二章 4-3 

 部屋から出ると、ノインたちが出てくるのを待ちかねていたようにエイリーヴが駆け寄ってくる。

「父様、母様。もうお話は終わったのですか?」

 心配そうに見上げてくるエイリーヴを軽く抱擁してすぐに放し、ノインは頷いて見せた。

「ああ、終わったよ。心配をかけたね」

「いいえ……。あの、さっきのかたは、何か罰を受けるのでしょうか」

「さっきの? ……ああ」

 ジズのことかと納得し、ノインは息子と視線を合わせるために腰を屈めた。

「乱暴をされたのはエルだ。許せないなら、しかるべき措置を執るよ」

 エイリーヴは目を見開いて勢いよく首を左右に振った。

「いいえ! 驚きましたけど、僕はどこも怪我していませんから。具合が悪そうで、泣いていたし、何か事情があったのかも……父様、どうかあのかたが咎められないようにしてください」

「わかった。エルは優しいね。……ありがとう」

 ノインの礼の意味がわからなかったか、エイリーヴはきょとんと目を瞬いたが、すぐに笑んで頷いた。ノインも頷き返し、姿勢を戻して言う。

「後のことは父様に任せて、エルは母様と一緒に。気を付けて帰るんだよ」

 エイリーヴはノインとヘルギを交互に見て、躊躇いがちに口を開いた。

「あの……父様は……」

 自分は一緒に行けないのだとノインが応える前に、エイリーヴは慌てた様子で打ち消す。

「いえ、なんでもありません」

 賢く聡いがために、子供らしい我が儘一つ言えない我が子を、ノインは不憫に思う。しかし、エイリーヴに聞き分けのよい子供であることを強要しているのは自分なのだと、息子を抱き締めた。

「いつか……近いうちに必ず、どこかへ出掛けよう。三人で」

 ヒュンドラには、ハイレン家の人々にはもう会うなと言い渡されている。ノインの妻に相応しい女性は祖母が見付けてくれるらしい。―――糞喰らえだ。

 エイリーヴは息を飲み、ノインを抱き返した。

「本当ですか? 三人で?」

「ああ。約束だ」

「はい……はい! 楽しみにしています」

 身体を離し、ノインはエイリーヴの頭を撫でた。それからジズを看てくれている護衛を呼ぶ。その間、ヘルギとエイリーヴはフレーグに礼を言っていた。

 帰っていく彼女らを見送って、踵を返すと同時にもう一つの個室から大きな物音が聞こえた。何事かと慌てて戻ると、床に這い蹲ったジズが起き上がるところだった。今の音は寝かされていた長椅子から落ちた音だったらしい。

「ジズ! どうした?」

 はっと顔を上げ、ジズは跳ねるように立ち上がった。怯えた様子で部屋を見回し、窓を開け放って身を乗り出す。

「待て!」

 窓枠を乗り越えようとしているジズに駆け寄り、ノインは力任せに窓から引き剥がした。暴れる少年を抑え込む。

「落ち着いて、大丈夫だから。ジズが罪に問われることはないよ。逃げなくてもいい」

 ジズはしばらく藻掻いていたが、やがて力尽きたかのようにその場に座り込んだ。ノインは窓を閉め、ジズを長椅子に運んで座らせる。

「さっきどこか傷めたかな。咄嗟のことで、力加減ができなかったから……大丈夫かい?」

 今度は辛抱強く答えを待つ。やがて、沈黙に耐えかねたようにジズが唇を震えさせた。

「……でだよ」

「うん?」

「なんで……おれは、あんたの息子を殺しかけたんだぞ!」

 ジズの怒号は悲鳴に聞こえた。ノインはゆっくりとかぶりを振る。

「故意だったら許さないけど、あれは事故みたいなものだ。ジズの意志じゃなかったんだろう?」

 ぎこちなく首を動かし、ジズは青ざめた顔をノインに向けた。泣いたせいだろう、赤く腫れた目が痛々しい。何か冷やすものをフレーグに頼もうかと思っているうちに、緑色の双眸は再び水の膜に覆われた。ぽろぽろと涙を零しながらジズは項垂れる。

「ごめん……」

 掠れた声で謝られて、ノインは苦笑しつつジズの背中を撫でた。

「だから、事故みたいなものだって―――」

「違うんだ」

 ノインを遮ったジズは涙声で言う。

「おれ、知って……気付いて、た……」

「……何を?」

「あんたの髪……赤い髪、意識する度に、聞こえるんだ……『殺せ』って」

 ジズの言葉を聞いて、ノインは目を見開いた。両手を震えるほどに強く握り締めたジズは、しゃくり上げながら言う。

「さ、最初は、空耳だと……でも、だんだんはっきり聞こえるように、なって……その分、殺さなきゃって……気がして」

 声は大きく、無視できないほどになった。それに伴い強迫も強くなったとジズは言う。

「さっきも、ノインにそっくりな子が、いて……息子、なんだろうなって……か、髪も同じ、赤毛だと思ったら、やっぱり聞こえて……今度は、逆らえ、なかっ……」

 途中でジズは咳き込んだ。焦らなくていいとノインは薄い背をさすってやる。一頻ひとしきり咳をしてから、ジズはますます顔を伏せた。

「ごめん……ごめんなさい。言っておけば、こんな、ことには……でも、怖くて……言ったら、きっと……」

 泣きながらごめんなさいと繰り返すジズを、ノインは堪らず抱き締めた。ジズは一瞬驚いたように竦んだが、ノインにしがみつくと声を殺して泣き始めた。

 ジズが耳を塞ぐのは、その声のせいだったのかとノインは得心する。ずっと一人で幻聴に悩み、怯えていたのかと思うと、胸が詰まる。同時に、例の「誰か」への焼け付くような怒りを覚えた。

(一体何がしたいんだ……)

 ノインを殺したいなら、もっと安全つ確実な手段がいくらでもある。わざわざヘルギを巻き込み、ジズの手を汚させようとしたのが許せない。

 ノインはジズの背を軽く、幼子をあやすように叩く。

「気にすることないよ、ジズが悪いんじゃない」

 ジズはノインの肩に額をこすりつけるように首を振った。

「で、も……このままじゃ、おれ……いつか、ノインを殺して、しまう……」

「俺だって軍人の端くれだよ。そう簡単に殺られはしないさ。それに、今ジズは暗示をかけられている状態だと思うんだ」

 告げれば、ジズはほんの少しだけ顔を上げた。

「あん、じ……?」

「うん。俺はさっき、ジズが『いやだ』って言ったのを聞いてる。いやなのに、本当は殺したくなんてないのに、強制する声に抗えなかったんだろう?」

 少しの間を置いて、ジズは小さく頷いた。ノインは笑んでジズの頭を撫でる。

「暗示が解ければ、きっと幻聴もなくなる。方法を探すから、いきなりいなくなったりしないでおくれよ? そこの窓から出るとかさ」

 冗談めかして言えば、ジズはくしゃりと顔を歪めた。頬を新たな涙が伝い落ちる。

「なんで……? おれ、何も覚えてない……覚えてない、だけで、たくさん……、人を殺してるかも、しれないのに」

「君は、人は殺してないと思うよ。軍にいるとね、なんとなく見分けがつくようになるんだ。だから大丈夫。安心して」

「……っ」

 今まで溜め込んできたものを吐き出すかのように、ジズは声を上げて泣き出した。彼が泣き止むまで、ノインは背中をさすっていた。

(許せない……首謀者を絶対に見つけ出してやる)

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