四章 3-2

     *     *     *


 ジズの報告を聞き終えたノインは、しゃがみ込んで頭を抱えた。メイドの扮装を解いたジズが慌てた様子で覗き込んでくる。

「どうした? 大丈夫か?」

「ああ……ちょっと、自分の見通しの甘さを呪いたくなっただけだ」

 呟いてノインは眼鏡を押し上げ立ち上がった。念のために包囲の輪から離れておいてよかったと思う。

(今宵、灯星が中天へ……時間がない)

 今宵ということは、レートフェティは今夜実行するつもりなのだろう。そしておそらく、ノインが呼応することを疑っていない。笛を使えば敵も気付く。彼女に危険が及ぶ前に踏み込んで助け出さねばならない。女王に負担をかけたくなかったが、今や何を言っても遅い。彼女の行動力を甘く見ていた。まるで王女時代に戻ったようだ。レートフェティの芯の部分は、女王になっても変わっていないらしい。

 ノインは心配そうにしているジズに気付いて、彼の頭をくしゃりと撫でた。

「大丈夫だよ。……女王陛下をお助け申し上げねば」

 おかげで覚悟が決まった。ノインはジズから受け取った香の匂いを嗅ぎ、顔を顰める。

「エバクリス草を乾燥させたものだね。粉っぽくて甘い匂いといい、間違いない」

「悪い薬なのか?」

「葉っぱだけなら、ちょっと甘い匂いがするだけで気持ちを落ち着かせる効果ある。でも、種は有毒なんだ。煙を吸い込んだり、種子を煎じたものを飲んだりすると、酷い倦怠感や幻聴、幻覚症状が出て、一種の催眠状態に陥ることもある」

「女王様と侍女はまさにそんな感じだったな。ぼんやりして、何言っても反応が薄い」

「ジズが消してくれてよかったよ。長時間大量に吸い続けると中毒になってしまう。飲まされていないといいけど」

「飲む方がまずいのか?」

「うん。量を間違うと、廃人になったり死んだりする」

 エバクリス草の葉と種子をポケットにしまいながらノインは、考え込んだ。

(ここでもエバクリス草……しかも、結構な量の乾燥種子を用意できる人物)

 レートフェティは「ここにきてからずっとぼんやりしていた」と言っていたという。ならば監禁された当初から香が焚かれていた可能性が高い。少しずつ量を増やして催眠状態にし、反乱兵たちの都合のいいように操るつもりだったのかも知れない。

 四日間切らさずに燃やし続けるには、それなりの量が必要だ。エバクリス草の葉は安価で広く出回っているが、有毒である種子は加工の段階で廃棄されるため手に入りづらい。レートフェティの動きや思考を封じたり、傀儡かいらいに仕立て上げたりするなら、何もエバクリス草の種子を使わなくてももっと入手しやすい薬がある。

(偶然か? でも……だとすると、まさか……いや……)

 一つの考えが浮かんだが、今は女王を助け出す方策を考える方が先だと、ノインは無理矢理思考を断ち切った。ジズが持ってきた女王の伝言を唇に乗せる。

「今宵、灯星ともしびぼしが中天へ、暁は殻に籠もる。笛がいざなう千のしろがね……だったか」

「どういう意味かわかるか?」

「灯星というのは、この季節に一番明るく輝く星の俗称だ。暁は女王陛下のことだね、陛下の瞳は朝焼けのような色をしているだろう?」

「なるほど。じゃあ、殻に籠もるってのは?」

「陛下がお好きだった童話に、カタツムリになりたい女の子の話があって」

「ああ、前に聞いたな。その子が『殻に籠もる』って言うと、決まって自分の部屋に閉じ籠もるんだっけ」

 思い出したように言うジズに、ノインは首肯する。

「そう。扉をありったけの家具で塞いで、外から開けられないようにしてね」

 レートフェティの瞳を朝焼けに例えたのはノインだし、有名な童話とはいえ、女王が好んで読んでいたことを知る者は少ない。レートフェティはノインにだけ伝わるように詩を作ったのだろう。

