一章 2-1
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扉を開けると全員の注目が集まった。居並ぶ将軍たちの視線を受け、ノインは首を竦めるようにして軽く頭を下げる。
「……遅くなりまして」
「寝癖でも直していたのかね」
オレルス少将の余計な一言で起こる忍び笑いを聞き流して、ノインは末席に着いた。
ノインは自分で最後かと思っていたが、もう一つ席に空きがある。あの席は誰だっただろうと首を捻っていると、議場の扉が勢いよく開いた。
「遅れました」
息を弾ませて現れたのは、先程別れたばかりのフリストだった。全員の思いを代表するかのように、ハール中将が口を開く。
「フリスト大佐。バーレス少将はどうした」
「少将は突然の腹痛によりお倒れになりまして、私に代理で出席するようにと」
ハールはやれやれとばかりに息をつく。
「まったく、あのかたは……陛下がお出ましだとご存知の筈なのに。本気で引退なさるおつもりではあるまいな。進退について何か聞いているか、大佐」
「今のところ何も」
「そうか、まあいい。席に着け、大佐。そこだ」
「はい」
バーレスは老齢の兵站部長である。随分前から引退したいと言い続けているらしいが、後継がいないためにずっと保留されているという。グランエスカ王国は頻繁に戦をしているため慢性的な人手不足で、若い将校は他の部署に取られてしまうのだ。女王臨場の軍議に代理として寄越すくらいなのだから、バーレスは今度こそフリストを自分の後釜に据えて引退するつもりなのかも知れない。
ぼんやりとフリストに視線を送っていると目が合い、微笑まれたのでノインは目礼を返す。今日着任したばかりで軍議に代理出席させられるとは、フリストも大変だ。
開始時刻まで数分あるが、揃ったので始まるのかと思いきや、口を開いたのは議長ではなかった。
「昨夜、鼠が入り込んだと聞いた」
ハールの言葉を合図にしたかのように、全員がノインを見た。
昨夜の一件は既に一同の知るところらしい。話が早くて助かると思うことにして、ノインは簡単に説明する。
「ご存じかも知れませんが、賊は男、黒髪。年齢はおそらく十代前半から半ば。名前、身元、所属などは不明。ヴィーラント大尉によると、助かるかどうかは五分五分だそうです。意識はまだ戻りません。―――状況からして、『人形』である可能性があります」
僅かに逡巡したが、ノインは「人形」の件を付け加えた。すると、ヘルモードが言う。
「虹翅の姫のご指名だそうですね」
まるで台本でもあるような話運びで、これは確認作業なのだろうと解釈し、ノインは言葉を選びつつ返した。
「仰るとおりです。侍女を選ぶよう頼んでいたのですが、例の少年がいいと」
「選んだ理由は聞いていませんか、准将」
「いいえ、何も」
反射的に答えてしまってから、否定が早すぎただろうかとヘルモードの様子を伺う。彼女は束の間探るようにノインを見つめてから、特に追求することなく一つ頷いた。
「城内を騒がせた兇手。本来ならば処刑するのが妥当ですが、死人や重傷者が出なかったことをはじめ城内への被害は極めて軽微であることと、虹翅の姫が執心だということとで、賊の少年の身柄はカルスルーエ准将預かりとします」
「心得ました」
将軍たちに異論も動きもないところを見ると、自分が現れる前に話し合いがあったのだろうとノインは考える。そうでなければもっと紛糾するに違いない。
話が切れ、議長であるハラルドル少将が立ち上がった。
「時間ですので始めます。本日は陛下がお出ましになります」
奥の扉が開かれ、侍女と衛兵を従えたグランエスカ国王が姿を現す。一年半前に即位したばかりの若き女王、レートフェティである。
立ち上がって最敬礼をする一同を見回した女王は、一段高い場所にある椅子に悠然と腰を下ろした。
「楽になさい」
レートフェティは全員が姿勢を戻すのを待って続ける。
「席に着いて、始めなさい」
「御意のままに」
ハラルドルの返事と共に将軍たちは着席した。議長が改めて口火を切る。
