二章 2-1

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「ジズくん、准将あめ食べた?」

「……准将、飴?」

 ノインの机を曝いていたロズルに唐突に言われ、ジズは目を瞬いた。首をかしげれば、言葉足らずなのに気付いたロズルが付け加える。

「准将と同じ匂いがするからさ。ノイン准将が作る薬草キャンディ、通称『准将飴』」

「ああ……さっき、貰って。手作りなんですか、あれ」

 ここへくる途中に食べたと首肯すると、ロズルは気の毒そうな表情になった。

「うん、准将ああ見えて料理するから。……いいんだよ、嫌なものは断って。あの人も鬼じゃないからちゃんと説明すればわかってくれるさ」

「はあ……」

 何を心配されているのかわからないジズは曖昧な声を返す。するとロズルは唐突に目を見開いてジズを振り返った。

「まさか……君もあの甘酸っぱにがすずしいキャンディを美味しいと感じる舌の持ち主なのかい!?」

「苦涼しい……?」

「後味が苦涼しいだろ、あれ。最初は甘酸っぱいんだけどさ、それに騙される」

「……特別美味しいとは思わないけど、突き返すほど不味くもないと思います」

「なん……だと……」

 信じられないようなものを見るような顔をして、ロズルはジズの両肩を掴んだ。

「それ准将には内緒ね! あの人すぐ調子に乗って謎甘味かんみ開発し出すから!」

「わ、わかりました」

 ロズルの剣幕に圧され、ジズはこくこくと頷いた。謎甘味とはなんなのだろうと問えば、肩から手を放したロズルは、口にするのも恐ろしいとばかりに身体を震えさせた。

「ノイン准将はさ……元々学者畑の人なんだよ。生物、その中でも植物が専門でさ……昔から園芸が趣味だったらしいんだけど、今でも薬効のある花とか草とか、城内の使われてない花壇を改修して育ててるんだよね。で、収穫を料理に使うわけさ。料理も好きでさ」

「使うのは、食べられる草ですよね?」

「それは勿論。食事に出てくるような料理はね、問題ないんだよ。気分転換だって、たまに夜食なんか作ってくれてさ、それは上手いし美味しいんだ。……でもね」

 ロズルは何かを堪えるように顔を歪め、首を左右に振った。

「ノイン准将、レシピを見ないんだ……」

「……そうなんですか」

「そうなんだよ! 食事になるものは、目分量と勘で作ってもいいんだけど! 実際美味しいしね! でもお菓子は、お菓子は駄目なんだ! 計量を間違うと、まったく違うモノができあがるんだよ!」

「あ……」

 いつの間にか机の傍らに立っているノインに気付いて、ジズは小さく声を上げた。目が合うと、ノインは唇に人差し指を立てて片目をつむって見せる。力説しているロズルはノインの存在に気付いておらず、執務室にいる何人かも面白そうに成り行きを見守っている。

「ジズくんは食べたことがあるかい? 甘みの後から変な渋みが追いかけてくる謎のナッツのケーキ! 爽やかな匂いのする飲み込めないほど酸っぱいクッキー! こっくりと苦涼しいクリームのパイ! 見た目が普通なのがまた凶悪なんだよ……期待しちゃうだろ、今回こそは美味しいかも知れないって期待しちゃうだろ! でも今んとこ全敗だよ! 大抵不味い! 凄く不味い! これ以上犠牲を増やさないためにも、准将にはお菓子を諦めて食事だけ作っていただきたい!」

 よほど不味いものを何度も食べさせられたのだろうと、ジズはなんだかロズルが気の毒になってきた。愚痴の対象が真横で聞いているのも気の毒さに拍車をかけている。

「あの人、例のキャンディ常に持ち歩いてるだろ? あの、匂いだけがいい、それだけに口に入れたときの心理的痛手が酷いキャンディを! 准将飴を! 隙あらば食べさせようとしてくるだろ! あれ……は……」

 ようやくノインの存在に気付いたらしいロズルは、言葉の途中で固まった。ノインはにっこりと、背筋が寒くなるような笑みを浮かべる。

「あれは、何?」

 みるみる青くなるロズルを見て、血の気が引くとはこういうことを言うのかと、ジズは一人で感心した。彼は何度か口をぱくぱくと動かしてから、ロズルは絞り出すように言う。

「……疲れたときの眠気覚ましにとてもいいと思います」

 弁解になっていない弁解をするロズルへ、ノインは握った手を突き出した。おそらく反射的に、両手を器にしたロスズの上でノインが手を開くと、くだんのキャンディがばらばらと落ちる。それだけでは飽きたらず、一体どこに隠し持っているのか、ノインはロズルの両手から零れそうになるまでキャンディを積み上げた。

「ロズルがそんなに気に入ってくれているとは知らなかった。また作ったらあげよう」

「あ……はい……ありがとうございます……」

 キャンディをいくつかジズにも差し出しつつ、ノインはうそ寒い笑顔を真顔に戻した。

「で、なんか凄いことになってるけど、目的の書類は見つかったのか?」

 尋ねられて我に返ったらしいロズルは、両手一杯のキャンディを上着のポケット流し入れながら、かぶりを振った。

「まだです」

「なんの資料が欲しかったんだ? 演習とだけ聞いてもわからない」

「失礼いたしました。来月頭よりヤーデ樹林帯で行われる大規模野外演習の資料です。予定が変更になるかも知れないとのことで」

 ノインは不可解そうに眉を顰めた。

「変更って、出発まであと三日だぞ。しかも、変更になる? 変更になった、じゃなく」

「ええ……、決定ではないようです」

 ため息をつき、ノインはごちゃごちゃになった机の上をかき分け始めた。目的のものはすぐに見つかったようで、分厚い紙の束を何冊かロズルに差し出す。

「とりあえず、装備と編成、日程と内容、予算関連の資料。責任者はファザン大佐だっけ?」

「いえ、スヴァルト少将です」

「……嫌がらせか、たぬきめ」

 顔を背けたノインが吐き捨てた言葉を聞き取れなかったか、ロズルは目を瞬く。

「え?」

「なんでもない。それじゃあ、スヴァルト少将に届けてくれ。―――これは独り言だけれど、変更箇所を告げられても、どうせ直前に元に戻るだろうから捨て置いていい。どんな変更であろうと一度決定したことを三日でくつがえせというのは無理だ。戦務部と言うか、私に無駄な手間をかけさせたいだけだ」

