四章 4-2

     *     *     *


 離宮が急に静かになった。正面側で派手な戦闘が始まったときは驚いたが、徐々に落ち着いていき、今はざわめきと鈴鳴以外に何も聞こえない。

(終わっ、た……?)

 ジズはそっと周囲を伺った。ノインにジズのことを頼まれていた兵士は、ジズが大人しくしていることに安心したか、少し離れた場所で別の兵士と喋っている。

(終わったなら、いいよな)

 ジズは篝火の明かりから逃れるようにじりじりと移動し、そっと包囲の輪から離れた。ある程度の距離を取ってから離宮の裏口を目指して駆け出す。ほぼ同時に、戦え戦えと啼いていたルーシェが調子を変えた。

(……「くるな」?)

 どういうことだとジズは首を捻った。ノインたちは女王とルーシェを助けに行った。喧噪が鎮まったのだから、戦闘は終わって救出が進んでいるものとジズは思っていたのだが、「くるな」と啼く意味がわからない。まさか助け出されたくないわけではあるまい。

(自力で出るからってことかな……知らない兵士に近付かれたくないとか。でも、一緒にいるのはアレクシアさんだけだろうし……やっぱり)

 ルーシェが首謀者なのではないかと言ったのはジズだが、己でも半信半疑だった。「くるな」というのも、ルーシェの極端な人間の選り好みからだと考える方が自然かも知れない。だが、彼女が鈴鳴で兵士を操っているのだという考えが消えない。

(もし……、全部ルーシェに仕組まれたことだとしたら……)

 離宮へ近付き、人が倒れているのに気付いてジズはぎくりと足を止めた。死んでいるのか気絶しているだけなのか判断がつかず、ジズはなるべく距離を取って横を通り過ぎる。

 中へ入ると、上階からの騒ぎが伝わってくる。ノインは女王の許へ向かっただろうから、ジズもそこへ行きたいのだが、メイドに化けて入ったときの表からの道順しかわからない。

(ええと、裏口は西側にあるんだから……駄目だ、一回表に行こう)

 ジズは裏口から建物に入るのは今が初めてだ。離宮で生活しているとはいえ日が浅い上に、大半は療養していたので、造りをすべて把握しているわけではない。迷うよりはいいだろうと、ジズは正面入り口へ出ることにした。廊下を通り抜けて中庭へ降りる。建物が中庭を囲む造りになっているがゆえに、ぐるりと回るより庭を突っ切った方が早い。

「……?」

 進んで行くと鈴の音が近くなって、ジズは歩を緩めて首を巡らせた。

 中庭には常夜灯が点っており、植木の間に白磁の動物が不気味に浮かび上がっている。いつかの国王の道楽で作られたのであろうこの像が苦手なジズは、あまり視界に入れないようにしながら石畳の歩道を進んだ。

 やがて、やや開けて大木がそびえている場所に出る。大木の張りだした根にルーシェが腰掛けており、ジズは足を止めて瞠目する。

(なんで……こんなところに)

 人質としての価値は女王の方が遙かに大きいだろう。しかし、だからといって野放しというのはどうなのかと思うし、自由にされているのなら外へ逃げればいいのにとも思う。

 予想外の事態に戸惑っていると、ルーシェがジズへ顔を向けた。鈴鳴がやむ。

「まあ、ジズ。ジズなのね。アレクシアの言う通りかも知れないわ」

 言いながらルーシェが傍らを見上げる。彼女の視線を追い、ジズは影のように佇むアレクシアに気付いた。アレクシアと目が合い、その視線の冷たさにぞっと肌を粟立てる。

 アレクシアはルーシェを守るように進み出た。

「ですから申し上げましたでしょう。ジズは姫様のお声を聞き分けていると」

「ノインじゃなかったのね。凄いわ、そんな人初めてよ。どうしてわかるのかしら」

「ジズ、こちらへきて姫様のご質問に答えなさい」

 立ち竦んでいたジズは、警戒しつつ二人との距離を縮めた。腰に差した短剣を確かめる。

「どうして……かは、わかりません」

 ルーシェはこくんと小首をかしげた。

「でも、今わたしがなんて言っていたかわかるのでしょう」

「……『くるな』と」

「そうよ! やっぱりわかるのね。今までのも全部『聞こえ』ていたの?」

 ジズが躊躇いがちに首肯すると、ルーシェは嬉しそうに笑い、対照的にアレクシアは表情を険しくした。

 ルーシェは身を乗り出すようにして質問を重ねる。

「わたしの『声』を聞くと、みんなのですって。でもジズは違うのね。どうして?」

「……わかりません」

「わからないの? 自分のことなのに。やっぱり、『聞こえ』ているからなのかしら。わたしが呼んだから、『聞こえ』るようになったのかしら?」

 ルーシェは言いながら逆側に首をかたむけた。

「あと、ノインにもあんまり効かないみたい。どうしてかわかる?」

 ノインに影響が薄いことを気付いていたのかと少々驚きつつ、ジズはかぶりを振った。鈴鳴に耐性のつく薬草があるかも知れないことは言わない方がいいだろう。ジズとて、どの薬草の効果なのかは知らないのだ。

