二章 3-3

 途中、木立を抜ける道に人影が複数立っているのに気付き、ノインは眉を顰めた。近付いていくと見知った顔で、何故ここにいるのだろうと首をかしげる。

「スロール中尉?」

 フリストの副官であるはずの青年は、ノインを見ると敬礼をした。彼の後ろにいる二人もそれに倣う。彼らは自分を待っていたらしいと、ノインはいやな予感を抱きつつ足を止めた。

「どうしたんだ、こんなところで。スロール中尉と……初めて見る顔だな」

「お初にお目にかかります。クロエネーゼ准尉です」

「アルブダールと申します。曹長です」

 名乗った二人に頷き返したノインが何をしているのか尋ねる前に、スロールが口を開いた。

「待ち伏せのような真似をして申し訳ありません。どうしてもノイン准将にお話がありまして」

「……人に聞かれたくない話か」

 スロールは首肯し、続けようとした。その前にとノインは釘を刺す。

「クーデターの話なら、もうフリスト大佐に断った。スロール中尉は聞いていただろう。私が荷担することはない」

 やはりその件だったらしく、スロールは一瞬沈黙したが、すぐに話し出した。

「ええ。ですが、我々には准将のお力が必要です」

「必要なのは私の力ではなく、准将という地位だろう。カルスルーエの名は貸さんぞ、家人にまで累が及ぶ」

 クーデターが失敗すれば、中心人物は家ごと潰されるに違いない。祖母だけならばまだしも、他家に嫁したとはいえ姉やその子らまでが巻き込まれる可能性もある。下手をすれば、ハイレン家までも。それはノインの望むところではない。

 スロールは強くかぶりを振った。

「いいえ、カルスルーエ准将のお力です。ディンファリで我らを救ってくださったのは、神でも奇跡でもなく、あなたです。何卒フリスト大佐にお力添えを」

 ここでも忘れたい国名が出てきて、ノインは聞こえよがしのため息をついた。呪いはどこにでもついて回る。自分のためだけに大量殺戮をした罰なのだろう。

 ディンファリ国は暗君の圧政が元で、反勢力組織ができあがっていた。内戦寸前だったところにグランエスカが侵攻したため、逆に一つに纏まりかけていたのだ。ノインはあることないこと情報を流し、くっつきかけた岩を再び二つに割ったに過ぎない。結果として反勢力組織はグランエスカにくみし、侵略を容易にした。卑怯者とそしられることはあっても、賞賛されることではない。

「私は君たちの力にはなれない」

「何故ですか? ノイン准将とて、戦は本意ではないのでしょう」

「そうだ。前も言ったが、戦を止めるために戦を起こすのは間違っている」

「何も我々は内戦を始めようとしているのではありません。戦を繰り返す上層部を……」

「どうする。皆殺しにでもするか?」

「いいえ、皆殺しにするつもりはありません」

「では追い落とすか。上層部の殆どは主戦派だ。それを倒せば、少なくとも軍は瓦解する。戦をしたがるのは困りものだが、現在軍を掌握し運営しているのは君たちが倒そうとしている人たちだ。そちらに従う兵も多いだろうし、報復の連鎖を生みかねない。まったく血を流さず、かつ、お歴々に納得ずくで退いて貰う方策があるというなら別だがな」

「……革命に犠牲は付きものです」

 スロールの返答を、半ば予想しつつもノインは失望を覚える。

「暴力や、自分以外の犠牲を正当化する革命は成功しないし、続かない。破壊は破壊しか生まないんだ。前線にいたなら知っているだろう、また繰り返すつもりか」

 理想を追うのはいいが、もう少し現実を見ろとノインは舌打ちを堪える。

「グランエスカは数多の国を飲み込んできた。未だ恨みを持つ者や、納得していない者も多いだろう。中枢が弱ったところを蹶起でもされたらどうする」

「それは……」

「それらに責任を取れないならば、クーデターなど起こすべきではない。動乱で最も被害を受けるのは、無関係の民だ。目先の目的に囚われるな」

「お言葉ですが、フリスト大佐ならきっと! 軍を再編して、いい方向に導いてくださいます!」

「一人で軍を回せるはずがない。大佐を過労死させるつもりか。それとも、大佐がそう言ったのか? 自分に全部任せろと」

 スロールは言葉に詰まったようだった。ノインはため息を混じりに告げる。

「相手を一方的に悪だと決めつけ、安全な場所から責任を負わずに批判するのは容易い。少し頭を冷やせ。行動を起こす前によく考えろ」

「失礼ですが……ノイン准将は、フリスト大佐が左遷された理由をご存じないのですか?」

「知っている」

 さっき本人から聞いたばかりだとは、胸中で呟くに留める。

「大佐がいなかったら、今頃フォールクと開戦していたかも知れないな」

「ええ、仰るとおりです。……フリスト大佐の後任は、クラーテル大佐です。あの人はスヴァルト少将の腹心でした」

 ノインは思わず瞠目した。フリストの後任のことは初めて知った。スヴァルトの腹心ならば主戦派だろうし、スヴァルトの命令には従うだろう。フリストにしたのと同じことを―――フォールク人を殺せと命じられれば、躊躇わないに違いない。

