四章 4-3

 アレクシアは笑んだまま小首をかしげた。

「ヘルギ、さん……? どなたかしら」

「惚けないでください。ジズをヘルギに会わせたのはあなたなのでしょう? ジズを『人形』にしたのも。私が目障りなら、回りくどい手を使わずに自分で直接殺しにくればよかったのに」

 ジズは驚いてノインを見上げる。アレクシアは興を削がれたように鼻を鳴らした。

「あら、お気付きでしたのね。つまりませんわ」

「何がつまらないのですか。私が気付くように仕向けていたくせに」

「そこまでお気付きでしたか。そう仕向けられているとは知らず、突き止めたぞと得意になっているところをわらって差し上げたかったのに」

 アレクシアは、にやりと唇を歪める。

「でも、他意はありませんのよ。無理矢理に離縁させられ、いまだ愛している元妻に、刺客を差し向けられるほど憎まれていたと知ったときの、ノイン様のお顔を拝見したいと思いましたの」

 とんでもないことを言いながら楽しげにしているアレクシアを見て、ジズは背筋が寒くなった。しかし当のノインは堪えた様子もなく、雑談に応じているように返す。

「悪趣味も極まれりですね」

「なんとでも。わたくし、ノイン様のことが大嫌いですもの。楽に死んで欲しくないくらい」

 いっそ清々しいまでに言い切り、アレクシアは微笑んだ。ノインの声が険を帯びる。

「だったら、私一人を狙えばいい」

「ですから、楽に死んで欲しくないと申し上げましたでしょう。案外おつむが弱くていらっしゃるのかしら。ノイン様は、ご自分よりも周りのかたが傷つく方がお辛いのですもの、縁者を狙うに決まっていますでしょう。お優しいノイン様、善人ぶったお顔には虫酸が走りますわ。保身と地位の確立のために一国を潰しておいて、本当は戦がお嫌いですって?」

 アレクシアはにこにこと楽しそうに続ける。

「楽でいいですわね、開戦の邪魔をするだけで、下々に持て囃されるのですもの。ノイン様の一言で何人死にました? あなたのお利口な頭で何人殺したのですか。敵も味方も、無辜の民さえも。本当に戦がお好きではないなら、家族や故郷を失った人々の前で仰ってみればよろしい。戦は嫌いだ、殺戮は本意ではなかったと」

 ノインが反駁もせずに黙っているのをいいことに、アレクシアの口は止まらない。

「死ねと言われて死んだ方が、敵もまだ救われたでしょうに。逃げてばかりの将軍に、嫌々、仕方なく殺されるのは、やりきれないのではなくて? ノイン様の罪悪感を誤魔化すために尊厳を踏みにじられて、お可哀想に」

「ふざけんな!」

 ジズは堪らず声を上げた。

「ノインを気に入らないのはあんただけだろ! あんただけがノインを嫌いなんだ! 全員の代表みたいに、あんたの都合のいいように言うなよ!」

 アレクシアは鼻で笑い、哀れむようにかぶりを振る。

「まあまあ、よく飼い慣らされて。でもしつけがなっていませんわね」

「な……」

「ジズ」

 振り返ったノインは、柔らかく笑んでジズの頭をぽんと撫でた。アレクシアに向き直り、笑みを含んだ声音で告げる。

「気は済みましたか」

 アレクシアは笑みを消して目を眇めた。ノインは続ける。

「挑発にもなりません。その程度は大狸おおだぬきどもに散々言われて、慣れていますのでね。―――ですが、あなたが個人的に私を嫌いだというのはよくわかりました。そのことは仕方がありませんし、どうでもいいです」

 本当にどうでもよさそうに言葉を切って、ノインは視線を鋭くした。

「ぺらぺらとよく喋ってくださいました。完全に潔白だと証明されるまであなたがたには監視が付きます。部屋も新しく用意させますから、そちらへ移ってください」

「わたくしは何もしておりません。勿論、姫様もです」

「弁解は後で聞きます。黙秘したまま女王陛下の件に関わっていることが判明すれば、その時点で死罪です。お忘れなきよう」

 死にたくなければ洗い浚い喋れという意味にジズには聞こえたのだが、声を上げたのはルーシェだった。

「待って! 悪いのはわたしなの!」

 アレクシアが息を飲んでルーシェを振り返る。

「姫様!?」

「わたしが最初に言ったのだもの、グランエスカなどなくなってしまえばいいって! だから罰を受けるのはわたしよ!」

 ルーシェの言葉を聞いて、アレクシアは蒼白になった。ゆるゆると、次第に激しく首を左右に振る。

「いいえ……いいえ! 此度こたびのことも、これまでのことも、すべてわたくし一人のたくらみです。わたくしがおそれ多くも姫様を利用して、この国を割ろうとしたのです! 一切は姫様のあずかり知らぬところですわ!」