 ルーシェが尋ねるのをやめた代わりのようにアレクシアが口を開く。

「いつから姫様のお声が聞こえていたの?」

「最初から……、です。幻聴かとも思ったんですけど」

「他に誰か知っている?」

 ノインが知っているが、口にしていいものか迷ってジズはアレクシアとルーシェを交互に見た。黙っていると、アレクシアが苛立たしげに急かす。

「答えなさい」

「……ルーシェの『声』が聞こえては不都合なことでもあるんですか」

「あなたが知る必要はありません。他に誰が知っているのか言いなさい」

 冷厳な声音で要求だけを突き付けるアレクシアは、普段ルーシェの我が儘をため息混じりながらも許して気遣い、細々こまごまと世話を焼いている女性とは別人のように見えた。

 ジズは思い切って尋ねてみることにする。

「ヴェンド要塞でも、兵士に戦えって……今も反乱兵に、戦え、諦めるなって言ってましたよね。戦を長引かせようとしたんですか? それとも、全滅するまで戦わせようと?」

 ルーシェはきょとんと目を瞬いた。

「兵士は戦うのがお仕事よ。それに、グランエスカは戦が好きなのでしょう? それなら望み通り戦えばいいのよ」

「姫様」

 ルーシェを遮ってアレクシアは一つ息をついた。滑るような動作で一歩踏み出す。

「お喋りが過ぎますわ」

 言い終わるか終わらないかといううちに、アレクシアはジズの眼前まで迫っていた。ジズが短剣の柄に手をかけるよりも早く喉元で銀色が閃く。

「―――…!」

 切られる、と身を固くするジズの背後で銃声が響いた。アレクシアがもんどり打って倒れる。

「アレクシア!!」

 悲鳴のようなルーシェの声が響く。倒れたアレクシアはすぐに起き上がり、片膝をついたまま左手で細刃のナイフを構えた。右腕は力なく垂れ下がって指先から赤い雫が滴り落ちる。

(誰が……)

 振り返れば、銃を手にしたノインが中庭に面した二階の窓から飛び降りるところだった。

「ノイン!?」

 ジズは思わず声を上げる。しかし、難なく着地して駆け寄ってきたノインはジズの己に背後に押し遣りながら尋ねた。

「怪我は?」

「ないよ。それより、ノイン……」

「後で。―――話は大体聞かせて貰いました。説明してください、アレクシアさん」

 アレクシアもルーシェを背に庇いながら薄く笑う。

「ノイン様が狙撃もお得意でしたとは、驚きましたわ」

「そんなことはどうでもいい。説明を」

「説明も何も、ご覧の通りですが、これ以上言葉が必要でしょうか」

「では質問を変えます。ジズに刃を向けたのは何故ですか」

「姫様に脅威が及ぶと思いまして」

 事も無げにアレクシアが答え、ジズは目を見開いた。ノインの声が険を帯びる。

「ジズは何もしていないでしょう」

「ノイン様はご覧になっていないかも知れませんが、先程までは短剣を振り回して―――」

「そんなことしてない!」

 咄嗟に遮れば、ノインはジズを振り返って頷いた。

「ジズがついさっきまで短剣を振り回していたなら、まさにアレクシアさんが襲いかかってきたとき、鞘に収まっていたのはおかしな話ですね。言い訳をするならもっと考えた方がいい」

 向き直ると、ノインは突き付けるように言った。

「今回のクーデターと、女王陛下監禁の首謀者はあなたがたですね」

 アレクシアは芝居がかった仕草で大きく首をかたむける。

「あら、何故そうなりますの? わたくしも姫様も被害者でしてよ。部屋に閉じ込められ、それはそれは恐ろしい思いをいたしましたわ」

「その割りに、ルーシェは元気に啼いていたようですが」

「聞き違いではありませんか? ただの鈴の音でしょう」

「ジズが戦えという『声』を聞いています」

「子供の妄言に耳をお貸しになりますのね。ノイン様は本当にお優しい」

「ジズは妄言など吐きません。取り消してください」

 睨むノインと対照的に、アレクシアはくすくすと笑う。

「ノイン様は、自分よりも他人が侮辱されることに腹を立てるのですよね。偽善というか、御為おためごかしというか」

「あなたが私をどう思っているかなど、問題ではない」

 ノインはあきれたか、諦めたように息をついた。

「素直に罪を認めなさい。そうすれば弁明の機会も与えられるでしょう」

「わたくしが主犯だと、そう断じる根拠はありますの?」

「ヘルギと女王陛下、両方にエバクリス草を使ったのは失敗でしたね。香草や香炉の出所、クーデター発生当日の行動、他にも調べればいろいろ出てくるでしょう」

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