「このままでは戦争が始まってしまいます。そうなる前になんとかしなければ。こうしている間にも」

「気持ちはわかる。だが、今すぐ開戦というわけではない。議会は軍部に抵抗しているし、女王陛下も戦には否定的だ。早まるな」

 遮れば、スロールの眼差しが厳しくなる。

「どうしてもご助力はいただけないと」

「さっきも言った。クーデターには荷担しない」

「……残念です」

 呟き、クロエネーゼが足を進めた。アルブダールも動き、スロールを中心にノインを囲むように広がる。

(まあ、こうなるよな)

 半ばうんざりしながらノインは視線だけで周囲を伺った。周囲に人気はなく、離宮へはまだ距離がある。声を上げても届かないだろう。この道の先はルーシェの離宮しかないので、偶然誰かが通りかかるのも期待できない。さすがに三対一では勝ち目が薄いので、木立に逃げ込んで王城まで走るしかないかとノインは半歩後退った。

 しかし、スロールが二人へ向けて言う。

「やめろ、二人とも。准将に通報する気があるなら、もっと前に我々はフリスト大佐諸共捕らえられている」

「ですが、中尉。この先准将の気が変わらない保障はないのでは」

 疑わしげに言うクロエネーゼへ、ノインは苦笑する。

「今更通報しても、何故最初に大佐から話を持ちかけられたときに言わなかったって、逆に疑われるさ。私はお偉方に嫌われているからな」

 理由なら後からいくらでも付けられる。これ幸いとクーデターの首謀者にされかねない。

 スロールは小さくかぶりを振った。

「残念なのは本当です、准将。わかっていただけると思ったのですが」

「戦いたがる人間の気持ちなんかわからんよ。―――今回は見なかったし、聞かなかったことにしてやる。次はないと思え」

 スロールはまだ何か言いたげにしていたが、やがて頭を下げると王城の方へ戻って行った。それを見送りながら細く息を吐きだし、ノインも踵を返す。

(……若いなあ)

 ノインにも、あの青年たちのように、自分と仲間の力があれば世界を変えられると信じていた時期があったのだろう。往々にして、その渦中にいるときは自覚がない。夢の中で、今いる場所が夢と気付くのは難しいものだ。

 だが、だからといって若さの暴走で多数の人命と国の命運が危険に晒されるのを看過することはできない。

(もしかしてフリスト大佐は、ブレーキ役なのか?)

 最初にノインを勧誘したのはフリストだし、クーデターを計画しているのも本当だろう。だが、スロールたちのような危うさや切迫感はない。最初に話を持ち出したときも、スロールが口を挟まなければ、ノインに言うつもりはなかったかのようだった。もしかするとフリストが首領として抑えているから、スロールたちが暴発せずに住んでいるのかも知れない。

(もう一度、改めて大佐と話をするべきか……)

 考えながら離宮に入ると、ジズの使っている客間の扉は開け放たれていた。そこから流れてくる少年の声での鼻歌を微笑ましく思いながらのぞき込み、覚えのある旋律に目を見開く。

 出入り口に立ち止まったまま声をかけることも忘れて聞いていると、居間の窓辺に椅子を置いて外を眺めている風情だったジズは、気配に気付いたらしく勢いよく振り返った。そして、酷く驚いた顔のまま硬直する。その視線はノインの顔を微妙に外れ、少し上―――髪か頭のあたりを見ている。

