一章 1-1
一章
1
ノインは押し問答を続けていた。
「ですから、ヘルモード中将。
「冗談もほどほどに。探していたのは侍女でしょう。賊は男だと報告を受けています」
「嘘だとお思いでしたら、虹翅の姫に直接お尋ねください。証人が必要であれば、当夜の警備が姫の言葉を聞いています」
「虹翅の姫の侍女捜しが難航しているのは聞き及んでいます。ですが、素性の知れぬ
ヘルモードは机に両肘を付き、組んだ手の上に顎をのせた。挑みかかるようにノインを見上げて来る。
将官の紅一点であるグレイス・ヘルモードは、怒らせると誰よりも恐ろしい。しかし、ルーシェがようやく選んだというのに、尋問の後処刑されるとわかっている少年の身柄を渡すわけにはいかない。
「現状、あの少年が脅威になるとは思いません。私が一切の責任を負います。虹翅の姫は、一度決めると翻さないんですよ。中将もご存知でしょう?」
「それを説得するのがあなたの仕事ですよ、准将」
「はい。ですので、まだお話を聞いていただけそうな中将へ、お願い申し上げている次第にて」
「虹翅の姫はそれほどまでに頑固ですか。わたくしも素直な方ではないのですが」
「兇手の少年、様子がおかしかったそうですね。左腕が折れ、右大腿部を打ち抜かれているにも関わらず、暴れ続けたとか」
ノインが少年とルーシェの
少年の骨折は正確には左の前腕と肋骨四本。それ以外にも
後から聞いた話によると、少年は、王城で警備兵に見つかって、ルーシェの離宮へ逃げ込んだらしい。おそらく、怪我の殆どは王城を脱出するまでに負ったものだろう。右大腿部の銃創は、常人であればとても歩けたものではないと、手当てしてくれた軍医が言っていた。もう少しずれていたら命はなかった、とも。
眼差しを鋭くしたヘルモードが告げる。
「その少年、『人形』ではないのですか」
「……可能性は否定できません」
「だとしたら、傷が癒えても目覚める可能性はゼロに近い」
グランエスカ王国軍で言う「人形」は、使用者の思い通りに動くよう、薬で自我を壊された人間のことだ。怪我や痛みに頓着せず、殺戮を
「まだ『人形』と決まったわけではありません。『人形』だとしても、絶対に目覚めないというわけではありませんし、もう少し様子を見ようかと」
「もう少しというのはどれくらいです?」
「怪我が治るくらいまでは。それでも目覚めなければ、虹翅の姫も諦めてくれるでしょう」
「随分悠長に構えていますこと。目を覚まさずに死んだ場合は?」
「それはさすがに諦めて貰わざるを得ません」
睨み合うことしばし、ヘルモードが根負けしたように息をついた。姿勢を正した彼女の視線は刃のようで、急激に気温が下がった気がしてノインは身震いしそうになった。それを察したわけではないだろうが、ヘルモードは薄く笑みを浮かべる。
「いいでしょう。少年の身柄は准将に任せます。先程の言葉、二言はありませんね」
「……はい。私が一切の責任を持ちます」
「万が一少年が目を覚ましたら、すぐに知らせてください。いいですね」
「承りました」
これ以上は譲れぬと言外に感じて、ノインも引き下がることにする。とりあえず少年の身柄がノイン預かりとなっただけでも目的は達成された。
「それでは、失礼いたします」
「お待ちなさい、カルスルーエ准将」
踵を返しかけて呼び止められ、ノインはヘルモードへ向き直った。つい先程までの険はどこへやら、彼女はにっこりと微笑む。いやな予感しかしないが、立ち去るわけにもいかない。
「……なんでしょうか」
「午後からの将官軍議、出席しますよね」
予想外のことを問われ、ノインは目を泳がせた。欠席するつもりだったとは言えない。
「その……私が出ても、ただそこにいるだけになるのではないかと……」
「謙遜も過ぎれば嫌味に聞こえますよ、ディンファリ戦役の英雄殿」
二年前の戦の名を出されて、ノインは考える時間を稼ぐために眼鏡を押し上げる。
「そのような人物は
「知っています。ですが、それが軍議に出ない理由にはなりません」
「それは……」
「今日は陛下がお出ましになります」
思わずノインは目を瞬いた。
現在グランエスカ王国が
「……早く言ってください。それなら出ますよ」
出席を了承してヘルモードの執務室を出た。身体の芯に残る緊張を吐き出すように大きく息をつく。
(どうもあの人は苦手でいけない……)
階級や年齢の差を抜きにしても、ノインはヘルモードにかなう気がしない。彼女の前に立つと、悪さをしたわけでもないのに、母親に叱られるのを待つ子供のような気分になる。
