一章 3-2

 ルーシェは自分の方が先に話したいと駄々を捏ねたのだが、ヘルモードは邪魔だとばっさり切り捨てた。平行線の言い合いの末にルーシェが「この人嫌い!」と捨て台詞を残して居間へ逃げたとき、その場にいたヘルモード以外の全員が安堵の息を漏らした。

 ヘルモードはいかなるときも、自らが正しいと思うこと、必要だと思うことは譲らない。そうでなければ軍令部副総長など勤まらないのだろうが、ルーシェはルーシェで誰が相手であろうと、己の好悪こうお以外で態度を変えることはないので、言い合いを聞かされる方の神経が磨り減ってしまうようだ。

 踊るような足取りで寝台までやってきたルーシェは、にこにこと少年に話しかけた。

「もういいわよね。お話ししましょう」

 少年は応えず、目と口をぽかんと開いた。何度か確かめるように瞬きをして呟く。

はね……?」

 少年の視線は少女の背中に向いていた。

 ルーシェの背には、一対の翅がある。形は蝶のそれに似ているが、光の加減で七色に変化し、向こう側が透けて見えるほど薄い。空を飛ぶ力はなく、ただ美しく少女の背を飾る。この翅を震えさせて、ルーシェは鈴の音のような声で「啼く」のだ。

 ノインは既に慣れてしまったが、引き合わされた当初は自分も驚いたと、当時を少々懐かしく思い出す。

「ルーシェは『有翅ゆうし族』なんだ」

 ノインが告げると、少年は驚いた顔のままノインを見上げた。

「……お伽噺の中だけだと思ってた。本当にいるんだな」

 少数種族の一つである「有翅族」は、その名の通り背に薄い翅を持ち、鈴のような美しい声で啼くのが特徴だ。昔は森や山岳地帯で姿を見ることができたらしいが、近年急激に数を減らして目撃される機会も少なくなり、半ば伝説のように言われている。

「ねえ、あなたはセドナの人でしょう? どのあたりに住んでいたの?」

「セドナ……?」

「ルーシェ、彼は重傷で眠り続けていて、起きたばかりなんです」

 ヴィーラントを呼ぶよりも早くヘルモードが現れたために、ノインも少年と殆ど話せていない。訊きたいことは山ほどあるが、今は医者に診せるのが先だとノインはルーシェを説得にかかる。

「長く眠っていたからか、少々記憶に混乱も見られます。今は、名前も年も思い出せないと」

「知っているわ。でもお話しはできるのでしょう」

「ええ……しかし今は」

「名前がわからないなら、ジズなんてどうかしら? 9ノイン10ジズなんて、面白いじゃない」

「……名前はさておき、ヘルモード中将と話して疲れているでしょうから」

 ヂヂッ、と普段聞かない鈴鳴を立て、ルーシェは頬を膨らませた。

「あの人嫌いよ。わたしの話を全然聞いてくれないのだもの」

「中将はお忙しいかたです。もうこちらへはいらっしゃらないでしょう」

 少年を呼びつけることはしそうだが、とは、胸中で付け足すだけにする。ルーシェはまだ不満そうだったが、先程までヘルモードが座っていた椅子に腰掛けた。

「わたしはルーシェよ。ねえ、ここにくる前はどこにいたの?」

 一瞬で機嫌を直して笑顔になるルーシェとは裏腹に、少年は戸惑った様子で視線を彷徨わせる。遠回しでは伝わらないらしいと、ノインはやんわりと割って入った。

「ルーシェ、今は彼を休ませてあげてください。まずはヴィーラント大尉に診て貰わなければ」

「いやよ。呼んでいたのよ、五日も。やっと集まって、お話しできると思ったのに」

『え?』

 聞き返した声が重なり、ノインは思わず少年を見た。少年も不思議そうにノインを見上げている。その血の気のない顔を見て、彼が起きるのを心待ちにしていたルーシェには悪いが、やはり診察が先だとノインは少年との距離を詰めた。

「顔色が悪いね。ちょっとごめんよ」

「何……」

 身体を竦ませる少年の額に手を当て、ノインは大袈裟に仰け反る。

「大変だ、とても熱い。また倒れてしまうかも知れない。今すぐヴィーラント大尉に診て貰わなければ」

 かなり大仰な演技で自分に役者の才能はないとノインは思ったが、ルーシェは目を丸くした。これなら説得できるだろうかと手を引っ込めて続ける。

「起きたばかりで長く話して、疲れてしまったのかも知れません。どうか、今日は休ませてあげてください」

「でも……」

 ルーシェは考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。いかな頑固者でも、話をしたい相手に死なれたくはないのだろう。悲しそうに俯いてか細い声で言う。

「わかったわ……お話しするのは治ってからにするわ。そのかたをお願いね、ノイン。早く治るよう祈っているわ」

 ルーシェは侍女たちに付き添われて、とぼとぼと部屋を出て行った。翅まで下げた小さな後ろ姿にノインは良心の呵責を感じるが、こうでもしないと解放してくれないだろうと己に言い聞かせて少年に向き直る。すると彼は、複雑そうにノインを見上げていた。

「熱はないけど……」

「そうかい? ちょっと熱かった気がしたな。微熱でも、下がりきるまで安静にしていないとね」

 言いながらノインは少年に寝るよう促した。背にあててあるクッションを外し、横になった少年の口元まで上掛けを引っ張り上げる。それから廊下に顔を出して警備兵にヴィーラントを呼んで貰うよう頼む。

