三章 4

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「王都に帰るのが憂鬱か?」

 ジズの声に驚いてノインはびくりと肩を揺らした。見れば、心配そうな面持ちのジズが覗き込んでいる。

「……どうしてだい?」

「ため息ついたから」

 無意識に零れていたらしいと、ノインは口元を押さえた。努めて笑顔を作り、荷物を纏めるために立ち上がる。

 王都へ繋がる街道沿いの集落である。二人だけなので、ノインとジズはヴェンド要塞から馬を借りて帰ってきた。雨は降ったり止んだりだったが順調に進み、今日の日暮れには王城へ帰れるだろう。

 ノインの思惑通り、旧フィヨルム川での睨み合いは、水がきたことで戦闘にならずに済んだ。役目を終えた土嚢は引き上げられ、堤は修復作業中だろう。

 ヴェンド要塞に戻った途端クラーテルに平謝りされ、絶対に言い合いになると思っていたノインは拍子抜けした。証人はラウンデルがいるし、拘束されたゼーギンの姿を何人も見ている。そのことはクラーテルにも伝わっていることだろう。誤魔化しきれないと判断したらしい。

 しかし、よくよく話を聞くとどうやらクラーテルは、ノイン暗殺をゼーギンが勝手にやったことにしたかったらしい。ゼーギンはゼーギンでクラーテルの指示だと主張し、二人の間でいがみ合いが始まる始末だった。

 二人の弁解を聞いているうちに、なんだかもうどうでもよくなったノインは、後始末を押しつけて早々に逃げてきたのだ。勿論、今後フォールクとの開戦を招くようなことをしたら、上層部へすべてぶちまけると釘を刺して。クラーテルもゼーギンも、上官殺し未遂を告発されたくはないはずだ。

「ほら、また」

「うん?」

「ため息」

 指摘されてノインは苦笑する。余計なことを考えると口元が疎かになるらしい。

「帰るのは憂鬱ではないけれど……要塞でいろいろありすぎたからね。ああ、また変な二つ名が増えるのはいやだな」

「戦場の赤鬼とかな」

「うん、ただの悪口だよね、もうね」

 顔を顰めると、ジズはおかしそうに笑った。ノインとしては、尾鰭どころか背鰭や胸鰭まで着いて吹聴されないことを祈るばかりである。

(たいしたことしてないのに……)

 兵士たちには、人的被害が殆どなかったのはノインの影だと感謝されたが、本当に讃えられるべきなのは、堤へ向かった別働隊だ。生還した隊員によると、フォールクは旧フィヨルム川跡に水を流そうとしたのみならず、グランエスカ本陣の真横の堤も切ろうとしていたらしい。二箇所に分散されてしまったため、敵兵の排除に時間がかかったのだという。そして敵兵は、ノインの想像通りフォールク軍に属さない傭兵だった。

 別働隊は、自力で戻ってこられたのは半数ほどだった。そのことを考えて落ち込むのは、命令しておきながら偽善的だと嫌になるが、ノインはどうしても割り切ることができない。仕方がなかった、必要だったと思おうとしても、本当にそうかと疑う内なる声が邪魔をする。

(もっと、何かいい方法があったんじゃ……)