 ジズは眉を顰めながらまとめた。

「つまり、今夜、灯星が中天にかかる頃に、女王様が部屋に閉じこもる……? それも、外からは開けられないようにして」

「そう。―――笛はこれ、千の銀は離宮を包囲している兵士たちだろう」

 ノインが手にした耳飾りを見て、ジズは首をかしげる。

「笛って……耳飾りだろ?」

「そう見えるんだけどね」

 ノインは耳飾りを吹いて見せた。ピィッと高い音が鳴り、ジズが目を丸くする。

「よく気付いたな」

「気付いたって言うか、知ってるからね」

「なんで?」

「昔、俺が陛下に差し上げたものなんだよ。たまたま持っていてくださってよかった」

 五年ほど前、学者の仕事で南の地方へ調査に行ったとき、珍しい貝細工があったので土産に買ってきたのだ。万一の時、声が出せない状況でも笛ならと考えたのを覚えている。

 ノインの話を聞いたジズが複雑そうな顔で首を捻った。

「たまたま……?」

「何か気になることでも?」

「いや、別に。―――ええと、女王様が笛を吹いたら、突入してこいってこと?」

「そういうこと、なんだよな……」

 この際、ルーシェとアレクシアのことは度外視する。レートフェティがわざわざ、二人のことは心配するなと言って寄越したということは、ノインの手紙に込められた意図を正確に汲み取ってくれたのだろう。

(……そうだ。不安要素しかなくてもやるしかない。でないとレティが危険だ)

 日没は疾うに過ぎ、周囲は暗くなりつつある。急がねばならない。

「ちょっと、フリスト大佐と話してくる」

 ジズは、そうするのが当然だとでも言うふうについてきた。ノインとしては兵舎にでも行っていて欲しかったが、言っても聞かないだろうと止めることはしない。包囲の兵士の中にいる限りは安全だ。

 篝火かがりびが灯されつつある中、ノインはフリストを探して首を巡らせた。彼の姿はすぐに見つかり、話があると呼んで包囲から離れた場所に移動する。

「時間がないので手短に。今夜仕掛けます」

 フリストがさほど驚きを見せずに頷く。

「わかりました。私は何をすればいいですか」

「大佐は裏口側の突入部隊の指揮をお願いいたします。私は正面側から行きます。離宮の出入り口は裏と表に一箇所ずつです。窓は無視していいでしょう」

 フリストは意外そうに眉を上げた。

「いいのですか、私を指揮に使って。ここぞとばかりに裏切るかも知れませんよ」

「何を今更。寝返るつもりなら今よりも、いい機会がいくらでもあったでしょう。もし寝返ったら、逆賊として始末して差し上げます」

 呆れて言えば、フリストは束の間ノインを見つめてから他人事のように言う。

「信用されるというのは存外嬉しいものですね」

 暢気のんきなことをと、ノインはフリストを軽く睨んだ。

「手放しでというわけではありませんけど」

「それは当然です。私がノイン准将の立場だったら、絶対に信用しませんよ、私など」

「私はあなたではありません」

 無意味な仮定を口にするなと言外に含ませれば、フリストは一度目を瞬き、何故か嬉しげに微笑んだ。

「表側からは私が行きます。准将は裏から。女王陛下をお救いしてください」

「いえ、それは……」

「知った顔の方が、相手は多少なりとも油断するでしょう。思い直したと偽ってあざむくという手もあります。僭越せんえつながら、准将よりも私の方が前線の経験は多いですよ」

「……わかりました。お願いします」

 経験の差を出されると反論できず、ノインは承諾した。死線を潜り抜けた数や、指揮官としての能力は、比べるまでもなくフリストの方が多いし高い。

「灯りを増やして包囲の兵士の数を多く見せかけます。離宮の灯りに挟まれて、間の闇は深くなる。それに紛れて動きます。幸い、一昨日が朔月さくづきでした。相手方の見張りの視力が、あまりよくないことを祈りましょう」

