二章 4-1

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 慰問の出発を五日後に控え、ノインはジズと町に出ていた。相変わらず仕事は山積みだが、遠出をする準備が必要だと無理矢理休みをもぎ取ったのだ。

 初めて城下町に出るジズは、記憶がないからだろうが、目を輝かせて首を巡らせている。正面を向かないので危なっかしく、ノインは人にぶつかりそうになるジズの腕を引いて避けてやった。

「ほら、危ないから前を見て歩いて」

「ご、ごめん……」

 注意すると一旦は前を向くが、またすぐ何かに気を取られてよそ見をする。王城から広場までの乗り合い馬車の車中でも、ジズは窓に張り付き通しだった。気持ちはわかるが、今度何かにぶつかりそうになったら手でも繋ぐかと考えていると、ジズに肘のあたりを掴まれた。

「なあ、あれなんだ? あの四角いの」

「あれは常夜灯だね」

「そうなのか? 城のと随分違うな」

 王城や離宮の常夜灯は装飾が凝ったものばかりである。あれを町中に置いておいたら盗難もありそうだ。

「形は違うけど用途は同じだよ。町は城より広いから、数が必要だろう? 単純な形の方が作りやすいからね」

「なるほど。じゃああれは? 背の高いやつ」

「教会の鐘楼。朝、昼、晩と、結婚式とか葬儀とかの時に鳴るよ」

「へえ……城の外にもあんな大きな建物があるんだな」

「ああ、ここだ」

 目的の店に着いたので促してもジズの視線は鐘楼に向いており、微笑ましく思いつつノインはそっと彼の背を押した。

「今度、時間がとれたら城下町を回ろうか」

 告げれば、ジズは勢いよくノインを見上げる。

「ほんとに?」

「ああ。とりあえず今日は買い物を済ませてしまおう」

「うん」

 店に入るとドアベルが鳴り、老齢の店主が出てくる。

「いらっしゃいませ。お久しゅうございます、ノイン坊ちゃま」

 昔のままの呼び方をされてノインは顔を顰めた。

「坊ちゃまはやめてください、フレーグさん。もうそんな年じゃありませんよ」

 昔から懇意にしている衣料品店なので、店主とは三十年来の付き合いである。ノインが幼い頃からまったく外見が変わらないように思えるフレーグは、好々爺の笑みを浮かべた。

「かしこまりました、ノイン様。本日はどのようなご用件で?」

 ノインは口までぽかんと開けて店内を見回しているジズを示した。

「この子の旅装が欲しいんです。見繕って貰えませんか」

「おや。ご旅行ですか」

「そうだといいんですけどね。仕事です」

 答えを聞いてフレーグは目を丸くした。

「こんな少年を戦場へ?」

 ノインは慌てて手と首を左右に振った。

「違いますよ。行き先で戦はしていません」

「それはよかった。―――では坊ちゃま、採寸いたしますのでこちらへ」

 フレーグに言われても、ジズは生地の棚が気になるらしく、そちらを見ていて振り返りもしない。ノインは苦笑しつつジズを呼んだ。

「ジズ」

「ん? ……あ、坊ちゃまっておれのこと? ノインじゃなく」

「だから、俺はもうそんな年じゃないってば。フレーグさん、この子はジズです」

「かしこまりました、ジズ坊ちゃま。ノイン様はそちらにおかけになってお待ちください。お茶をお持ちいたします」

 呼ばれたジズは、どこかむず痒そうな顔でフレーグについて行った。残されたノインは示された椅子には座らずに、展示してある服や布、装身具などを眺めて時間を潰す。女物の方が種類も数も多いが、服飾に疎いノインにはさっぱりわからない。何故形も同じストールが二枚もかけられているのかと思い、よく見るとレースの柄が僅かに違っていた。

 商品を一通り眺め、手持ち無沙汰になったノインは窓から通りへ目を遣った。この店は貴族街の一角にあるので、行き交うのは身なりのいい紳士や貴婦人、紋付きの馬車ばかりである。

