三章 3-3
「こら、待て!」
「どこから入り込んだんだ」
「なんでこんなところに?」
兵士たちが戻ってきたのか、なんの騒ぎだろうと首をかしげつつ外に出れば、警備兵に少年が取り押さえられている。その姿を見て、ノインは目を見開いた。
「ジズ!」
思わず声を上げれば、揉み合っていた一同がノインを見る。ジズを抑え込んでいた兵士は、戸惑った様子でノインとジズとを交互に見た。
「お、お知り合いでしたか……?」
「ああ。放してあげてくれ」
「失礼いたしました!」
慌ててジズを解放して恐縮する兵士へ、ノインは持ち場へ戻れと手を振った。ジズを覗き込む。
「大丈夫かい?」
「うん」
掴まれていた腕をさすりながら頷いたジズは、悪戯を見つかった子供のような顔になった。服についた土埃を払ってやりながらノインは尋ねる。
「なんでここに?」
「……兵糧の馬車に潜り込んで」
「そうじゃなくて、ルーシェたちと帰ったはずだろう」
ジズはばつが悪そうにしながら、ぼそぼそと言う。
「……だったから」
「え? 何?」
「し……心配、だったから!」
ノインは目を瞬いた。ジズは何故か赤面して俯く。
「見つからないようにしようと思ったんだけど……ノイン、どこにいるかわからななくて」
「―――…」
ノインは無言でくしゃくしゃとジズの髪を掻き混ぜた。俯いていたジズが驚いた様子で顔を上げる。
「な、何すんだよ」
「あ、ごめん。つい」
ノインが手を引っ込めると、ジズは手櫛で髪を直しながら複雑そうにノインを見上げた。
「……怒られると思った」
「うん……、怒るべきなんだろうけどね」
嬉しいと思ってしまった自分は保護者失格だと、ノインは己に苦笑した。
「ちょっと待って。要塞まで誰かに送って貰うように……」
「やだ」
ノインを遮り、ジズは首を左右に振った。どうすればわかってくれるのだろうとノインは眉を顰める。
「ジズ。何度も言ったけど」
「おれは足手纏いだって、邪魔になるってわかってる。でも……遠い場所であんたの帰りを待ってるだけなんて、やっぱりいやだ」
「気持ちは嬉しい。でも、ここはもうじき戦場になる。そうならないよう力は尽くすけれど、流れ弾が飛んでこないとも限らない。もっと怖い目に遭うかも……」
「ノインがおれの知らないところで死んじゃうこと以上に怖いことなんてないよ!」
叩き付けるように言われてノインは言葉を失った。ジズは必死の形相で縋るように見上げてくる。
(……ああ、この子は)
今、ジズの中ではノインの存在が大きすぎる。ハールに雛鳥のたとえを出したときは冗談半分だったのに、笑えなくなってしまった。
ノインは腰を屈めてジズと視線の高さを合わせた。
「俺も同じ気持ちだよ。ジズが怪我をするのはいやだし、死んでしまうなんて考えたくもない。だから、安全な場所にいて欲しいんだ」
ジズは俯いて答えない。ノインは言い聞かせるように続けた。
「俺は前線に行かなきゃならない。そこまでは連れて行けない。要塞に戻れとは言わないから、この天幕から出ないことを約束してくれないか」
抵抗するようにしばらく黙っていたが、やがてジズは無言で小さく頷いた。ノインは安堵してもう一度ジズの頭を撫でる。
「うん。ごめんな」
「別に……謝られることじゃ……」
もごもごと言うジズへ、ノインは笑みを向けた。姿勢を戻したノインを見て、ジズが首をかしげる。
「ノインが剣なんて珍しいな」
「うん? ああ、指揮官が丸腰なのも格好が付かないからね。そうだ、ジズは? 何か武器を持っているかい」
ジズはきょとんとノインを見上げ、そんなことは考えもしなかったというふうにかぶりを振った。ノインは腰の後ろにとめていた短剣を外してジズに差し出す。
「これを。何も持っていないよりはマシだろう」
「いいのか? あんたのだろ」
「俺がこれを使う事態になったら、もう負けどころか壊滅してるよ」
「ノインが指揮官なら負けないだろ。みんなそう言ってる」
言い切られてノインは目を瞬いた。
「……その根拠は?」
「眼鏡の悪魔……」
「それもうただの悪口じゃないか? 忘れて。今すぐ忘れて」
珍妙な二つ名を遮ると、ジズは声を立てて笑った。自分には一体幾つ異名があるのかと、ノインは胸中でため息をついた。
「いろいろ誇張して言われてるけど、たまたま上手く行っただけだから。俺はなんの力もない凡人だ。みんな大袈裟なんだよ」
「そうか? でもさ、ノインならって思えるのは、あんたの命令に従う人たちにとってはいいことだと思う」
思ってもみなかったことを言われ、ノインは僅かに目を見張った。欲しい言葉を貰ったような気がして、気分が少しだけ軽くなる。
「……ありがとう」
「何が?」
不思議そうにするジズへ、ノインは笑んでかぶりを振った。ジズは一度首をかしげ、それから何かを思い出した様子でノインを見上げた。
「……ノイン」
「なんだい?」
「あの……」
何かを言いかけたジズは、しかし目を伏せて首を左右に振った。
「……なんでもない」
