終章

 終章



 近くでぼそぼそと話す声が聞こえる。

「―――…ですか? 今、みんな出払ってて。ノインを起こしましょうか」

「いや、いいよ。急ぎではないから、またくる」

 かくんと首が落ち、ノインは目を覚ました。気付いたらしいジズが覗き込んでくる。

「ノイン? 起きた?」

「……ふぁ」

 ノインは返事をしたつもりだったが、言葉になっていなかった。ぼんやりとしたまま眼鏡を外して目頭を揉むと、頭上から笑い声が降ってくる。

「お疲れのようですね」

 眼鏡をかけ直して見上げれば、ジズの傍らにフリストが立っていた。

「フリスト大佐……いえ、少将」

 以前の階級で呼んでしまい、言い直すと、フリストは困ったような笑みを浮かべる。

「大佐でいいですよ。少将というのはまだ馴染みがなくて」

「そうはいきません。呼ばれていればそのうち慣れますよ」

 十日ほど前、フリストは先日のクーデター騒動収束の功績により少将に昇進した。本人は昇進などしたくないと渋い顔をしていたが、至極妥当だとノインは思う。口さがない者は、壊滅状態の上層部の穴埋めだと噂したが、やっかみの声もそのうち消えるだろう。

 ノインにも昇進の話はあった。しかし、現状でも十分大変なのに、これ以上昇進してたまるかと全力で固辞したのだ。バーレス少将には―――勿論嘘泣きだろうが―――泣かれ、一命を取り留めて意識を回復したヘルモードには呆れられたが、最終的にレートフェティが無理強いはよくないと言ってくれて、ノインは准将のままである。

 大国の割に人材不足なのは、無駄な戦を重ねていたからだ。元々軍部と対立していた評議会は、この機に軍縮に乗り出すかも知れない。軍令部長の死亡を受け、後任になったヘルモードが健在なので簡単にはいかないだろうが、それはそれでいいとノインは考えている。軍事国家と揶揄されていた国が、あるべき形に戻るだけだ。

「それで、何かご用でしょうか」

「先程、虹翅の姫とアレクシア女史が発ちました」

 告げられた言葉を聞いてノインは僅かに目を見開いた。

「……そうですか」

 騒動からは一月が経とうとしているが、クーデター首謀者たちへの尋問と、裏付けの調査は続いている。

 一方、ルーシェとアレクシアは素直に尋問に応じ、軍が調査した事実とも相違点はなかったという。

 しかし、二人とも、鈴鳴については一切触れなかった。知っている人間はノインとジズのみで、すぐには証明する方法を思いつかなかったので、公にはなっていない。ルーシェの啼き声が人間の精神に及ぼす影響を解明するには、実験と検証を重ねるしかない。

 ただ、ルーシェたちが軟禁されて出歩かなくなり、耳鳴りもしなくなってからというもの、軍部の大半が、憑き物が落ちたように戦の話をしなくなったため、そういうことだったのだろうとノインは思っている。

 フリストが軽く肩を竦める。

「虹翅の姫とアレクシア女史については、殆ど罪には問えなかったようですね。本人たちの証言からこじつけた不敬罪だけだったとは、司法官も不甲斐ない」

「……証拠が出なかったそうですから、仕方ありません」

 反乱兵がルーシェの離宮へ立て籠もり、女王を人質にとったのは、女王が離宮を訪れる日時を知ったからで、それはアレクシアがスロールに伝えたのだという。スロールはフリストの副官であり、フリストはルーシェの離宮の警備責任者だ。フリストが多忙で、スロールの方が連絡が取りやすかったのだとすれば、少々―――大分苦しいが、一応の筋は通る。

 軍議への不意打ちはともかく、ルーシェとアレクシアが協力していたのなら離宮への立て籠もりはすんなりいったことだろう。しかし、ルーシェとアレクシアは関与を否定した。反乱兵からも、彼女たちと通じていたという証言は出ていないという。

 とはいえ、そもそも離宮の警備兵は少ない。女王の衛兵を数に入れても、反乱兵が押し寄せれば制圧は容易だったことだろう。例によって、ルーシェが「呼んだ」のかもしれない。