 人や馬車の流れを見るともなしに眺めていると、見覚えのある馬車が店の前を通りかかって、ノインは目を瞬いた。思わず窓に近付いてよく見れば、やはり紋章はハイレン家のもので、誰が乗っているのだろうと目を凝らす。しかし、窓に紗が垂らされていて人影すら見えないまま馬車は行き過ぎ、未練がましく見送っていると背後から声がかかった。

「ノイン様」

 振り返れば、フレーグが片手で店の奥を示している。テーブルにはいつの間にかお茶が置かれていて、気付かないうちに店員が出してくれたのだろう。

「お待たせしております。お着替えがお済みになりましたので、こちらへどうぞ」

 ノインは頷いて窓から離れ、フレーグについて行った。

 奥の試着室では、渋い緑の色調で纏められた旅装に身を包んだジズが、大きな鏡の前に所在なげに立っている。

「似合うじゃないか」

 声をかけると、ジズは鏡越しにノインを見て照れくさそうに笑った。

「なんか、変な感じ」

「そんなことないよ。どこかおかしいところはないかい? 動きづらいとか、きついとか」

「ううん。ちょうどいい」

 言いながらジズは腕を上げ下げしたり、身体を捻ったりしてみせた。ノインは頷き、フレーグに告げる。

「それじゃあフレーグさん、これと、あと同じサイズのものをもう二揃いお願いします。……ああ、靴は一足でいいかな」

 ジズが何故か慌てた様子でノインの腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっと待て。なんで三着? 一着でよくないか」

「着替えと、予備だ。道中何があるかわからないし、必要だろう?」

「そうだけど、でも……高いんじゃ……」

 戸惑ったように言うジズの頭を、ノインは笑いながらくしゃくしゃと撫でた。

「お金のことなんて、ジズが気にすることじゃないよ。それに、俺はこう見えて案外お金持ちなんだ」

 完全に納得したわけではなさそうだったが、頷いたジズの頭をもう一度撫でてノインは改めてフレーグに向き直った。

「そんなわけですので、お願いします」

「かしこまりました。お届けは王城でよろしいでしょうか」

「ええ」

「では、明日にでもお届けに上がります。―――それともジズ坊ちゃま、着てお帰りになりますか?」

 フレーグの言葉がよほど以外だったのか、ジズはぎょっと目を見開いて髪が広がるほど首を振った。

「元の服に着替えます」

「左様でございますか」

「じゃあ、そっちで待ってるから」

 ノインはフレーグと共に表へ戻り、支払いを済ませてしまう。待つことしばし、着替えてジズが出てきた。ノインはフレーグに別れを告げ、ジズと共に店を出る。昼が近いので、食事をして帰るか帰ってから食べるか迷いながら通りを見回したところで、遠くから聞き覚えのある声が聞こえた。

「父様ー!」

 振り返れば、通りの向こうから王立学院の制服姿のエイリーヴが駆けて来る。何故ここにとノインは目を見開いた。

「エル?」

 駆け寄ってきたエイリーヴを抱きとめると、彼は息を弾ませながら嬉しそうにノインを見上げた。

「町中でお会いするのは初めてですね!」

「そうだね。こんなところで、どうしたんだい? 今日は休みだったっけ」

「今日から夏の休暇なんです」

 夏期休暇かと、ノインは納得して頷いた。そして、身体を離したエイリーヴが一人であることを疑問に思う。そのことを問えば、エイリーヴは駆けてきた方向をちらりと振り返った。

「母様が学院まで迎えにきてくださって、ここへは母様の御用事で。そうしたら向こうから、父様が出ていらっしゃるのが見えたので」

 それで走ってきたらしい。ノインは苦笑して息子の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「母様と護衛は置き去りかい? 今頃探しているんじゃないかな」