 声を張るアレクシアに負けじとルーシェも大声を出す。

「そんなことないわ! わたしは知っていたもの。アレクシアがわたしの望みを叶えようとしていたことを……グランエスカを壊そうとしてくれていたことを」

「でたらめはいけませんわ、姫様。姫様はそのようなことを一言も仰っていません! 絶対に!」

 アレクシアは強く否定するが、その必死さがルーシェの言葉を裏付けてしまっているようにジズには思えた。

「認めます。認めますとも。ノイン様なら、エバクリス草一つでヘルギ様と女王陛下を結びつけると思いましたわ。キナリス草をご自分で栽培なさっていたのは誤算でした。興味がなくとも、一度ノイン様の花壇を見に行っておけばよかったのです。それで焼き払っておけば。わたくしの不手際です。わたくし一人の!」

「いいの……、もういいのよ、アレクシア。セドナを滅ぼして王女様を殺したグランエスカは嫌いだけれど、アレクシアが死んでしまうのはいやよ。絶対にいや……」

 言いながらルーシェは立ち上がった。アレクシアの手をすり抜けてノインへ歩み寄り、祈るように両手を組み合わせる。

「全部話すし、なんでもするわ。だからお願いよ、ノイン。アレクシアを殺さないで。わたしにはもう何もないの。アレクシアしかいないの……」

 アレクシアの手からナイフが滑り落ちた。彼女は項垂れ、崩れ落ちるように肩を落とす。

「姫様……」

 ジズがそっと見上げると、ルーシェの申し出にノインは戸惑っているようだった。おそらく、ノインの独断で罪状を足したり引いたりはできないのだろう。ルーシェがすべてを告白したとしても、それで彼女たちが許されるとは限らない。

「処遇を決めるのは話を聞いてからでもいいではないですか」

 背後からかかった声に振り返れば、フリストが数人の兵士と共に立っていた。彼はゆっくりと近付いてくる。

「銃声が聞こえたのできてみれば、随分込み入った話をなさっているようだ。立ち聞きするつもりはなかったのですが、結果的にそうなってしまいましたね。すみません」

 フリストがノインの隣に並ぶと、ルーシェが怒声を上げる。

「それ以上近付かないで! アレクシアを殺しにきたのね!」

「そんなことはしませんよ。そのかたは罪人ですが、証人でもある」

「嘘よ! また剣で首を斬るの! あなたたちはいつもそう!」

 ノインとフリストは顔を見合わせ、同時に首をかしげる。ジズもルーシェの言うことがわからない。フリストと誰かを重ねているのかも知れない。

「ここは私が」

 言い置いてノインは両手を広げた。何も持っていないことを示すようにルーシェに向け、一歩一歩たしかめるように近付く。

「これ以上、ルーシェにも、アレクシアさんにも、危害は加えません。約束します」

「ノイン……」

 表情に迷いが浮かんだルーシェと視線を合わせるように、ノインは片膝をついた。

「先程の言葉に嘘はありませんね? 全部お話ししてくれますね」

 ルーシェは大きく頷く。

「嘘なんて言わない。アレクシアを助けてくれるなら、なんでもするわ」

「わかりました。ではまず、アレクシアさんを手当てさせましょう。ルーシェも一緒に。心配でしょうから」

 安堵したように表情を和らげるルーシェに微笑み、ノインはフリストを振り返った。彼は頷いて、連れてきた兵士たちに幾つか指示を出す。兵士たちはアレクシアとルーシェを抱きかかえるようにして連れて行った。大人しく連行されるアレクシアには最早、抵抗する意志はないようだった。

(あの人は、ルーシェの望みを叶えたかった……でも、ノインも憎かった。許せないほど……目的が霞んでしまうほど)

 聞いた相手に影響を及ぼす鈴鳴があるのだから、グランエスカを壊すだけならば誰にも気付かれずにやりおおせただろう。だが、アレクシアはそれだけでは飽きたらず、ノインを一番酷いやりかたで破滅させようとして、結局それがすべてを瓦解させた。

