三章 3-1

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「指揮権を渡せと?」

「ええ。この事態が収束するまでは」

 司令室でノインは、司令官のクラーテルと、その副官であるゼーギンの二人と対峙していた。

 東の国境にフォールク軍が集結しつつあるという報せがもたらされたのが一刻ほど前。それからクラーテルたちと協議し、ルーシェとアレクシアたち侍女、ジズ、警備隊は全員帰らせることにした。彼女たちは今、急いで帰り支度をしているはずだ。

 ノインとて当初は、ヴェンド要塞司令官のクラーテルに迎撃の指揮を任せて自分も帰るつもりだった。しかし、クラーテルたちと話していると、これを幸いにフォールク国との開戦に持ち込もうとしているのが察せられたので、指揮権を取り上げることにしたのだ。スヴァルトの差し金かはわからないが、ここの将校たちも主戦派で固められているらしい。ノインが帰ってしまえば、止める人間がいなくなる。

 現地の指揮官から指揮権を取り上げるなど、よほどのことがない限りあり得ない。今日のことは確実に軍上層部に報告されるだろう。帰ったら将軍たちにこぞって吊し上げられるに違いないが、構ってはいられない。

「准将、それは横暴というものです。このヴェンド要塞の司令官はクラーテル大佐……」

「承知で言っているのです、ゼーギン中佐」

「ならば手出しは無用。ここは大佐に」

「中佐。私は今クラーテル大佐と話しています。貴殿は黙っていていただきたい」

 ゼーギンは鼻白んだ様子で、忌々しそうに口を閉じた。ノインは眼鏡を押し上げながらクラーテルに視線を戻す。

「事態が収束すれば指揮権はすぐにお返しします。お願いします、クラーテル大佐」

 クラーテルは顎髭を引っ張り、鼻を鳴らす。

「理解に苦しみますな、准将。失礼ながら、あなたはこの要塞のことも、ここの兵士たちのこともさほどご存知ではない。それで指揮を執れるとお思いか」

「思っているから言っているのですが」

「自信がおありのようだ。さすが将官最年少ということはある」

 王城の狸どもに比べれば、クラーテルの嫌味などものの数ではない。時間が惜しいのだから早く渡せとノインは語調を強める。

「お褒めに預かり光栄ですね。クラーテル大佐もフリスト大佐の後任でしょう。ここへきて一月くらいですか? 二月? この要塞内をすべて掌握できていると言い切れますか?」

「お言葉ですが、一昨日こちらにいらっしゃった准将よりは把握できているかと」

「当たり前です。それくらいしか反論点がないなら、その程度の差と言える」

「そのような意図で申し上げたわけでは」

「では逆にお訊きしますが、クラーテル大佐。軍団指揮のご経験は? 作戦を立案したことはありますか? 採用数は? これまでにいくつ敵部隊を潰しました?」

「し……」

「わかりました、言い方を変えましょう」

 最初から答えを聞きたいわけではない。ノインはクラーテルが反駁する隙を与えず、突き付けるように告げた。

「これは命令です。指揮権を私に渡しなさい」

 クラーテルの口元が舌打ちを堪えたかのように歪む。

「……承知しました」

「よろしい。ではそのように周知してください。早急に」

 言い置いてノインは踵を返した。ゼーギンが射殺したそうな目で見ているのを無視して司令室を出る。扉が閉まると部屋の中から机をひっくり返すような、壁に椅子を叩き付けるような音が聞こえてきて、警備兵が驚いた様子で扉を振り返った。それからノインへ複雑そうな視線を送ってくるので、ノインは首を竦めた。

「物に当たるのはよくないね」

「は……」

 返答に困ったか、曖昧に首肯する兵士へ笑んで見せてその場を離れる。

(兵士に八つ当たりしないといいけど)

 ノイン自身は誰になんと思われようが構わない。開戦だけは避けねばならない。文句なら、終わった後にいくらでも聞くので、今は邪魔をしないで欲しい。

 部屋に戻ると、寝台の上に荷物が広げられたままになっていて、ノインは目を瞬いた。寝台に腰掛けていたジズがノインの姿を見て立ち上がる。

「ジズ、荷造りが全然……」

「いやだ」

「え?」

「いやだ。帰らない。ノインも残るならおれも残る」

 宣言するように言われてノインは瞠目した。しかし、聞き入れるわけにはいかない。

「……俺は後から行くから」

「おれも後からノインと一緒に帰る」

「ほら、荷造りをしてしまおう。皆待っているよ」

「いやだ!」

 肩に触れたノインの手を振り払い、ジズは声を上げる。

「ここの人たちに任せればいいだろ。喧嘩売られたのはここの人たちなんだから」

「そうしたいのは山々なんだけど」

 さすがに人の耳を気にして、その先は声を潜める。

「ここの人に任せると、まず間違いなく戦争になる。終わったらすぐ帰るから、先に帰っててくれ」

「そう簡単に終わるのかよ」

「早く終わらせるよう努力するさ。大丈夫」

「大丈夫ならおれも残る」

「……ジズ」

 頑ななジズの頭に軽く片手を乗せ、視線の高さを合わせるためにノインは腰を屈めた。

「俺もすぐに帰るよ。馬で帰ったらジズたちを追い越してしまうかも知れないな」

「そんなの……」

 泣くのを堪えるように唇を噛み、しばし無言でノインを見つめていたジズは、やがて目を伏せて息をついた。

「……絶対だな。約束だぞ」

「うん、約束だ」

「帰ってこなかったらあんたの花壇根こそぎにするからな。煉瓦倒して、砂利で埋め尽くしてやる」

「それは困るなあ」

 ジズの頭をくしゃくしゃと撫でて、ノインは部屋を見回した。

「さあ、荷造りをしてしまおう。急がないとアレクシアさんが呼びにきてしまうかも知れない」

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