 ノインの大きな独り言に苦笑し、ロズルは頷いた。

「かしこまりました。行って参ります」

 資料を抱えて執務室を出て行くロズルと入れ替わるように、ジズが初めて見る顔の兵士が入ってきた。

「失礼いたします。カルスルーエ准将」

「なんだい?」

「ハール中将がお呼びです。直ちに執務室までおいでください」

 ノインは無言で天井を仰いだ。しかしすぐに首を戻して兵士に告げる。

「わかった。すぐ行くと中将に」

「承りました」

 敬礼を残して兵士は去って行った。ノインは荒れた机に両手をつき、項垂れる。

「次から次へと、今日はなんなんだ一体」

「忙しいんだな」

 ジズが思ったことを口にすれば、顔を上げたノインは困ったような笑みを浮かべた。

「たまたまだよ。性悪狸が根に持つ性質たちだというのを忘れていた。―――ブロッシェ中尉」

 手前の机で書き物をしていた女性が立ち上がる。

「はい、准将」

「ロズル大尉が戻ってきたら、この机を元に戻すようにと伝えてくれ。私はハール中将のところへ行ってくる」

「かしこまりました」

 頷き返し、ノインは執務室を出て行った。残ってもやることがないので、ジズも彼について部屋を出る。扉を閉めると、ノインが振り返った。

「ジズは休んでいていいよ。歩く許可が出たとはいえ完治したわけではないのだから、無理はいけない」

「うん……」

 素性も定かではない上、誰かをあやめにきた人間を処分もせずに置いてくれて、傷の手当てまでしてくれたのは、どれだけ感謝しても足りない。しかし、破格の扱いであることがわかるだけにジズは疑問を感じる。

 ルーシェがジズを侍女の補填として選んだおかげで、命拾いをしたのだとノインから聞いた。虹色のはねを持つ姫はジズからセドナ王国の話を聞きたがったが、記憶がないジズは彼女の期待に応えることはできなかった。

 最初はジズの傍を片時も離れずにいたルーシェも、次第に足が遠のき、今では一度も顔を合わせない日もある。彼女の鈴鳴りんめいが苦手なジズとしてはありがたいが、侍従として仕えることはできず、話し相手にもなれない自分を置いておく理由はもうないのでないかと思うのだ。

「ジズ?」

 ノインが覗き込むように首をかたむけて、ジズはいつの間にか己が俯いていたことに気付いた。慌てて顔を上げれば、表情を和らげたノインに軽く頭を撫でられる。

「退屈なら、俺の『巣』から好きな本持ってっていいよ。机の脇に積んであるから」

「わかった。……散歩してもいい? ずっと寝てばっかりだったから、なまってる気がして」

 散歩というのは離宮に戻りたくない苦し紛れだったが、口にしてみると存外良案に思えた。歩行訓練は離宮の廊下を歩くだけなので、外に出るのは随分と久しぶりだ。

 少し考える素振りを見せてノインは頷く。

「食事までには戻ることと、午後は大人しくしていること。守れるかい?」

「約束する」

「よし。あんまり遠くに行かないようにね。―――これを」

 ノインは襟章を外してジズに差し出した。どういう意図なのかわからず戸惑いながら受け取ると、説明してくれる。

「俺の関係者だって証拠。王城は広いからね、下手なところに入ると捕まることもある。迷ったら、適当な兵士にそれを見せて俺の知り合いだって頼めば案内してくれるよ」

「……あの」

「うん?」

 どうしてここまでしてくれるのかと尋ねようとして、ジズは出かかった言葉を飲み込んだ。聞いてどうするのか、どうしたいのかもわからない。何か裏があるのではないかと疑ってしまい、この期に及んで厚意を素直に信じられない自分が嫌になってくる。

「……ありがと」

 ぼそぼそと告げると、ノインは柔らかく笑んだ。

「どういたしまして。それじゃあ、また後で」

 ジズの頭を撫で、軽く手を挙げてノインは去って行った。軍服が暗い色なのもあって、ノインの後ろ姿は赤い髪が灯台のように目立つ。そう思った瞬間ジズの頭の中に何かが浮かんだが、それは形を取る前に霧散した。そのことに、胸騒ぎとはまた違う、波紋のようなざわめきを覚えて胸元を押さえた。自分の鼓動をやけに大きく感じる。

『……て』

「え?」

 耳元で囁きが聞こえた気がして、ジズは振り返った。しかし、近くには誰もいない。広い廊下は遠くにちらほらと人影があるだけだ。

(気のせい……か)

 空耳だと思うことにして、ジズは歩き出した。動悸も気のせい、錯覚だと己に言い聞かせる。離宮の外を一人で歩くのは初めてだから、きっとそのせいだと結論付け、許可を貰ったことだしと気を取り直してジズは出口へ足を向けた。離宮からノインの執務室までの道順しか知らないので、今いる建物の外側を一周してみようと思う。

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