「……ごめんなさい」

 ばつが悪そうに首を竦めたエイリーヴは、ノインの隣に立っているジズに視線を移して心配そうな顔になった。

「あの、こちらのかたは……大丈夫ですか? お顔の色が優れませんが」

 ジズを見下ろし、エイリーヴが言うように青ざめているのを見てノインは眉を顰めた。何かを堪えるように左手で右手を包むようにして、細い肩が小刻みに震えている。

「ジズ? どうした、具合でも悪いのかい?」

 覗き込んで尋ねれば、俯いたジズは小さくかぶりを振った。

「なんでもない。なんでも……」

 自分に言い聞かせるように繰り返して呟き、しかし言葉とは裏腹にジズの顔はだんだん白くなっていく。突然体調が悪くなったのだろうかと、ノインはジズの背をさすった。ジズは縋るようにノインを見上げ、やはり首を左右に振って顔を伏せると両耳を塞いだ。

 エイリーヴがおろおろとノインとジズとを交互に見る。

「あ、あの、母様がお薬を持っているかも……僕、訊いてきます!」

「待って待って。母様の薬がジズに効くとも限らないよ。それよりも―――」

「エル!」

 女性の声が聞こえてノインは言葉を途切れさせた。声のした方を見ると、栗色の髪を編んで纏め、落ち着いた色のドレスを纏った女性が、護衛を従えて早足でやってくる。

「ああ、よかった。急に走り出すから驚いて……」

 彼女は言葉の途中で息を飲んだ。ノインを見つめて半ば独白のように呟く。

「……ノイン」

 ノインも、思いがけず顔を合わせることになった元妻の名を呼んだ。

「ヘルギ……」

 戸惑った様子のヘルギは、言葉を続けようとしたのか唇を動かしたが、頭を抱えているジズに気付いたのか、視線を滑らせて双眸を零れ落ちんばかりに見開いた。

「どうして……!?」

 ヘルギが悲鳴のような声を上げるとほぼ同時に、ジズが苦しみだした。

「……う……うう……だめ、だ……」

 耳を塞ぐ手に力が籠もり、頭を抱えるようにしてジズは背を丸める。その尋常ではない様子に驚きながら、ノインは彼の肩に手をかけた。

「ジズ? どうした?」

「や、だ……いやだ……」

「ジ……」

「いや、だ……あああああああああ!」

 ノインの手を振り払い、ジズは獣じみた叫び声を上げてエイリーヴに飛びかかった。驚いた顔のエイリーヴともつれるように倒れ込む。ジズの手がエイリーヴの首元にかかっており、ノインは慌てて止めに入った。

「ジズ! やめろ!」

 力任せにジズを引き離すと、解放されたエイリーヴが激しく咳き込む。護衛が割って入るよりも早く、ヘルギがエイリーヴを隠すように抱き締めた。

 羽交い締めにしたジズは荒い息をつきながら、涙をぼろぼろと零していた。何かを否定するように首を左右に振り続け、食いしばった歯の隙間から押し出すようにして言う。

「殺せ……殺せ……殺、さない、と……」

 聞こえた言葉に、ノインは己が耳を疑った。どういう意味かとジズに問う前に、ヘルギが声を上げる。

「この子は違うの、エルは違うのよ! エルのことじゃじゃないの!」

 髪を振り乱す勢いでヘルギは叫ぶ。

「本気だったわけじゃないの、取り消す、取り消すわ! だからもうやめて……!」

 周囲には騒ぎを聞きつけた人々が集まり始めていた。店の中にも聞こえたのだろう、フレーグが驚いた顔で出てくる。

「ノイン様、これは一体……ヘルギ様? エイリーヴ坊ちゃまも」

 このままではヘルギたちが晒し者になってしまうと、ノインはフレーグへ頼んだ。

「すみません、フレーグさん。奥の部屋を貸してください」

「は、かしこまりました。こちらへ」

 戸惑いながらもフレーグは店の扉を大きく開いてくれた。ヘルギとエイリーヴを先に中に入れ、ノインもジズを半ば抱えるようにして入る。ジズはノインの腕から逃れようとするかのように身を捩ったが、やがてかくりとくずおれた。意識を失ったらしい彼を抱きとめ、しかし状況に理解がついていかず、ノインは唇を引き結んだ。

(何がどうなってるんだ、一体)

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