四章 2-2

 今更ながらに鈴鳴の危うさを実感していると、フリストの腕を掴んでいる手を乱暴に振り払われた。驚いて見上げれば、フリストは今にも銃撃しそうな厳しい表情で離宮を睨んでいる。ノインは慌ててキャンディ包みを解きながら彼を呼んだ。

「フリスト大佐、口を開けて!」

「は? ……んん?」

 振り返ったフリストの口にキャンディを投げ込むと、さすがに驚いたらしい彼は目を見開いたが、すぐになんとも言えない顔になった。

「なんですか突然」

「噛んで飲み込んでしまってください。―――ジズ、ありがとう」

 自分の分を取って残りのキャンディを差し出すと、ジズはかぶりを振った。

「おれはいい。『聞こえ』るから、引っ張られない」

「でも、頭痛がするんだろ?」

「我慢できないほどじゃない。今にも暴れ出しそうなノインを見る方が嫌だ」

「……わかった」

 そこまで言われてはと、ノインはキャンディを口に入れた。噛み砕き、甘さと共に独特の風味を飲み下すと、ささくれ立っていた気持ちが落ち着くような気がする。気のせいかも知れないが、気休めでも今は必要だ。

「大佐、私も行きます」

 フリストはノインを見て苦笑めいた表情を浮かべた。

「信用してくださいとは言いませんけど、こんな大勢の前でおかしな真似はしませんよ」

「あなたの身が心配だと言っているのですよ」

 いろいろな意味で、とは胸中で呟くだけにしておく。なんにせよ、フリストを一人で行かせるわけにはいかない。説得に失敗すれば蜂の巣だ。的が二つあった方が隙の生まれる可能性が高くなる。

 ノインも剣を外してジズを振り返った。

「すぐ戻るから、ジズはここにいて。―――ライヤ、ナンナ、ジズと一緒にいてくれ」

 自分も行くと言い出さないうちにと先回りし、ノインはジズの頭を撫でた。不満げに唇を尖らせながらもジズは頷く。

「気を付けて」

「ありがとう」

 ジズに笑みを返してノインは歩き出しているフリストを追った。隣に並べば、フリストが低く囁く。

「撃たれるかも知れませんよ」

「そこまで向こう見ずではないでしょう。ああ、でも、もう何も怖くないという心理はあるかも知れませんね」

「ええ、追い詰められていますから何をしでかすか。なるべく私の後ろにいてください」

「大佐なら撃たれてもいいような言い方ですね」

「私だって撃たれるのは嫌ですよ、痛いですし。―――私の釈放を要求しておいて撃つというのはしないでしょう、さすがに」

「それは、まあ……向こうは大佐を引き込みたいでしょうしね」

 ノインには「聞こえ」ないが、耳鳴りは治まらないので、戦え戦えと啼いているのだろう。

(レティでもアレクシアさんでも誰でもいいから、止めてくれないかな)

 できればしばらくはねを押さえておいて欲しいと思う。効果がどれほど続くかはわからないが、聞かずにいれば反乱兵たちも正気に戻るかも知れない。

 やがて包囲の輪を抜け、離宮の正面へ近付くと声が飛んでくる。

「止まれ!」

 素直に足を止めて見上げれば、上階の窓の殆どから銃口がのぞいていた。両手を挙げたフリストがノインの前に進み出ると、二階の窓から若い男が顔を出した。

「大佐! ご無事で!」

 声を上げたのはスロールだ。フリストは彼に向かって降りてこいというふうに手招きをした。すると顔が引っ込み、しばらくして離宮から数人の兵士が出てくる。彼らは互いの間合いの外で足を止めた。フリストではなく、ノインを警戒しているのは向けられる視線でわかる。

