四章 1

 四章


 1


 王城へ踏み込んだ途端、取り囲まれた。

「カルスルーエ准将! ご無事で!」

「准将がお帰りだ!」

「お待ちしておりました!」

「反乱兵はまだ離宮に―――」

「ヘルモード中将の容態が―――」

「女王陛下の安否は―――」

「フリスト大佐の処遇なのですが―――」

「被害状況について―――」

「総員、黙れ!!!!」

 文官、武官を問わず一斉に話しかけられ、ノインは堪らず絶叫した。時が止まったかのように凍り付いた一同を見回し、普段よりも五割増しの低音で告げる。

「報告は一刻後、執務室で先着順に受ける。それと、文官は管轄外だ」

 言い捨ててノインは歩き出した。進行方向の人垣が自然と割れる。

(軍属はともかく、なんで文官まで俺に言うんだ)

 再び捉まらないように早足で歩き、ようやく人気のない場所まで来てジズが口を開いた。

「ノインが怒鳴るの初めて聞いた」

 ジズが半ば小走りになってしまっているのに気付き、ノインは歩調を緩めた。並んだジズを見下ろして苦笑する。

「驚かせたならごめん。まったく、武官はともかく、なんで文官まで俺んとこくるかな」

「それだけ混乱してるんじゃないの?」

「そうかもしれないけど、仕事を増やさないで欲しい……」

 おそらく皆、雰囲気に飲まれて縋ってきているだけで、ノインでなければならない事案は一握りだろう。先に兵舎に寄って旅装を解いてきてよかった。先にこちらへきていたら、着替えもままならなかった。

 ロズルは兵舎で別れた。先に執務室へ戻っているはずである。先程の発言のせいで、これから執務室に押しかけるであろう大勢はロズルへ任せることにして、ノインはフリストが捕らえられているという地下牢へ向かっている。牢獄として独立している建物はあるのだが、要人や特別に監視が必要な人物は、王城の地下牢に収監される。

(無事だといいけど……)

 命があっても無事とは限らない。拷問でも受けていたらと思うと、胃の腑が重くなる。フリストの捕縛が引き金なのだから、無事である姿を見せれば話し合いのいとぐちになるかもしれないとノインは考えたのだが、彼の状態によっては火に油を注ぎかねない。

 地下牢に囚人がいるときにしか使われない、半地下の兵士詰め所に行くと、扉の小窓から灯りが漏れていた。覗き込んで叩けば、すぐに扉が開く。

「カルスルーエ准将! お戻りだったのですか」

「ご苦労。牢の鍵を貸してくれ」

 驚いた顔をする兵士に用件だけを告げれば、詰め所の中にいた二人の兵士は顔を見合わせた。一人が壁から鍵束を外しながら言う。

「かしこまりました。ご一緒いたします」

 頷き、ノインはジズを振り返った。

「ジズはここで待ってて」

「おれも……」

「駄目だ。ここにいてくれ」

 束の間見つめ合う形になり、何か感じるものがあったのか、ジズは駄々を捏ねることなく神妙な顔で頷いた。

「……わかった」

「うん。すぐ戻るから。―――この子を頼む」

 残る兵士に言い置いてノインは詰め所を出た。鍵束を持った兵士が灯りをかざしながら肩越しに振り返る。

「足下にお気をつけください。どちらへご案内いたしますか」

「フリスト大佐のいる牢へ」

「かしこまりました。こちらです」

 先導に続いて迷路のような暗い廊下を進み、突き当たりで兵士が足を止める。独房と思しきそこは、鉄格子ではなく鉄扉で閉ざされていた。ちょうどノインの目の高さにある小窓から覗き込んでみるが、中は暗くて様子が見えない。

「ここか?」

「はい。お開けしてもよろしいでしょうか」

「頼む」

 ノインが頷くと、兵士は鍵束から一つの鍵を選んで扉の鍵を外した。その瞬間、弾け飛ぶような勢いで扉が開き、中から人影が飛び出す。

 人影は長い金髪をひるがえし、手前にいた兵士の首に手枷の鎖をかけて背後をとった。ノインは咄嗟に剣を抜き、鎖を跳ね上げようとするが届かない。首を締め上げられた兵士は声も出ない様子で目を白黒させている。