 女王に使われた香草と香炉はアレクシアが持ち込んだものであると判明したが、焚いたのは反乱兵だったという。アレクシアは反乱兵へエバクリス草の説明をしたし、種子の危険性も伝えたが、反乱兵は種子の混入に気付かず焚いてしまった、というのが彼女の主張だ。そして、これにも反乱兵側から明確な反論はない。

 ノインは、エバクリス草についてアレクシアが不必要に詳細な説明をしたのではないかと考えている。それで草と種子の効能を知ったスロールたちは、レートフェティを催眠状態にして、味方に付けようと画策した。

 キナリス草の種子は素人が扱っていいものではない。一歩間違えばレートフェティは廃人になっていたか、命を落としていたかも知れない。そうならなくて本当に良かった。

 アレクシアは、彼女の言葉どおりクーデターとは直接関わっていないのだろう。スロールはアレクシアを利用しようとして、アレクシアもまたスロールたちを利用した。その結果があの離宮での騒ぎだ。

 そして尋問の結果、ルーシェとアレクシアはクーデター加担による極刑ではなく、不敬罪による王都追放―――僻地の古い塔に無期限で幽閉されることになった。

 今日王都を出ることはノインにも知らされていたが、敢えて時間は聞かなかったし、見送りをするつもりもなかった。彼女たちにとどめを刺したようなものなのに、どういう顔をすればいいのかわからなかったからだ。

「ある意味……、あの二人も被害者ですから」

 何を言い出すのかと言いたげにフリストが眉を顰める。

「ノイン准将はお優しいと言うか、甘いですよね」

「そんな本人を前にしてはっきりと。―――今回のことじゃないですよ。何年も前の、戦の話です」

 彼女たちがグランエスカを恨むのは当然だ。グランエスカ王国に武力を以て滅ぼされたセドナ王国の、女王の侍女だったアレクシアが、大義もなく己の保身のためだけに他国を滅ぼしたノインを許せず、憎く思うのも、無理からぬことだと思う。

 同情したわけではないし、ヘルギとジズを巻き込んだのは許せない。だが、そのことについてはノインは訴え出ることはしなかった。ヘルギに連絡を取り、彼女に接触した「誰か」の正体を教えて、それに対する意向を訊いてみたが、彼女が訴えることはしないと言ったからだ。ヘルギは忘れてしまいたいようだったし、ならばノインが騒ぎ立てることではないと思った。

 アレクシアは何も言ってこなかったが、兵士を通して手紙を寄越し、ジズに使った薬草の種類を伝えてきた。これでジズの暗示は解けるだろう。

 フリストはやれやれと言いたげにかぶりを降った。

「だからといって此度のことは正当化されませんし、理由にもなりません。過去は過去、現在は現在です」

「……そうですね」

 同意すると、フリストは複雑そうな表情になる。きっと彼は、ノインが反駁しても同調しても納得しないのだろう。

 一つ息をついてフリストは気を取り直した様子で笑んで見せた。

「では、私は戻ります」

「わざわざすみません。呼んでくだされば参りますのに」

「いいえ、気分転換に丁度いいですから。……私の机も、同じような有様なので」

 言いながらフリストが見下ろすノインの机は、半分ほどが書類で埋まっている。少し前は机の天板が見えないほどだったので多少はましになっているのだが、なかなか減ってくれない。ここのところはずっと書類と格闘している気がする。

「そのうち時間ができたら、ご飯でも食べましょうね」

 言い置いてフリストはノインの執務室を出て行った。

 果たして時間ができる日などくるのだろうかと思いつつ、ノインは伸びをする。連日の睡眠不足が祟っているのか、なかなか集中できない。居眠りするよりはいっそ仮眠した方がいいだろうかと息をついた。

(けど、寝ようとしても明るいうちは仕事が気になって眠れないし……)

 夜になれば、休むのも仕事のうちだと言い訳も立つのだがと思いつつ仕事に戻る。書類にペンを走らせながらふと顔を上げ、脇の机で書類の仕分けに戻ったジズがちらちらと視線を送って来ているのに気付いた。