「それでは軍議を始めます。まず、東方の状況から」
ハラルドルの声を聞き流しながら、ノインは女王へ視線を移した。
星屑を集めたような銀髪と、朝焼け色の瞳の女王は、感情の窺えない顔をハラルドルへ向けている。
先王の突然の崩御により、急遽の即位を余儀なくされたレートフェティは、ようやく二十歳を超えたばかりだ。四人いた兄王子は全員亡くなっており、彼女が王位に就くしかなかった。存命の直系はレートフェティの他に、異母妹である幼い姫が一人だけだ。それゆえに早急に世継ぎをと望まれているが、夫の選定が難航しており、未だ独り身である。
軍へ入る前は王宮付きの学者だったノインは、レートフェティのことを、彼女が幼い頃から知っている。知的好奇心旺盛で読書好きの王女は、自室にある本は全部読んでしまったからと、よく書庫に本を借り出しにきていた。あの頃は、第二、第三王子が健在で、第一王女とはいえ気楽な立場だったので、周囲にも気安かった。ノインは難解な書物の解説を何度も求められた。研究室長には「王女係」などという、名誉なのかよくわからない渾名をつけられてしまったほどだ。
未知のものに目を輝かせ、よく笑うレートフェティを知っているノインとしては、今の女王然とした彼女を見ていると複雑になる。おそらくこの先、レートフェティの屈託のない笑顔をノインが目にすることは二度とないのだろう。
(女王の風格が身につくのは悪いことじゃないんだろうけど……)
ノインは窓の外へ目を向けた。今日は天気が良く風も穏やかで、ここで置物のように座っているならば、溜まりがちな仕事を片付けたい。
欠伸を噛み殺しつつ早く終わらないものかと景色を眺めていると、不意に耳鳴りがしてノインは眉を顰めた。半年くらい前から、たまに耳鳴りがするようになった。数分、長くても十分程度で治まるし、頻発するわけでもないので放っておいているが、一度ヴィーラントに相談した方がいいかもしれない。
目を伏せて耳鳴りが治まるのを待っていると、突然机を叩く音がして、ノインはびくりとそちらを見た。
「手緩い! 甘い顔をすれば奴らはつけあがる。フォールクなぞ取るに足らぬ。一気に攻め滅ぼしてしまえ」
「滅ぼしては意味がない。我々は焦土を欲しているわけではないのですよ」
「何、焦土になろうが我が国の力を持ってすれば、すぐに元のように整いましょう」
「そうですとも。中途半端に残しては戦後処理も面倒になりますからな」
ノインは愕然と彼らを見た。話し合いの前提が既に、戦をするかどうかではなく、いかに戦をするかになっている。武力によって領土を広げてきたグランエスカ王国は、軍部の力が強く、議会や女王の発言力は弱い。軍の上層部がこれでは遠からずフォールク国に攻め込むことになるだろう。
(なんでそんなに……)
戸惑うノインを置き去りに、議論は熱を帯びていく。
「ディンファリのときのように、二つに割ってしまえ。我らが味方した方が勝つ」
「しかしフォールクは、今のところ表立って体制に反発する動きはなさそうです」
「そんなもの。どんな善政を敷いていても、民の不満というものは尽きることを知らぬ」
「ならばわざわざ割る手間をかけなくとも」
「なるべく向こうから仕掛けてくるよう仕向けたいですな。その方が後々楽だ」
とにかく一度止めなければならないと、ノインはやや強引に口を挟んだ。
「フォールク国の内戦を誘発して、というのは些か冗長であるように思います」
全員が話をやめ、じろりとノインを見る。以前ならば竦み上がっていただろうが、今はもう怯むことはない。
「下手をうてば内政干渉と取られかねません。ディンファリ国の場合は、圧政が元で反国王の気運が高まっておりましたので、上手くいったのかと。フォールク国は違います。我が国を敵国と認識すれば、国内の結束は固くなりましょう。……そもそも」
ノインは一旦言葉を切った。これを告げては面倒なことになるのは承知だが、この際だと続ける。
「今、戦をする意味はあるのでしょうか。フォールク国を攻め、従えたとて、我が国が得るものは犠牲に比べてあまりにも少なすぎる」
