一章 2-2

  *     *     *


 議場を出て一つ息をつき、ノインはキャンディを口に放り込む。そろそろ昼下がりといった時間である。何かを口に入れていないと腹が鳴りそうだ。

「ノイン准将」

 足を止めて振り返れば、フリストが駆け寄ってくる。彼が追いつくのを待ってノインはキャンディを差し出した。

「食べます?」

「いただきます。そろそろお茶の時間ですね」

 断られるかと思ったが、フリストはキャンディを受け取って食べた。いやがる様子も躊躇いもないのを見て、ノインは首をかしげる。

「口に合いましたか? だいたい二度目は断られるんですけど」

「たしかに癖がありますけど、不味くはありませんよ。さっきもいただきました。眠気覚ましにいいですね」

 それは美味しいわけではないのではと思ったが、掘り下げることもないかと、ノインは歩き出しながら尋ねてみた。

「バーレス少将の腹痛は大丈夫なのですか?」

「昼に食べたサンドイッチが少し古かったそうです。まあ、私を送り出すときはにこにこしていましたから大丈夫でしょう」

 その様子が容易に想像できて、ノインは小さく苦笑した。

「大佐も大変ですね、着任初日から代理で軍議とは」

「ええ、まあ……でも、今のところやることもありませんからね。それに、今日は出られて良かったと思います」

「そうですか」

 ノインにとっては軍議など退屈で眠いだけなのだが、フリストはそうでもないらしい。あの場が苦痛でないのなら、それに越したことはない。

 歩きながら、雑談の続きのようにフリストは言う。

「そうそう、挨拶がてら城と離宮の警備から昨夜の話を聞いてきました。離宮への侵入は裏からだったそうです。見張り交代の隙を突かれたと」

「……狙ったのでしょうか。それとも偶然に?」

「王城の方で傷を負わされて逃げてきて、たまたま逃げ込めそうな建物があったと考えるのが妥当に思えますが……そう都合よく行くかは疑問です。内通者がいれば別ですけど、あのとき離宮にいたのは、准将と警備以外は虹翅の姫とその侍女だけですしね」

 無言で同意しながらノインは先を促した。フリストが続ける。

「離宮の兵は追い回しただけで危害は加えていないとのこと。王城への侵入経路は調査中。離宮で警備兵が少年を追っているうちに、目を覚ました虹翅の姫が起き出して、力尽きて倒れた少年を見付けた、という流れのようですね」

「……それで、あんなところで」

 昨夜の光景を思い出し、ノインは少しだけ眉を寄せた。白磁の動物園の中央、血まみれで座り込んでいた少女と少年は、当分記憶から薄れそうにない。

「持ち物からして、目的は暗殺だと推測されているようです」

「でしょうね。身柄が私預かりになったのも、少年をこのまま処刑してしまうよりは、泳がせるか背後関係を喋らせた方がいいという判断からでしょうし」

 それくらいの打算は当然だろう。ヘルモードも目が覚めたら知らせろと念押ししていた。ただ、おそらく末端の、「人形」かもしれない少年が多くを知っているとは考え難い。その上ノインは、ルーシェが少年を選んだ理由―――少年がセドナ王国に関係があるかも知れないということを、意図的に伝えていない。

(ばれたら……いや、考えないようにしよう)

 凍土に吹き荒ぶ烈風の如く怒るヘルモードを想像してしまい、ノインはかぶりを振った。フリストが不思議そうに首をかたむける。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありません」