「どうしたんだい、ジズ」

 問えば、ジズはびくりと肩を揺らした。ぎこちない動きでノインの方を見る。

「な、何? こっちの山はまだ分け終わってないけど」

「書類じゃなくて。何か用でもあるのかと思って」

「用って……別に、何も」

「そうかい? ならいいんだ」

 書類を捲ろうとしてふと、ノインは尋ねてみる。

「ジズ、本当によかったのかい?」

「……何が?」

「アレクシアさんのこと。君を『人形』にして、暗殺させようとしたことをちゃんと訴え出れば、それ相応の」

「いいよ。前も言ったろ」

 ジズは顔を上げずにノインを遮った。

「……ここにくるまえのことは覚えてないし……貧民街にいたんだろ、おれ。ならもっと酷い暮らしだったかもだし。暗示が解けるなら、それ以上望まないよ。あの人が罰を受けたって、おれの記憶は戻らないだろ」

「そうか」

 ジズに無理をしている様子はなく、ジズがいいならいいとノインは仕事を再開する。しばしの間紙が捲られる音だけが響き、やがて沈黙に耐えかねたようにジズが口を開いた。

「あ……あのさ」

「うん?」

 顔を上げたノインが首をかしげると、ジズは何度か躊躇ってから思い切ったように言う。

「おれ……、どうなるんだ?」

「どう、とは?」

「ルーシェはもういないわけだろ。おれ、一応ルーシェの侍従扱いじゃなかったか?」

「ああ……そういえば、そうだったね」

 侍従の仕事は殆どしていなかったのですっかり忘れていたが、ジズはルーシェが侍女の代わりに選んだのだったと思い出す。同じくルーシェの侍女だったライヤとナンナは、それぞれ別の部署に配属された。しかし、ジズには行く場所がない。従軍できるのは十六歳からだ。

「もう俺の私設秘書ってことでいい気がするけど。仕事も死ぬほど増えたし。死ぬほど」

「生きろ。じゃなくて、真面目にさ」

「そうだなあ。―――ジズ、うちの子にならないかい?」

 少し前からぼんやりと考えていたことを告げれば、ジズは一瞬きょとんとした後一杯に瞠目した。それからノインを睨む。

「……真面目にっつってんだろ。怒るぞ」

「真面目だとも。カルスルーエ家は、家柄だけはいいから悪い話じゃないと思うよ。まったく血縁のない養子だから、相続は微妙だけどね」

 ノインが冗談で言っているのではないというのが伝わったか、ジズは戸惑った様子で視線を彷徨わせた。

「あんた、もう息子がいるじゃないか。そっちを大事にしろよ」

「勿論、エルはとても大事だよ。でも、もう一人増えてもいいなと思って」

「……嘘つけ。おれにやたら親切にしてくれたのだって、あの子の代わりだったくせに」

 独白のように呟き、ジズは拳を握り締めた。ノインはかぶりを振る。

「そんなこと……」

「助けてくれて、ここに置いてくれたことには感謝してる。でもおれは、あの子の代わりにはなれない」

「代わりだなんて思わないさ。……まあ、最初のうち多少重ねてたのは否定できないけど、エルはエル、ジズはジズだ。どっちも大事。矛盾することはないだろう?」

 同じ年頃の息子がいるのだから、甘くなってしまうのは仕方がないとノインは最早開き直っている。重ねてしまうことはあるが、それでも、代わりだとか同じだとかは思わない。誰も、誰かの代わりになどなれないのだ。

 俯いてしまったジズは、微かに首を左右に振った。

「今更……、あんたを父親だなんて思えない」

「いいよそんなの。書類上だけさ。ここで生きていくなら、貴族籍は便利だよ」

 ジズは驚いたように顔を上げた。

「ここで、生きる……」

「まあ、俺の養子ってことで、良くも悪くもいろいろ言われるだろうけどね。―――今すぐ答えを出せとは言わないから、ゆっくり考えて。勿論、ジズがこの話を断っても、何も変わらない。俺ががっかりして落ち込んで夜な夜な枕を濡らすだけで」

「……そうやって罪悪感に訴えるのやめろよな」

 恨めしげに言うジズへ、ノインは笑顔を向ける。

「はっはっは。大人は狡いんだよ」

 わざと笑い声を立てたところで、扉が叩かれた。返事をすると、紙の束を抱えたロズルが、器用に扉を開けて入って来る。

「失礼します。准将、こちらにも決裁を」

 どさりと置かれた書類を目にして、ノインは机に突っ伏した。

「また増えた……」

 当分書類地獄からは抜け出せそうにない。



 了

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月鈴子の散華 楸 茉夕 @nell_nell

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