 目が眩むほどの憎しみを、ジズは知らない。何がアレクシアをそうさせたのかもわからない。けれど、それはきっと、知らない方が幸せなのだろう。

 戻ってきたノインは複雑そうにフリストを見上げる。

「どこからいたんですか?」

「御為ごかしあたりからですかね。少しは弁解したらいかがですか。聞いているほうが腹が立ちます」

「概ね本当のことですから、何を言っても言い訳になります」

 やれやれとでも言いたげにフリストは首を左右に振った。

「准将に悪役は似合いませんよ。さておき、外の部隊を呼びましたから、後始末は夜明けくらいまでになんとかなりそうです。被害は現在把握できている時点で―――」

 淡々と説明するフリストの、右腰の上から後ろ側に何か突き出ているのを見付けてジズは眉を寄せた。よくよく見ればそれはナイフの柄で、ぎょっと目を見開く。

「大佐!」

「あとは……なんだい、ジズくん?」

 言葉を切って振り返ったフリストに、ジズは柄を指差しながら言った。

「あの、これ……、さ、刺さってます……けど」

 口にしてみると妙に間が抜けていて、ジズはなんとも言えない気分になった。無論のことフリストは知っていたのだろう、驚きもせずに片手を閃かせる。

「いいよほっといて。今抜く方がまずい」

 フリストの背中側を覗き込み、ノインも瞠目した。

「刺さっ……何やってんですかあんた!」

「何って、後始末を、動けるうちに。手当てに行ったら安静を言い渡されるでしょう?」

「そういうことを訊いてるんじゃなく! 安静にしていたらいいじゃないですか! ばかですか!?」

「酷いな。内蔵は傷ついてないから大丈夫です。急所も外れてます」

「だから、そういう問題じゃありません! 今すぐ……」

 目を吊り上げて声を上げていたノインは、途中で何かに気付いた様子で口を噤んだ。探るようにフリストを見上げる。

「もしかして……あのとき私を」

「おおっと、なんだか目眩がしてきたので医療班のところへ行こうかと思います。後のことはお願いします。それでは」

 ノインの言葉を強引に遮り、フリストは片手を挙げて去って行った。なんとなく足下が覚束おぼつかないので、目眩がすると言うのは方便ではないのかもしれない。

「やっぱりあの人、死に急いでるよな」

 ジズが呟くと、嘆息しながらノインが頷く。

「任せてきてしまったのは俺だし、大佐以外に指示を出せる人はいなかったんだろうけど……背中からナイフの柄生やして動き回るなんて」

 独白のように言って、ノインはジズへ顔を向けた。

「俺は片付けに行くよ。ジズは……ああ、駄目か。ジズの部屋はここにあるんだった」

「おれも手伝う」

 ノインは困ったように眉を下げて首を左右に振る。

「今夜は兵舎の俺の部屋で休んでくれ。帰ってきたとき着替えに使った部屋、覚えてるかい?」

「手伝うってば」

「ジズ」

 ノインの声は懇願の響きを帯びていて、ジズは口を閉じた。ノインがぽつりと落とす。

「……お願いだ」

「―――…」

 それ以上我が儘を言うことはできずに無言で頷くジズへ、ノインは小さく笑んだ。

「せっかく手伝ってくれるっていうのに、ごめん」

「……なんであんたが謝るんだよ」

 ジズの問いにノインは笑うだけで答えない。その表情がなんだか悲しげに見えて、ジズは目を瞬く。ノインは落ち込んでいるのだろうかと、唐突に思った。

「おいで。一人じゃ危ないから、誰かに案内して貰おう。もう遅い、部屋に行ったらすぐに寝るんだよ」

「わかってるよ」

 ノインを安心させるためにむくれて見せて、ジズは緩い歩調で歩き出すノインについて行った。隣に並びながら声を潜めて言う。

「これは独り言だけど」

 ノインが見下ろしてくる気配がしたが、ジズは顔を正面に向けたまま続けた。

「ノインが戦を止めるために、被害を少なくするために頑張ってたこと、おれは知ってる。ノインのおかげで死ななくて済んだ人が、絶対たくさんいる。おれもその中の一人だ」

 アレクシアにぶつけられた言葉を、ノインは言われ慣れていると一笑した。けれど、言葉は突き刺さる。痛みに慣れて平気な振りをしても、振りでしかない。

 ジズが見上げるとノインは微かに唇を震わせ、しかし何も言わずにジズの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「……ありがとう」

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