「うん? 少しでも気になったらなんでも話して欲しい。何かあったのかい?」
躊躇っていたが、ぽつりぽつりとジズは話し始めた。
「おれの、夢……かもしれないんだけど。昨夜のこと」
例の「声」が聞こえてジズは目を覚ました。だが、ルーシェの鈴鳴は聞こえず、耳鳴りがするだけだった。胸騒ぎがしたので「声」を辿ってみると、ヴェンド要塞からかなり離れた場所にルーシェがいた。声をかけようとしたら誰かに殴り倒されて、気がついたら今朝、自分の寝台に寝ておりノインに起こされた。
「殴り倒されたって……大丈夫かい? どこか痛いところは?」
「それは大丈夫。首のとこ軽く叩かれただけだから」
「そうか……でも、具合が悪くなったらすぐに教えてくれ。首とか頭とかは怖いんだ。見せて」
下を向いたジズの
「ちょっと赤くなってる。夢じゃないな」
「夢じゃ、ない……」
患部を摩ってやると、ジズは
(一撃で確実に気絶させるなんて、結構な使い手だな。だが、倒したジズを運んで本人の寝床に寝かせるってのは、少なくとも要塞の関係者……しかもジズが割り当てられた部屋を知っている人物)
ルーシェが出歩いているのに気付いて捜しに出ただけなら、ジズを昏倒させる必要はない。それに、ルーシェの姿が消えたら真っ先にノインやアレクシアが叩き起こされるはずだ。
「あ……」
ジズが小さく声を上げて、ノインは思索から引き戻された。
「どうした?」
「あれだ。あの岩のとこ。昨夜ルーシェがいた」
ジズが指差す先には岩が地面から顔を出している。まさかとノインは目を見張った。
「ルーシェがこんなとこまで? 歩いてきたのかな……と言うか、ジズもここまできたってことだよね」
指摘すると、ジズは悪戯を咎められたかのように首を竦めた。
「えっと……『声』を辿って、気がついたら……」
「夜に一人で出歩いたら駄目だよ。―――『声』は、なんて?」
「戦えって」
ノインは思わず天を仰いだ。グランエスカと戦っても勝ち目のないフォールクが何故今、という謎が解けたような気がする。
ここからヴェンド要塞まで届くなら、フォールク側の拠点にも届いただろう。今の状況は、ルーシェの啼き声に影響を受けた結果だという可能性が高い。だとしたら、この一回を
(いっそ撤退してくれないだろうか)
あるいはこちらが撤退すれば向こうも、と考えるが、既に別働隊を動かしてしまっているし、撤退中の背後を突かれたら本末転倒だ。
考えていると、伝令の兵士がやってくる。
「カルスルーエ准将。そろそろ……」
「わかった。―――それじゃあ、行ってくる」
「うん。えっと、ご武運を」
口調からして意味を知らずに言ったのだろうが、気持ちが嬉しくノインは笑んで頷いた。
* * *
「失礼いたします、准将」
声をかけられてのインは閉じていた目を開いた。
「何かあったか」
「フォールク軍に動きが」
別働隊を派遣してから一刻が過ぎようとしている。向こうが焦りだしたかと、ノインは眼鏡を押し上げた。
「被害は」
「出ていません。攻撃はありません。陣形を変えているだけのようです」
「なら放っておけ。兵は動かすな」
「は……」
返事をしつつも、好機なのに仕掛けないのかという考えが透ける若い兵士に、ノインは唇の端で笑った。
「間もなくだ。備えておけと皆に伝えろ」
敬礼を残し、兵士は去って行った。ノインは眼を細め得て南の空を見上げる。厚い雲が垂れ込めているのは相変わらずだが、幸い雨は落ちてこない。
(まだか……)
焦燥はノインの中にもある。あと少し、もうすぐだと己に言い聞かせても、胸の底が焦げ付くような気分は消えない。
別働隊は失敗したのではないか、ここまで長引くなら動いてしまった方がよかったのではないかと、頭の中のもう一人が絶えず囁く。じっと待つより何かしている方が楽だからだ。だが、己の感情を優先して自軍を危機に
フォールクが動かないというのは、おそらく読みは当たっている。
「閃光弾です!」
傍らの兵士の声でノインは我に返った。空を仰げば、想定していたよりも西寄りの場所に強い光が見える。自軍のものであると確認して、ノインは声を上げる。
「伝令!」
「はっ!」
「全軍後退! 水がくるぞ!」
「は……は!?」
思わず、といったふうに振り仰いでくる伝令へ、ノインは繰り返す。
「全軍後退だ! 水に飲まれたくなかったら下がれ! 急げ!」
伝令たちが戸惑った様子ながらも散っていく。ノインは周囲にいる兵士にも告げる。
「君たちも下がれ」
「は……、しかし、水とは……?」
「説明は後。安全を確保してからだ」
やがて隊列が動き始める。小高いところまでくると、フィヨルム川から川跡へ水が流れ込んでいる様子が見えた。対岸のフォールク軍も大慌てで後退していく。とりあえずこれで当分は戦になることはないだろう。あとは、双方とも冷静になってくれることを祈るしかない。
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