 手負いの獣のような目つきで睨まれ、ノインは内心すくむ。しかし、剣を突き付けているのがノインだと気付いたのか、フリストの双眸から殺気が消えた。きょとんと首をかしげる。

「おや、ノイン准将? 何故ここに」

「……フリスト大佐。彼を放してあげてくれませんか」

「ああ、これは失礼」

 フリストは存外素直に兵士を解放した。戒めを解かれた兵士は這々ほうほうていでフリストから離れる。兵士を怯えさせた張本人は、謝るように片手を挙げた。その軽い仕草とは裏腹に、鎖がじゃらりと重い音を立てる。

「ごめんごめん、てっきり今から処刑されるものだと。殺されるなら一暴れしてやろうかと思って。この手枷駄目だね、鎖使ってないのに変えないと」

 剣を納め、ノインは息をついた。手枷のみならず、足枷の先には鉄球がついて相当な重さの筈なのだが、先程の動きはそれを感じさせなかった。

「今みたいな真似ができるのは大佐くらいですよ。―――処刑されるというのは噂ではないのですね」

「ハラルドル少将に宣言されましたよ、見せしめに首を飛ばしてやるってね。勿論物理的に」

「……なんにせよ、無事でよかった」

 手足の一、二本もなくなっているのを想定してジズを置いてきたのだが、ノインが見る限りフリストは骨折すらなく五体満足で元気そうである。しかし、よくよく見れば胸の階級章は毟り取られ、額に擦り傷と、唇が切れて顎の左側に青黒い痣ができていた。髪紐まで取り上げられたのだろう、いつも括っていた髪は解かれて、靴紐も抜かれている。

「怪我の具合は?」

「見ての通り、打撲くらいですからご心配なく。拷問しても、私に吐けることはありません。鬱憤晴らしにしかなりませんからね、無駄だと思われたのでしょう。動くのに支障はありません」

「それならいいですけど……。手枷の鍵はあるか?」

 問えば、呆然としていた兵士は我に返ったように何度か瞬きをして、かぶりを振った。

「ここにはありません。詰め所に戻りませんと」

「そうか、なら戻ろう。歩けますか、フリスト大佐」

「大丈夫ですよ」

 灯りを翳して戻る兵士についていきながら、ノインは隣を歩くフリストに問うた。

「一体、何故こんなことに?」

「ご存じなのでは?」

「聞きましたが……フォールク国への侵攻に反対なさったそうですね」

「ええ。そしたら国賊扱いです。まったく失礼な」

 どちらが国益を損なっているのかと憤慨するフリストにノインは同意する。

「止めてくださってありがとうございました。大佐がいなかったら、グランエスカは今頃フォールクへ宣戦布告です」

「大袈裟ですね。議会は反対でしたし、上層部もそこまで短絡的ではない……と思いたかったんですが」

「考える頭があればフリスト大佐を投獄するようなことはなかったと思います」

「そうですかねえ。お偉方にしてみれば、煩い羽虫を閉じ込めたくらいの感覚では。―――そうそう、勝手に釈放していいんですか? 今の上層部に話は通じないでしょう。手続きも取れないと思いますよ」

 フリストの言葉を聞いて、ノインは目を瞬いた。

(知らないのか……捕まっていたから)

 ノインの表情を読んだか、フリストが不思議そうな顔をする。

「何かありましたか」

「上層部は壊滅状態です。……クーデターが起きました」

 信じられないと言わんばかりにフリストは瞠目した。聞いた話だがと前置きし、ノインはロズルからもたらされた情報を掻い摘んで説明した。無言で訊いていたフリストは、話し終えたノインが口を閉じると細く息を吐きだした。

「スロールが……早まった真似を」

「議会と軍は相変わらず対立していますし、軍内部も各派閥が入り乱れて混乱しています。今、誰にどんな許可を求めればあなたを釈放できるのか、私にはわかりません。そんなことを気にしていられる状況でもないですし、咎められたらそのときです」