「そうですか。―――…」

 フリストがふと視線を滑らせ、ノインもそちらを見れば、廊下の角から現れた青年がこちらへ顔を向けるところだった。彼はぱっと表情を明るくして近づいてくる。

「フリスト大佐、こちらでしたか」

 ノインはフリストを振り返る。

「お知り合いですか?」

「ええ。丁度いい、紹介します。彼は私の副官のスロール中尉です。スロール、こちらはカルスルーエ准将だ」

 中尉の徽章をつけた青年は、足を止めるとノインに向かって敬礼した。

「お初にお目にかかります。ヒューイ・スロール中尉です」

「大佐の副官なら、離宮の警備にも関わって貰うのかな。よろしく頼むよ」

「は、微力を尽くします」

 一礼し、スロールはフリストを見上げた。

「大佐、准将はご協力くださるんですか?」

 ノインもフリストを見る。

「協力?」

 二人の視線を受け、フリストは気まずげに視線を泳がせた。ノインに視線を戻し、困ったような笑みを浮かべる。

「そうだな、いい機会だ。……ノイン准将」

「はい」

「一緒にクーデター起こしませんか」

「は……え?」

 お茶にでも誘うような調子で言われ、ノインは一瞬頷きかけた。言葉の内容を理解し、ぎょっと目を剥く。傍らのスロールを見れば、期待に満ちた眼差しでノインを見ていた。

 一瞬でいろいろなことを考えたノインは、冗談として流すことにした。

「人の耳があるところでそういう冗談はやめた方がいいですよ。本気にする人がいたら……」

「本気です」

 遮ったのはスロールである。彼は言葉通り、真剣な表情をしている。そこに嘘や戯れの色はない。

「冗談などではない。本気です」

「スロール。失礼だろう」

「は……申し訳ありません。出過ぎた真似を」

 聞かなかったことにして逃げ出したいのを堪え、ノインは落ちてもいない眼鏡を押し上げて尋ねる。

「……何故ですか」

「何故、というのは?」

「何故クーデターを? 私に声をかけたのも疑問です。大佐とはほぼ初対面なのに。中尉とも」

 フリストはやはり、困ったような笑みを崩さない。

「私としましては、ノイン准将のお噂はかねがね。先程の群議で准将のお話を聞いて、安心しました。さすが、『非戦派の星』の名に偽りはありませんね」

 また聞いたことのない妙な二つ名を出され、ノインは顔を顰めた。

「変な渾名つけないでください」

「誰が言い出したかは定かではありませんが、的を射ていると思いますよ。実際、軍上層部に非戦派はノイン准将しかいない」

「それは……異常だとは思いますが」

 軍にも、他組織の例に漏れず、各々の出自や立場、思想、その他様々な理由で派閥が存在する。しかし、普段はテーブルの下で足を踏み合っている彼らも、こと戦のことになると一致団結してしまうのが、ノインは気味が悪い。議会の必死の抵抗がなければ、既にフォールク国と開戦していたかも知れない。

「そう、異常です。とてもね」

「それが理由ですか」

「理由の一つですね。昔は知りませんが、最近は必要のない戦ばかりでしょう。老害どもは満足という言葉を知らない。身の程を知らず、肥大しすぎた国は滅びます。国はなくなっても困りませんが、戦で最も迷惑を被るのは無辜の民です」

「……そうですね」

 フリストの考えはノインのそれに近い。だが、だからといって反乱を起こそうというのには同意できない。

「まったく困ったものです。では、私はこれで」

 有耶無耶にして立ち去ろうとしたのだが、正面に回り込んだフリストが行く手を阻んだ。

「……退いてください」

「返事をいただけませんか」

「お断りします」

 ノインの答えは予想済みだったとばかりに、フリストの笑みが質を変えた。

「理由をお伺いしても?」

「戦を避けるために戦を起こすのは矛盾しています」

「対外戦争よりはいくらかましだと思いますが」

「戦は戦でしょう。第一、上層部を納得させなければ根本的な解決にはなりません。それとも、意に沿わぬ人間を皆殺しにするつもりですか」

「皆殺しは避けたいですね。―――議会は我々の味方です。軍部でも、若い士官や兵士たちには非戦派が多い。皆、もう戦にはうんざりしているんですよ。女王陛下も、きっと。陛下に賛同していただければ、クーデターとは言えなくなりますかね。その上ならば、上層部も我々の話に耳を傾けないわけにはいかないでしょう」

 確かに、戦ばかりを推し進める上層部への不満はノインもよく耳にする。だからといって武力に訴えるのはいかがなものかと、ノインはかぶりを振った。

「革命の旗頭にされるのは御免です」

「それは残念」

 うそぶき、フリストは首をかしげた。

「その割りに、止めないんですね」

 ノインが言葉に詰まると、フリストは楽しそうな笑みを浮かべた。

「少しは脈があると考えてもよろしいでしょうか」

「何度言われても無駄です」

「私がち上がったとしたら、あなたは私の敵になりますか? 准将と私の志は同じだと思うのですが」

「私は戦が嫌いなだけで、志などと呼べるような大層なものは持っていませんよ。……大佐の敵にはなりたくありませんが、味方にもなりません」

「では、味方になっていただけるよう努力します。―――今日はこれで」

 言いたいことを言って気が済んだのか、フリストは一礼してスロールと去って行った。残されたノインは、諦めてくれないだろうかと嘆息しつつその背を見送る。

(……もし、大佐が本当に蹶起けっきしたら?)

 レートフェティはどうするのかが問題だ。ノインは彼女が争い事を好まないことを知っている。

 女王が賛同すればフリストは逆賊とは言えなくなる。主戦派の将軍たちは納得しないに違いないが、フリストが言ったように、前線に立たされる兵士たちは彼を支持するだろう。下手を打てば軍が二つに割れる。火種がくすぶっているのは事実なので、フリストが思い留まっても、他の誰かが起ち上がらないとも限らない。そのときがきたら自分はと考え、ノインは答えを導き出せずに小さくかぶりを振って歩き出した。

 今のうちに何か手を打たなければ、遠からずこの国は内側から瓦解するのかも知れない。

(思い直してくれればいいんだけど)

 何度誘われても答えは同じだと、ノインは歩き出した。

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