一章 3-1
3
呼んでいる。
遠く近く、高く低く、人の声とも鈴の
しかし、声のする方向は判然とせず、自分がどうなっているのかもわからない。立っているのか寝ているのかはおろか、上下左右、周囲の明暗すら判断できない。あるいは、もう死んでいるのかも知れないと考えて、奇妙に思った。生きていなければ、死ぬことはできない。ならば、なんらかの生き物だったはずだ。
声は―――音は―――続いている。聞こえるならば耳はあるはずだ。考えられるなら頭もある。他はどうなっているかは、いくら考えてもわからなかった。
ただ一つ、やらなければならないことがあったような気がする。何を犠牲にしてもやり
声は止まない。呼び続けている。ずっと耳を傾けていると、不意に言葉になった。
「やっと集まったわ」
何を言っているかはわかる。しかし、意味はわからない。
「集まったら、起きられるわよね。起きてちょうだい」
声は起きろと言う。起きるも何も、自分の状態もわからないのに、どうすればいいのだと思った。
「さあ、起きて。たくさんお話ししましょう」
その言葉を合図にしたかのように、一気に感覚が戻った。自分は横になっていて、目を閉じている。まずはそうするべきだと思ったので、ゆっくりと
「気がついたかい?」
降ってきたのは呼んでいたのは違う声で、最初に目に入ったのは鮮やかな赤だった。炎かと思ったそれは誰かの髪―――長い赤毛なのだと思った瞬間、胸の
覗き込んでいる赤毛の青年の、眼鏡の奥の瞳は朝日のような金色をしている。目が合うと、青年は柔らかく微笑んだ。
「気分は? ああ、辛いなら声を出さなくてもいいよ。今、医者を―――」
「ずるいわ、ノイン!」
青年の言葉は少女の声に遮られた。視界に入らない場所に少女がいるらしい。
「わたしが最初にお話ししたいと思ったのに!」
「ルーシェ、少し静かに。この子は目を覚ましたばかりで」
「知っているわ、やっと集まって起きたのだもの」
「集まって? ……とにかく、ヴィーラント大尉を呼びましょう」
「いやよ、お話しするの!」
「……アレクシアさん、どこですか」
周囲は突然騒がしくなった。
* * *
「……なるほど、嘘はないようですね」
ヘルモードの声は地を這うようで、ノインは少年を気の毒に思った。背もたれ代わりのクッションに身を預けてようやく上体を起こしているのだが、ヘルモードは容赦がない。
何事にも周到なヘルモードは、ノインの知らぬ間に、少年が目覚めたらすぐに知らせるようにと警備兵に命じていたらしい。そのため、医者のヴィーラントよりも先にヘルモードが面会することになってしまった。
ノインの傍らには椅子に腰掛けたヘルモードがおり、その背後に彼女の部下が並んでいる。弱っているのだから兵士は必要ないだろうというノインの進言は聞き入れられず、この有様である。武器は向けられないまでも厳めしい軍人に取り囲まれ、少年はすっかり萎縮してしまっているように見えた。
少年は五日間眠り続け、今日目覚めた。「人形」ではなかったのか、あるいは万が一があったのかとノインは驚いたが、意識が戻ったのは歓迎すべきことだ。
(だが……結局何もわからなかったな)
目を覚ました少年は、何も覚えていなかった。名前も、年も、出身地も、王城へ侵入した目的も、ここへくる前にどこにいたのかも、一切覚えていないという。むしろ、ここが王城の敷地にある離宮だと聞いて驚いていた。
ノインは最初、雇い主か誰かに義理立てして忘れたふりをしているのかも知れないと考えたが、ヘルモードの巧みな誘導尋問にも一切引っかからなかった少年の様子は演技には見えず、彼自身も本当に困惑しているように感じた。
ヘルモードの苛立ちが伝わってきて、ノインはため息をつく代わりに目を窓の外へと向けた。ほぼ同時に、
「中将、今日はこれくらいで……目を覚ましたばかりですから」
ヘルモードはノインを睨み上げた。反射的に謝りそうになるのを堪え、続ける。
「新たに何かわかりましたら、報告に上がります」
束の間のインを見つめ、ヘルモードは息をついて立ち上がった。
「いいでしょう、後は任せます。准将なら子供の扱いはお手の物でしょうしね」
「ご厚情、感謝いたします」
「感謝など結構。職務を果たしてください」
兵士たちを引き連れ、去って行くヘルモードと入れ替わるように、居間で待たされていたルーシェが戻ってきた。
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