 言葉を切り、ノインは耳飾り型の笛を短く吹いた。

「これと同じ笛の音が合図です。聞こえたら突入を開始してください。女王陛下は二階の南東、端の客間に捕らえられています。露台はありませんから、侵入経路は扉のみです」

「そこを目指せばいいんですね。それとも、私の部隊は陽動をした方がいいのかな」

「数ではこちらが上です。陽動は必要ありません。―――灯星が完全に傾いても笛が鳴らなかったら今夜は中止ですので、撤退してください」

「敵の生死は?」

「問いません」

「殺すなとは言わないんですね」

 揶揄めいた言葉を、ノインは鼻で笑った。

「敵を殺すよりも、生かして捕らえる方が何倍も難しいことは、経験の浅い私でも知っています。死人は出ないに越したことはありませんが、敵に情けをかけて味方を殺すのは馬鹿のすることです。投降は呼びかけてください」

「わかりました。では、一刻後に」

 頷いてフリストは去って行った。完全に遠ざかってから、黙ってやり取りを聞いていたジズが口を開く。

「なんか……あの人さ」

「大佐かい?」

「うん。……危ない方に行きたがるのは、わざとなのかな」

 死に急いでいるようだとジズは言う。聡い子だと思いながら、ノインは少年の頭を撫でた。

「俺は誰にも死んで欲しくない。その中には、大佐も入っているんだけどね」

 ジズは視線を落としていたが、やがてノインを見上げて口を開いた。

「おれも行く」

「駄目」

 言い出すのは予想できていたので、ノインは間髪入れずに告げた。それはジズもわかっていたのだろう、眉一つ動かさずに反論する。

「ルーシェの通訳は必要だろ。死ねとか殺せとか啼きだしたらどうすんだよ」

「どうもこうも、塞ぐ手立てがなければ同じだ。全員の耳を塞ぐことはできないし、お茶を撒いて貰ったけどあまり効果がなかったようだしね」

 多少なりともこちらの話に耳を貸すか、あわよくば降参しないかと思ったのだが、駄目だった。あれから何度か投降の呼びかけはしたが、応じる様子はない。やはり、匂いではなく経口摂取しないといけないのかもしれない。

 ジズは引き下がらない。

「だとしても、今そういうふうに啼いてるってわかったほうがいいだろ」

「それは否定しない。でも駄目だ」

「なんで!」

「前線が遠かったヴェンド要塞の時とは違う。目の前で人が死ぬ。相手も必死だ、被害が出ないなんてことはまずありえない」

「わかってるよ!」

「わかってない!」

 思わず声を上げれば、ジズは頬を張られたような顔で竦んだ。大声を出したことを後悔しながら、ノインはジズと視線を合わせるために腰を屈めた。

「怒鳴ってごめん。……俺は、ジズには戦場に出て欲しくないんだ」

 覚えていないだけで誰かを殺めたかもしれないと泣いていたジズに、人と人が殺し合うところを間近で見せたくない。これは己の身勝手だが、できるだけ遠ざけておく他に今のジズを守る方法を、ノインは思いつかない。

 俯いてしまったジズは、顔を伏せたまま独白のように言う。

「それは……おれが子供だから?」

「違うよ。ジズを危険な目に遭わせたくない。―――それに、待っていてくれる人がいた方が、生きて返ってこようって気になるだろう?」

 冗談めかして付け加えれば、ジズは上目遣いでノインを睨んだ。

「……縁起でもないこと言うな」

「そうだね、ごめん。ちゃんと帰ってくるって約束するから、待っていて欲しい」

 抵抗するようにしばらく無言でいたジズは、諦めたように息をついて顔を上げた。

「約束破ったらどうする?」

「ええと……なんでも一つ言うことを聞くよ」

「言ったな? 忘れるなよ」

 頷いてジズの髪をかき混ぜながら、これは意地でも帰ってこなければ大変なことになりそうだとノインは胸中で苦笑した。姿勢を戻し、明かりの灯り始めた離宮を振り返る。突入部隊を編成し、レートフェティがいる部屋への経路を考えなければならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る