 寝室に戻ると少年は目を閉じていた。しかし、ノインの気配に気付いたのか、まぶたを持ち上げる。

「眠いなら眠ってもいいよ。今、ヴィーラント大尉がくるから」

「ヴィー……?」

「ヴィーラント大尉。軍医だ。君の手当をしてくれた人だよ」

 言葉を切ってから少し考え、ノインは続けた。

「具合が良くなってからでいいから、ルーシェの話し相手をしてくれないかな。君が処刑されなかったのは、彼女のおかげなんだ」

「……どういうことだ?」

 眉を顰める少年へ、ノインは現在に至るまでの事情を簡単に説明した。少年は困惑した様子で顔を曇らせる。

「さっきの女軍人も言ってたな。おれが、誰かを殺そうとしてたって……」

「俺は君が武器を振るっているところは見ていない。こちら側の被害は兵士が三人、軽傷を負っただけだ」

 ノインが言葉を切ると、しばらく沈黙が落ち、少年が遠慮がちに口を開く。

「……何も訊かないんだな、あんた」

「君が何も覚えてないのは聞いたからね。無理に思い出そうとしても辛いだけだろう」

「嘘、ついてるかもしれないだろ」

「ついているのかい?」

「……ついてない」

 それならいいと頷くと、少年は複雑そうな顔になった。自分が尋ねないことが彼の不安になっているのならと、ノインは言う。

「話しているだけでもわかることは結構あるものだよ」

「そうか?」

「うん。君は『有翅ゆうし族』という種族を知っているし、お伽噺が何かというのも知っている。知識は残っているんだね。忘れているのは、君自身に関することだけだ」

 言われて初めて気付いたとでも言うように、少年は何度か目を瞬いた。

「ゆっくり思い出して行けばいいよ。ヘルモード中将は、君を脅威ではないと判断しただろうから」

 直接やり取りをして少年の言葉に嘘はないと判じたのだから、ヘルモードの考えはそうそう覆らないだろう。もし彼のすべてが偽りで、接した人間全員を欺いているのなら、最早ノインたちにかなう相手ではないとも思う。

「でも、名前がないのは不便だな。どうしようか……」

 少年は目を伏せて考える風情を見せ、やがてノインを見上げて口を開いた。

「ジズでいいよ。さっき、翅の女の子が言ってたやつ」

「そうかい? それじゃあ、これから君のことはジズと呼ぼう」

「うん」

「それと、あの翅の子はルーシェ、もしくは虹翅の姫だ。それ以外で呼ぶと怒るから気を付けて。俺はノイン」

「……ノインって、愛称か何か?」

「いや、名前だけど。なんで?」

「9なんて、名前だとしたら変わってると思って」

「確かに。まあ、九男だからって単純な理由さ」

「九男……兄さんが八人もいるのか?」

「そう。みんな死んだけどね」

 ノインはカルスルーエ家の九男にして末子だ。それゆえに幼い頃に養子に出された。まさか八人の兄が全員亡くなり、無理矢理連れ戻されて家を継がされるとは夢にも思わなかった。

 少年が気遣わしげに眉を寄せたのを見て、ノインは強引に話を変える。

「君は高等教育を受けたんじゃないかな」

「……なんで?」

「『ノイン』は古語だ。『ジズ』もね。『ルーシェ』もわかるんじゃないか?」

 戸惑いを見せながらも、少年は小さく頷く。

きらめき」

「そう。今はそんな言いかたしないだろう? 普通に生活する分には、古語なんて殆ど触れない。学ぼうとしなければね」

 目から鱗だとでも言いたげな顔をする少年―――ジズへ、ノインは笑いかけた。

「ほら、少しずつわかってきた」

 ジズは視線を彷徨わせる。

「……たまたまかも」

「それなら、どこで知ったのか思い出したり、予測したりする足がかりになる。何が切欠になるかわからないものだよ」

 話していると扉が叩かれた。ノインが出ると、警備兵がヴィーラントを示す。

「失礼いたします。ヴィーラント大尉がお着きです」

「ああ。―――大尉、こちらへ」

 いつもの鞄を提げたヴィーラントを寝室へ導き、ノインは椅子を勧める。

「実はこの子は、既にヘルモード中将と話をしています。大尉に診察して貰ってからのほうがいいと、お止めしたのですが」

「あのかたの使命感は並大抵のものではありませんからな。しかし、本当に無理な相手に無理をさせることもなさいません」

 過去にも似たような経験があるのだろう、ヴィーラントは心得た様子で頷いて、ノインに礼を言いつつ椅子に腰掛けた。

「軍医のヴィーラントだ。会うのは初めてだね」

 ジズは探るようにノインに視線を滑らせた。ノインが小さく頷くと、ジズもヴィーラントに頷き返す。鞄を開きながらヴィーラントは笑みを浮かべてジズに問いかけた。

「名前……は覚えていないんだったね。何か、思い出せることはあるかな? 年や家族、最近食べたもの、なんでもいい」

「……何も。名前は今、ジズってのを貰った」

「おや、そうなのですか」

 見上げてくるヴィーラントへ、ノインは首肯する。

「仮の名前を。いつまでも名無しでは不便ですから」

「なるほど。では、ジズくん。傷を見せて貰うよ」

 ヴィーラントが診察を始め、自分がいてはやりづらいだろうと考えたノインは居間へ移動した。控えている警備兵に、何かあったら呼ぶよう伝える。

 長椅子に腰掛けて一息つくと途端に眠気が襲ってきて、振り払うためにかぶりを振った。

 ルーシェ以外のことに興味のないアレクシアは、ジズのことには一切干渉してこなかった。他の侍女二人、ナンナとライヤが気を遣ってくれはしたが、夜は殆ど一人で付いていた。通常の仕事は減ってくれないし、合間に仮眠は取ったが、慢性的な睡眠不足は解消されない。

(ジズが起きたなら、仕事に戻って……でも……少しだけ……)

 このまま戻っても途中で眠ってしまいそうだと、ノインはほんの数分眠るつもりで目を閉じた。

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