 相手が何か言う前に、手を下ろしたフリストが口を開いた。

「女王陛下を人質に、私の釈放を求めたそうだな。もう目的は達成された。速やかに陛下と虹翅の姫を解放して投降しろ」

 初めて耳にするフリストの鋭い声に、ノインは彼を見上げる。フリストは柔和に微笑んでいる印象が強かったのだが、今は幾度も死線を潜り抜けてきた武人の顔をしている。

 スロールは驚いた顔をしてかぶりを振った。

「できません」

「何故だ」

「この国は間違っています! 弱者をかえりみみず、戦をするために戦をしているようではありませんか。まるで戦のために国があるような有様―――」

「主義主張が聞きたいのではない。今すぐ投降しろと言っている」

 声高に訴えるスロールをフリストは両断した。遮られたスロールは顔を歪める。

「どうしてですか! 大佐だって、戦などくだらないと仰っていたではありませんか。共に戦いましょう!」

「断る。くだらないとわかっているのなら、やめろ。これ以上血を流すな」

「それでは何も変わりません!」

「戦をしたがる上層部は、おまえたちが殺したのだろう? もう十分な変化だ。―――本当に変えたいと思うのならば、やりかたを間違えた。逆賊の話など聞く者はいない」

「逆賊……?」

 束の間呆然とフリストを見つめ、スロールは両手を広げた。

「女王陛下は我々に賛同してくださっています! 逆賊と呼ばれる謂われはありません!」

「最早その言い分は通らない。陛下を捕らえてしまった今は」

 フリストは厳然と告げる。

「もう一度言う。女王陛下と虹翅の姫を解放して投降しろ。今なら、弁解する機会くらいは与えられるだろう」

 短い沈黙の後、スロールは首を左右に振った。

「……お断りします。我々は最後まで戦う」

「残念だ」

 抑揚のない声で呟くと同時にフリストが消えた―――消えたようにノインには見えた。

 弾丸のように飛び出したフリストは、スロールの傍らにいた兵士の腕を掴んで引き寄せる。そして、まるでダンスでもしているかのように相手の身体を反転させ、腕を背中に回して捻り上げると離宮の方を向かせた。動きに反応したらしい銃弾が数発、まったく外れた地面を抉る。

「藻掻くなよ。折れるぞ」

 盾にされた兵士が言葉にならない呻きを上げる。しかしフリストは意に介さない様子で肩越しに振り返った。

「ノイン准将は私の後ろから離れずに。そのまま下がってください」

「は……、はい」

 目を見開いて固まっていたスロールは、我に返った様子で声を上げる。

「大佐……!」

 先程までの厳格な武人の姿はどこへやら、フリストは人を食ったような笑みを浮かべた。

「何もしやしないよ。私たちが戻るまでの間、盾になって貰うだけだ。後ろから撃たれたのでは堪らないからな。ちゃんと解放するから安心しろ」

 ノインたちはじりじりと後退し、包囲へ戻ったところでフリストが兵士を放した。

「行け。―――撃つなよ」

 言葉の後半はこちら側の兵士たちに向けてのものだろう。盾にされていた兵士は泡を食ったように走り去った。

 ノインは傍らのフリストを見上げた。

「すみません。結局邪魔をしただけでしたね」

 フリストは不思議そうに首をかしげる。

「そんなことはありません。むしろ、お礼を言わなければ。私一人で向かっていたら、スロールにさも味方のように振る舞われて、裏切ったと思われたでしょう」

 冗談めかして言うフリストにノインが返す前に、ジズが駆け寄ってきた。

「大丈夫か?」

「うん。でも、見ての通り交渉は決裂だ。力尽くで止めるしかないな」

 フリストはノインへ顔を向ける。

「なんとか、女王陛下を外にお連れできればいいんですが。できれば虹翅の姫も」

 やはり、どうしてもそこが問題になるかとノインは頷いた。

「ええ、離宮内部と連絡を取る手段から考えないといけませんね。何も知らせずに外から攻撃を仕掛けるのは危険すぎます。逆に言えば、女王陛下をお助けすることさえできれば、九割解決です」

「そうですね。今、外から中に入るのを許されているのは、日に一度、兵士以外の女性が女王陛下たちに物資を届けるときだけと……」

 言葉の途中ついと袖を引かれてノインはジズを振り返った。

「うん?」

「あの……、おれが」

 ジズは一度口篭もり、意を決したように宣言した。

「おれが行く」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る