 冗談めかして付け加えれば、フリストは唇の端で笑った。しかしすぐに笑みを消す。

「つまり、私はスロールを説得するか殺せばいいんですね」

 淡々と言われ、ノインは思わずフリストを見た。

「説得はお願いします。ですが」

「女王陛下を人質にした時点で、死罪であることは決まっています。あとは、逆賊として戦って死ぬか、公の場で捌かれて処刑されるかだ」

「私は、あなたに部下を殺させるために牢から出したのではない」

 フリストはノインへ顔を向けて微かに笑う。

「勿論、最終手段ですよ。裁判にかけられたほうが、弁解する余地も生まれるでしょうし」

 どこまで本気なのかフリストの考えが読めず、ノインは口を閉じた。フリストは非情で合理的なようでいて、情け深く自己犠牲的なところもある。

「……あなたはやはり、ブレーキ役だったのですね」

 半ば独白のつもりで呟けば、フリストは怪訝そうに眉を寄せた。

「やはり?」

「前にも思ったんです、大佐は血気にはやる兵士たちのブレーキなのではないかとね。今回も、フリスト大佐が捕まった後、スロールにフリスト大佐がいたら、こんなことにはならなかったでしょうに」

「……准将、疲れてますね?」

「少し」

 ノインが頷くと、フリストは痛ましげな顔になった。会話が途切れ、それ以降は誰も言葉を発せずに詰め所へ戻った。待ちかねたようにジズが駆け寄ってくる。

「ノイン……と、フリスト大佐」

 ジズに呼ばれてフリストは嬉しそうに笑んだ。

「やあ、ジズくん。覚えていてくれたんだね」

 兵士にフリストの枷を外して貰っているうちに、傍らにきたジズがこそりと囁く。

「ノイン、なんで大佐を?」

「うん? ああ、大佐の話なら反乱兵も耳を貸すんじゃないかと思ってね」

 ジズにはフリストを釈放するとは告げたが、目的は話していなかった。ノインが簡単に説明するとジズは、心配そうな顔になる。

「首謀者って大佐の副官なんだろ? 向こうに味方されたら……」

 それはノインも考えた。知り合いと刃を交えたくないだとか、できる限り穏便に済ませたいだとか、諸々の私情を排して考えて、それはそれで好都合ではないかと思ったのだ。

 非戦派は下級将校や下士官、兵士に多い。中心人物とされるスロールの階級も中尉だ。

 ルーシェの離宮に立て籠もれる人数は、多く見積もっても二〇〇ほどが限度だろう。そしておそらく、スロールに二〇〇人規模の部隊の指揮経験はない。ならば、現在、反乱兵には頭がいない状態ではないかとノインは仮定した。

 戦では頭を狙うのが鉄則だが、それができないのではどちらかが全滅するまで戦うことになりかねない。ゆえに、フリストが相手方につくのであれば―――面倒なことは否めないが―――頭になって貰えばいいと思った。

(……っていうのは、ジズに聞かせたくないなあ)

「大丈夫」

 フリストの声と同時に背後から両肩を捉まれ、ノインは固まった。ジズもぽかんとした顔になる。

「私は非戦派だが、准将もそうだ。ね、准将」

 肩からフリストの手を払ってノインは顔を顰めた。

「……反乱側にはつきませんよ。私の目的は、女王陛下をお助けすることです」

「私も同じです。スロールを擁護する余地はありません。―――これでも、少しは責任を感じているんですよ。スロールとは長い付き合いです。私に感化された部分も」

「言っておきますが」

 ノインはフリストの言葉を強引に遮った。

「此度の件に関してフリスト大佐にはなんの責任もありません。むしろ被害者です。そのことをお忘れなきよう」

 フリストは不思議な表情でノインを見ていたが、やがて柔らかく微笑んだ。

「覚えておきます」

「行きましょう」

 頷き、ノインは兵士詰め所を出た。追いかけて来ながらジズが問う。

「どこに行くんだ?」

「とりあえず兵舎へ。大佐の傷の手当てと、身なりをどうにかしないと、反乱兵が怒り出すだろうからね」

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