「ノイン?」

 再び零れそうになったため息を飲み込んで、ノインはなんでもないとかぶりを振る。

「ジズはもう支度は済んだのかい?」

「とっくに」

「そうか。お待たせ、行こう」

 荷物を持って部屋を出ると、階下から慌ただしい足音が聞こえてきた。階段を上ってくるそれに、騒々しいことだと眉を顰め、廊下を曲がってきた人物を見てノインは瞠目した。

「ロズル……?」

 思わず呼べば、ロズルは飛びついてきそうな勢いで駆け寄ってくる。

「ノイン准将!」

 気圧けおされて仰け反るノインの寸前で足を止め、ロズルは両膝に手をついて乱れた呼吸を整えながら言う。

「はあ、はあ、……よかった、見つかった……はあ……」

「どうしたんだ、何故ここに?」

「すれ違いに、ならないように……、村の人に、聞き込みを……准将は、目立ちますから……」

「いや、そうではなく。何故ロズルがこの村にということだ。私を捜しにきたのか? 帰るという報せは飛ばしただろう」

「はい、どうか……、早急に、王城へ、お戻りください。もう、准将しか……」

「王都で何かあったのか」

 問えば、多少落ち着いたらしいロズルは背筋を伸ばして顔を上げた。他の耳をはばかってだろう、声を潜める。

「クーデターが……起きました」

「……なんだと?」

 ノインは耳を疑った。咄嗟に左右を見回し、今し方出てきた部屋にジズとロズルと引っ張り込んで扉を閉める。

「フリスト大佐か?」

 何も考えずに訊いてしまってから、ノインはしまったと口を閉じた。どうやら、自分は自覚しているよりも動揺しているらしい。

 驚いた顔になったロズルが首を左右に振る。

「違います、フリスト大佐ではありません」

「いや、違うならいいんだ」

 首謀者がフリストではなかったことに、ひとまず安堵する。しかし、フリストでなければ誰なのかと考え、すぐに一人が浮かんでノインは口元に手を遣った。

「まさか……スロールか」

 口にすれば、ロズルは瞠目しながら首肯した。

「ご存知だったのですか? スロール中尉をはじめとした非戦派の下士官が中心です」

「詳しく聞かせてくれ」

 頷き、ロズルは話し始めた。

「発端は、ヴェンド要塞からの出撃でした」

 ロズルの話を乱暴に要約すると、こうだ。

 ヴェンド要塞から国境警備軍が出撃したとの報告がもたらされるや否や、軍上層部はフォールク国侵攻に向けて動き出した。非戦派のノインが不在だったため、議論すらなく進軍の話がまとまりかけたとき、猛反対したのがフリストだった。

 例によってバーレスの代理で軍議に出ていたフリストは、攻撃を受けたわけでもないのに攻撃を仕掛けるべきではない、評議会も女王も反対していると訴えた。しかし将軍たちは聞く耳を持たず、挙げ句フリストは国賊として捉えられてしまった。

 見せしめに処刑されるという噂まで流れ、起ち上がったのがスロールである。それに賛同した非戦派の下士官や兵士たちは、軍上層部の排斥とフリストの救出を企てた。

 軍議中に議場に乗り込んで制圧に成功したものの、フリストの救出には失敗。主戦派の反撃を受け、現在は女王を人質に離宮に立てこもっている。

「なんということを……陛下はご無事なんだろうな」

「私の知る限り、陛下にお怪我などはないようです」

「最優先で救出申し上げるべきだろう。軍は何をやっている」

「それが……現在は軍議を欠席していたおかげでご無事だったバーレス少将が指揮を執っていらっしゃいますが、ご高齢ですし、荷が重いと仰せです。ノイン准将を呼び戻すべきだと仰ったのも少将です」

 軍議中に奇襲を受けて、主戦派の将官の殆どが死亡、辛うじて生き残ったハールとヘルモードも重傷で動ける状態にない。纏められる人間がおらず、城内は大混乱に陥った。そこで、早急にノインを呼び戻すことになったのだという。

 そこまで聞いて、ノインは頭を抱えそうになった。

「……私が戻ってもなんの解決にもならない気がするんだが。バーレス少将のほうが私よりもよほど場数を踏んでいる」

 戦続きのグランエスカは、どの兵士も実戦経験だけは豊富である。それは将校にも言える。指揮をしたことがないとうそぶく将校は、よほどの怠け者か嘘つきだ。

「主戦、非戦、中立が入り乱れて指揮系統が機能しておらず、収拾がつかないのが現状です」

「派閥云々言ってる場合じゃないだろう。全軍を上げて陛下をお助けすべきだというのに」

「ええ、ごもっともです。ですが今現在、バーレス少将では、その……やはりご高齢ですし、前線を退いて久しいので若い兵士には少将を知らない者も多く……」

「……御しきれない、と」

 言いづらそうに語尾を濁したロズルの言葉を引き取って、ノインは堪えきれずにため息をついた。もう少し食い下がってみる。

「バーレス少将で無理なら、私でも無理だ。第一、反乱兵は非戦派なのだろう? 私も非戦派だぞ。スロール中尉に味方しろというのか?」

 告げれば、ロズルはほんの僅か目を見開いた。

「……ノイン准将が反乱に荷担したら、我々に勝ち目はありません」

「そんなわけないだろ。結局勝つのは数の多い方だ」

 自分は何者だと思われているのかと、ノインは大きく息をつく。人々は己で作り上げた幻想に期待するが、幻想ではないノインはその期待に応えることなどできない。皆見たいものだけを見、理想を混ぜて話すから、結果だけが一人歩きをして誇張され、事実とはかけ離れたものになる。

