし、嘘はつけないのよ」警部は無邪気に笑った。「でも、ちゃんと褒めてるのよ」

「……そうですか。ありがとうございます」意識して苦笑いを浮かべた。「ま、どうせ芹沢せりざわさんには遠く及びませんけどね」

「……あら」警部は肩をすくめた。「そういうつもりじゃないわ」

 芹沢さんというのは警部の彼氏だ。大阪府警の刑事で、容姿だけでなく、中身もモテ要素満載の規格外のイケメンである。

「いいですよ、お気遣いなく。ひねくれてすいません」ぺこりと頭を下げ、顔を上げて言った。「とにかく、チョコのことはご心配いただかなくて大丈夫です」

「心配なんてしてないけど――」

「警部の方はどうなんです? 芹沢さんにチョコレートあげるんでしょ?」

「えっ……」

 警部はあからさまに怯んだ。おや、なんか様子がヘンだぞ。

「予定してないんですか? バレンタインデート」

「……別に。必要ないもの」警部はフォークでアサリの殻をつついた。

「どうして?」

「だって、バレンタインっていうのは、女子が好きな相手に勇気を出して想いを告白する日でしょ。わたしたちはすでにそういうのじゃないもの」

「建前はね。でもカップルだったら普通にデートしてるじゃないですか」

「そうだけど――」

「忙しいんですか、芹沢さん」

「……知らない」

 警部は拗ねたように言ってパスタをくるくると巻いた。ははぁ、こりゃどうやら何かあったな。

が立ってるんですか。西天満署にしてんましょに」

「さあ。違うと思うけど」警部は肩をすくめた。「別にどうでもいいし」

「え、喧嘩でもしてるんですか?」

「…………」

 わっかりやすいなぁ! 喧嘩してんじゃん!

「……警部。ボクのプライバシーに首突っ込んでる場合じゃないでしょ」

「だって――」

 警部はフォークを置き、椅子の背に身体を預けて宙を見た。「目を逸らせたかったのよ。自分の問題から」

「……大丈夫ですかそれで」思わずため息が出た。「知りませんよ。バレンタインだし、芹沢さんのこと、虎視眈々と狙ってる女子がウジャウジャいるんじゃないですか」

「――! 言わないでよそれ」警部は身を乗り出してきた。「……死ぬほど心配なの」 


 ――よくそれで人のことな。まったく、この上司にも呆れたもんだと思いながら、思いがけず形勢逆転ができたことを密かに喜ぶ自分がいたのも事実だった。


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