「ジズ?」

 そんなに驚かせてしまっただろうかと呼びかけると、ジズは我に返ったようにひゅっと息を飲んだ。そして、何故か左耳を押さえる。

「どうした? 耳が痛いのかい?」

 耳を塞いでいたジズは忙しなく目を瞬き、手を下ろしながら取り繕うように気まずげに呟く。

「いや、その……聞いてた?」

「うん。上手だね」

 笑いながら首肯すれば、ジズはみるみる赤面した。恨めしげにノインを睨む。

「立ち聞きなんて悪趣味だな」

「扉が開いていたからね。廊下まで聞こえていたよ」

「か、風を通そうと思ったんだよ。閉めて」

 ノインが扉を閉めて部屋に入ると、ジズも立ち上がって窓を閉めた。歩み寄ってきた彼の頬に触れるとひやりと冷たくて、ノインは眉を寄せる。

「あまり風に当たりすぎては駄目だよ、冷えてしまう。―――女王陛下にお目にかかったのかい?」

「会ったけど……なんでわかったんだ?」

「さっき君が歌ってた歌、昔、陛下がよくお歌いになっていたんだ」

 納得した様子で頷き、ジズは窓の外を指差した。

「外れの方の花壇で会ったんだけど、ノインの花壇って言ってた」

「ああ……陛下とは、そこで?」

「うん。女王陛下が紫の花を摘んでたよ。毎年貰うんだって」

 レートフェティは昔から、キナリスの花が好きだったなと思い出し、ノインは小さく笑んだ。キナリス草は晩春から初夏にかけて、可愛らしい紫の花を咲かせるのだ。

 昔、レートフェティがまだ王女だった頃に、綺麗だから分けてほしいと頼まれて、好きなだけ摘んでいいと答えた。以来彼女は毎年、キナリス草が花を咲かせる頃になると、ノインの花壇へやってきて花を摘んでいく。

 あの場所が庭園として手入れされていたのは随分昔で、今は忘れ去られて久しく人も寄りつかないのをいいことにノインは、勝手に整備して使っている。特に秘密にしているわけではないが、場所を知る者は少ない。

「ノイン、女王陛下と知り合いなのか?」

「少しね。昔、俺が学者で陛下が王女だった頃に。陛下は書物がお好きで、よく書庫にいらっしゃっていたから。『カタツムリになりたい女の子』って絵本がお好きだったな……」

「カタツムリになりたい女の子? 変わってるな」

 不思議そうに首をかしげるジズへ、ノインも首をかたむける。

「知らないかい?」

 グランエスカでは定番の童話なのだが、ジズは幼少期を国外で過ごしたのかもしれない。あるいは、お伽噺や童話がどういうものか、知識でしか知らない可能性もある。

 ノインは簡単に物語を説明した。

 昔々、大きな屋敷に住んでいる女の子がいた。女の子は生き物が好きで、中でもカタツムリが好きだった。食事に嫌いなものが出たり、庭で躓いて転んだりというふうに、いやなことがあると、「殻にもる」と言っては自分の部屋に閉じ籠もる。扉をありったけの家具で塞いで、外から開けられないようにして。そして一人きりになると、木の棒を魔法の杖に見立てたり、スカーフをドレスに見立てたりと、いろいろな空想を巡らせて楽しむのだ。

「……やっぱり変わった女の子の話だな」

「まあね。……今思えば、陛下は一人になりたかったんだろうな」

 立場上、レートフェティは一人で行動することは許されない。どこにでも侍女と護衛がついてくる。王女だから仕方ないといえばそれまでだが、明るく振る舞う裏で、息苦しい思いをしていたのかも知れない。

「今も女王陛下と仲がいいの?」

「仲がいいと言うと語弊があるな。今は殆ど関わりはないよ。お姿を拝見するのも滅多にない」

「ふうん……?」

 納得したのかしていないのか、判断に困る返事をするジズの背に手を当て、ノインは寝室へ促した。

「夕食までもう少しあるから、休んでいるといい」

「寝るのはもう飽きたよ」

「あの花壇に行ったってことは、結構歩き回ったんだろう? まだ杖も手放せないのに。休まなきゃ駄目だ、また熱を出してしまうよ」

 ジズは複雑そうな表情で視線を落とした。

「でも……ここ、静かだろ? 寝てると、凄く小さな音でも気になって」

「何か雑音でも聞こえるのか? なんなら俺から注意するけど」

 ノインの視線を避けるように俯き、しばし迷う様子を見せてからジズは躊躇いがちにぼそぼそと言う。

「……ルーシェの、声が」

「ルーシェ?」

「苦手なんだ、あの鈴みたいな啼き声。ノインはなんとも思わないのか? あれを聞いて」

「俺は別に。そのときの機嫌の良し悪しがわかるくらいで」

「そっか……。―――…か」

「うん?」

 最後に落とされた呟きが聞き取れず、ノインは聞き返した。しかしジズは小さくかぶりを振って、無理矢理のような笑みを浮かべた顔を上げる。

「今は聞こえないから、寝るよ。……変なこと言ってごめん」

 言い置いてジズは寝室へ入っていった。変なことではない、気になることはなんでも言って欲しいと思ったが、寝るというのに追いかけて騒ぎ立てるのもはばかられて、ノインは無言で部屋を出る。確かに今はルーシェの鈴鳴は聞こえない。時刻からして、食事でもしているのかも知れない。

 廊下を歩きつつ、鈴鳴は万人受けするものではなかったかと、ノインは認識を改めた。彼女の「声」を聞いた人間は誰もが褒めそやし、否定的な意見は聞いたことがなかったので、ジズの反応を意外に思う。

(ジズが目を覚ます前にずっと傍で啼いてたのは関係あるのかね。鈴の音に飽きるなんて聞いたことないけど、四六時中近くで聞かされたらうんざりするかもな)

 今後は少し気を付けようと、ノインは離宮を後にした。

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