議場の空気が一変した。ヘルモードが低く問う。
「つまり、カルスルーエ准将は戦には反対であるということですね」
「反対です。―――肥沃な大地、凍らない港と大河、海、炭鉱、鉱脈、美しい景色。グランエスカにはすべてが揃っています。比肩する国は、最早この大陸にはありません。これ以上何を求めることがありましょうか。これからは外から得ようとするよりも国内に目を向けて……」
「ディンファリを滅ぼしておいて、どの口が言うのか」
嘲笑混じりに遮られ、ノインは口を噤んだ。
「……スヴァルト中将がディンファリ国攻略に反対だったとは初耳です」
そっぽを向いていたスヴァルトは、弾かれたようにノインを見た。
「反対だとは言っておらぬ」
「そうですか? 今の発言はディンファリ国がなくなったことを惜しむようでしたが」
「曲解するな。私はただ……」
「無論、フォールク国攻略にも反対なのでしょうね。反対しているのは私だけだと思っていましたから、スヴァルト中将に賛同していただけるのは心強いですよ」
「何度も言わせるな。反対などしていない」
「そうですか。残念です」
笑顔で言ってやれば、スヴァルトは忌々しげにノインを睨んだ。
将官の中でも年嵩のスヴァルトは、普段からノインを目の仇にしている。苦労して現在の地位まで上り詰めたのであろうスヴァルトが、己の力ではなく家の力でねじ込まれた若僧が気に入らないのは理解できる。しかし、だからといって好き放題に殴られてやる気はない。
とりあえず話を纏めなければと、ノインは改めて口を開いた。
「ディンファリとの戦から、まだ二年と少しです。戦場になった北東部では、未だ畑仕事もままならないと聞きます。兵士たちとて、こうも戦続きでは士気を上げるのは難しいでしょう。ましてや、今回は……」
ただの侵略だと言いかけて言葉を飲み込む。
ディンファリ国の時は、代替わりした国王が酷い暗君で、圧政に苦しむ人々を救うという大義名分があった。だがフォールク国は、治世は安定し周辺諸国との関係も良好で、戦をする理由が見当たらない。
(少し考えれば……いや、考えなくても明白なのに)
無駄な戦をしたがる人々の気持ちがノインにはわからない。普段話す分には皆、常識と良識を備えた人たちだと思うのだが、何故ここまで戦に固執するのか理解できない。
「……とにかく、今は傷を癒し、力を蓄えるときだと愚考いたします」
将軍たちは目を見交わし、議場には沈黙が落ちた。耳鳴りは止まず、ノインは落ちてもいない眼鏡を押し上げる。
控えていた侍女が、話が途切れるのを待っていたかのようにレートフェティに歩み寄ると、何かを耳打ちした。女王は小さく頷き、衣擦れの音と共に立ち上がる。反射のように席を立った一同を見回した彼女は静かに告げた。
「活発な議論を聞くことができて、とても有意義でした。これからも励むように」
踵を返し、退出する女王を最敬礼で送る。扉が閉まってから頭を上げた将軍たちは、ばらばらと椅子に座り直した。
「女王陛下はお気に入りの顔をご覧になって、ご満足なさったらしい」
不意に耳に入った言葉に思わず顔を上げれば、スヴァルトと視線がぶつかった。名指しされたわけではないのでいつもなら取り合わないのだが、目が合ってしまっては仕方がない。女王の名誉のためにもと、ノインは視線を逸らしつつ独り言のつもりで呟く。
「女王陛下のお気に入りというのがどなたか存じ上げませんが、陛下は公務に私情を挟むかたではありません」
「ほうほう、准将は陛下のことをよくご存知のようだ」
言い合いに発展させると面倒だと思ったのか、ハラルドルが議題を変えた。
「では次。北方、ハートゥーンの森に最近頻出するという危険種について―――」
戦の話から逸れたのであれば、ノインが口を挟まなくてもいい。ならば置物に戻ってもいいだろうと、もっともらしい顔をして話を流すことに注力することにして、ノインは目を伏せた。いつの間にか耳鳴りは止んでいる。
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