廊下を歩きながらノインは、誰もいないことをいいことに大欠伸をした。
後始末と対応に追われて、昨夜は一睡もしていない。すぐさま話が上がったのか、今日の始業早々に軍令部から少年の引き渡し要請があり、それを拒んだところ、軍令部副総長のヘルモードに呼び出された次第だ。
少し仮眠をとれないだろうかと懐中時計を引っ張り出してみれば、既に昼前だった。一度、執務室に戻ろうかと思ったが、どうせもうすぐ昼休みなのだからとノインはルーシェの離宮へ足を向けた。少年の様子見を口実に、少しだけ休むことにする。
中央から遠ざかるにつれ人気は少なくなる。ぼんやりと歩いていると、前方から鞄を提げた中年の男が向かってきた。
「ああ、ノイン准将。丁度良かった」
「ヴィーラント大尉」
軍医であるヴィーラントはルーシェの担当医でもあるので、ノインが最も頻繁に顔を合わせる医者だ。それ故に気安く、申し訳なく思いつつも昨夜呼び出して少年を診て貰った。
「今しがた、
あの怪我でよく離宮まで、とヴィーラントは表情を曇らせる。
「骨折や銃創は熱が出やすいのですが、彼はそんな様子もありませんでした。発熱する体力も残っていないとなると……」
「そうですか……助かる見込みはありますか?」
「楽観的に見ても、五分五分でしょうな。また、夕方に参ります」
「お手数をかけます」
「いいえ、私の役目ですから」
笑顔で言い、軽く頭を下げてヴィーラントは立ち去った。
本当は少年を医務室に移した方が、診察も看護もしやすい。しかし、移送する段になって、ルーシェが連れて行くなと騒ぎだし、今度は誰が諫めても引き下がらなかったため、ルーシェに医務室に居座られるよりはと、離宮で回復を待つことになったのだ。
ノインが王城を出てルーシェの離宮へ向かう途中、昼を知らせる鐘が鳴った。
ルーシェの離宮は城の敷地の東端にあり、周囲に生い茂る木々が視界を遮っている。元は迎賓館で、建物の老朽化により最近は使われていなかった。しかしルーシェが、ここがいいと言って譲らず、急いで修繕されたのだとノインは聞いている。
木々の間を通る、舗装されていない道を進んでいくと、小さな鈴を束ねて振るような音が聞こえてくる。今日のルーシェはご機嫌らしいと、ノインは小さく笑んだ。彼女が「
機嫌が良いなら顔を出すのは後でいいかと、ノインは少年が寝ている二階の客間へ向かった。しかし、近付くにつれ鈴鳴がはっきりと聞こえるようになり、ノインは首を捻る。
(……まさか)
鈴の
「ノイン様」
顔を上げれば、アレクシアと、ルーシェ付きの侍女の一人であるナンナが階段を下りてくる。ということはやはり、ルーシェはこの先にいるらしい。
「ルーシェは『彼』のところですか」
踊り場で足を止めたアレクシアは渋い顔で首肯した。
「困ったものですわ。お部屋にお戻りくださいますよう再三申し上げておりますのに」
「ずっと『彼』に付ききりで?」
「ええ、今日お目覚めになってからずっと。お食事も召し上がってくださらないので、せめてお薬湯をと思いまして」
アレクシアは薬師もかくやというほど薬や薬草に詳しい。ヴィーラントの処方ではいやがるルーシェも、アレクシアが調合したものは口にする。
「では……、『彼』を選んだのは気の迷いでも、考え直してくれることも、ないわけですね」
ルーシェ付きの侍女は基本的に四人だ。三月ほど前に一人が辞めてしまったために、今はアレクシア、ナンナ、ライヤの三人である。欠員を補充したいのだが、どんな令嬢を連れて行っても、ルーシェは首を縦に振ってくれない。
「ご決心は固いようですわ。無理もありません」
「無理もない?」
独白のような言葉が引っかかって問い返すと、アレクシアは答えずに柔らかく笑んだ。
「わたくしがお止めしても、姫様はお聞き入れくださいませんでしたから」
流されてしまったが、話さないと決めたアレクシアから聞き出せた
アレクシアはルーシェ付きでは最古参で、ルーシェがここへくる前から仕えているという。信頼も厚く、アレクシアが言っても駄目ならば誰が言っても聞かないだろう。だが、責任者として放っておくことはできない。
「私も説得してみます。まあ、無駄だとは思いますが」
「お願い申し上げます。侍女の件はともかく、付きっきりというのは
言葉を濁すアレクシアに苦笑を返し、ノインは彼女たちと擦れ違った。ルーシェの鈴鳴は絶えず聞こえてくる。
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