 ノインは自分が凡人であることを知っている。軍人に向いていないと思うのは変わらないし、奇跡的なものに頼るには現実を知りすぎてしまった。

 だが、無力であることが動かない理由にならないこともまた、知っている。

(ああ、くそ。全部ぶん投げたい。……投げられないからこんなとこにいるのか。くそ)

 もう一度ため息をついてノインは顔を上げた。

「陛下をお助けするために戻る。派閥など知ったことか」

 ロズルは目に見えてほっとした表情になり、大きく頷く。

「はい!」

 策略にはまったような気がして苦々しく思いつつ、ノインは傍らのジズを見下ろした。何か言う前にジズが口を開く。

「おれも行くからな」

「危ない……」

「置いて行かれても追いかける。もう決めたから」

「……うん」

 ヴェンド要塞でも戻ってきてしまったジズのことは記憶に新しい。できればここに残って欲しいが、きちんと納得させない限りジズは追いかけてくるだろう。

「一緒に行こう。無理矢理置いて行くよりも、どこにいるかわかった方が安心だ」

 そうと決まればと、ノインは扉を開いた。部屋を出て、廊下を歩きながらロズルに尋ねる。

「蜂起はいつだ?」

「三日前です」

「フリスト大佐は釈放されていないんだな」

「はい、未だ牢に」

「立て籠もってからは?」

「二日と半分ほどかと」

「立て籠もっている離宮はどこだ」

「虹翅の姫の離宮です」

 ノインは思わず足を止めて彼を振り返った。ロズルも驚いた顔になる。

「准将? 何か……」

「ルーシェの離宮というのは、確かなのか」

「は、はい」

「……ルーシェたちは先に帰った。離宮にいたんじゃないのか? まさか一緒に捕まっている?」

「そうです。女王陛下と共に」

 厄介なことになったと、ノインは片手を額に当てた。王城には普段使われていない離宮が幾つかある。反乱兵が立て籠もったのはそのうちのどれかだと思っていたが、よりによって何故ルーシェの離宮を選んだのかとスロールの首を絞めたくなる。

(救出対象が二人に……最優先がレティなのは変わらないが)

 ノインは重ねて尋ねた。

「ルーシェは、彼女が許した人間以外が離宮に入るのを酷く嫌うが、スロールたちと揉めなかったのか」

「申し訳ありません、私はその場にいなかったので詳しい状況は存じ上げません」

 頷いてノインは歩を再開した。前払いだったので女将に声をかけるだけでそのまま外に出る。すると、ついと袖を引かれた。振り返れば、ジズが物言いたげな顔をしている。

 ノインは厩を指差しながらロズルに告げた。

「ロズル、厩から私とジズの馬を出してきてくれ。今は二頭しかいないから、それを」

「はい」

 短い返事を残し、ロズルは宿の厩へ駆けて行った。彼の姿が見えなくなってから、ノインはジズに尋ねる。

「どうした?」

 ジズは躊躇いがちに低い声で言った。

「反乱の首謀者って……、ルーシェじゃないのか?」

 まさか、とノインは瞠目する。

「……何故?」

「首謀者ってのとはまた違うかな。上手く言えないんだけど……」

 言葉を探すように視線を彷徨わせながら、ジズは続ける。

「ルーシェが反乱兵を集めて、戦え戦えって煽ってたら? 要塞の時みたいに」

 ありえないとも言い切れず、ノインは考え込んだ。東部国境で「戦え」と啼いたルーシェの真意は未だにわからないが、ノインはジズの考えを一笑に伏すことができない。

(反乱兵がルーシェの離宮に立て籠もったのが、偶然ではなかったら……)

 しかし、やはり目的がわからない。反乱に荷担して、ルーシェに何か利があるとも思えない。

「気を付けておくよ。ありがとう」

「え……そんな、礼を言われるようなことじゃない」

「俺じゃ気付かなかった。ジズの柔軟な頭が羨ましいよ」

 軽く頭を撫でると、ジズはくすぐったそうな困ったような、複雑な顔をした。

(ルーシェに真意を尋ねるにしても、事態の収束が必要か)

 結局騒ぎを収めるしかないのだと、ノインは目を閉じた。ゆっくりと開けて腹を決める。

 どんなことがあっても、女王だけは無事に助け出さなければならない。

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