第2話 病院にて

 俺はベッドの上で寝ていた。

 突然ガバッと起き上がり周りを見る。


 白い壁に白い天井。周囲では女性看護師が何人か作業中のようだ。俺の右腕には何やら点滴らしきものが突き刺さっている。ビニール製の容器から下へとぼたぼた落ちるている溶液は何なのだろうか?


「朱人!!」


 不意に抱きついて来たのは母の利都子りつこだった。ベッドの上手、俺の頭の側にいたのだろう。全く見えていなかった。


「あんた、何であんな所にいたのよ。絶対に来るなって春人はるひとは念を押したって」

「そうだぞ。確かに来るなと念を押した」


 母の隣にいたらしい兄春人はるひとの声が聞こえた。

 確かに、そう言われた記憶がある。


 梅雨前線の影響で大雨になった。

 俺の実家あたりがかなり酷いことになっているとの情報が入った。そして実家にいる兄から連絡があった。


「家が流されそうになっている。皆非難しているから大事無い。お前は来るな。危険だから絶対に来るなよ!」


 兄の言葉を脳裏で反芻する。

 いや、来るなと言われても俺は行く。

 ペットボトルの水36リットルとレトルトの白米とカレーを20食分、カップ麺を24食分、イ〇タニのカセットコンロとガスと鍋とヤカンも用意した。それらを車に積んで、豪雨の中実家へと向かった。

 俺の実家は山間部にある。結構広い田畑を所有している農家である。兄は実家を継いだ。俺は教師となって都市部へと出てきたのだ。繁忙期には手伝えと言われるし、特に最近は、結婚しろだの見合いをしろだ煩く言われるのが鬱陶しくてしょうがなかった。それで少し距離を置いていた。

 しかし、自分が生まれ育った家が被災するとなると話は別だ。何をしていいか分からなかったが、水と非常食を車に積み、ひたすら山中を走った。実家まであと数キロ、目前の橋を渡れば後は10分程度で到着する……そんな時だった。


 思い出した。


 車ごと濁流に飲まれたんだ。

 道路の横から土石流が噴き出して押し流された。そして川まで流され濁流の中へと沈んでしまった。そして素っ裸の神様、京と出会った。


「俺はどうして?」


 きょとんとしている俺に母が笑いながら話しかける。


「あんたね。天狗岩のところに車が引っかかってたんだよ。あそこだけ出っ張ってるからね」


 天狗岩か。それなら俺が沈んだところから数十メートル下流の岩場だ。不自然にそそり立つ岩塊を地元では天狗岩と呼んでいる。


「レスキューが出動して大騒ぎになったんだ。幸い雨は上がってたんでお前だけは何とか引き上げた」

「車は?」


 兄は俯いて首を振る。


「お前を引っ張り上げた後に川に落ちたんだ。下流の方へズンドコ流されたってよ」


 母の弁である。

 哀れ我がランドクルーザー。60回払いのローンがまだ半分残っているランドクルーザー。もう二度と会うことはない。きっと海まで流されているのだろう。

 

「ところで、助手席に誰かいなかった? 素っ裸の女の子とか」

「素っ裸!?」

「女の子!?」


 兄と母が同時に叫ぶ。

 これは不味かったか。


「お前、変な事したんじゃないだろうな」

「結婚できないからって、犯罪に手を染めるとは」

「そうだぞ。うら若き乙女の柔肌を抱くのは気高きしとねの上であろうに。あのような濁流の中でなど言語道断だ」


 当然と言えばあまりにも当然の反応を示す母と兄の間に京がいた。俺の顔を見つめにやにや笑っている。

 出会ったときには素っ裸だったのだが、今は赤白の巫女服を着ていた。相変わらず小学生体形で、どう見積もっても5年生以上には見えない。ややきつめの吊り上がった目元が特徴の凛々しい顔つきだ。さらさらとした黒髪は腰まで伸びており、濁流の中で漂っていたとは思えなかった。


「京……いや、京様。何故ここに?」

「貴様を救うと約束したでな。救ったはいいがあの世へと旅立たれては困るので見張っていたのだ」

「それはつまり……私が死んだ場合は京様の力では蘇生できないと」


 プイっと横を向く京。図星だったらしい。

 その時、先ほどの発言をした状態で母と兄が固まっている事に気づいた。


「ああ。それで私が死なないように助けてくれた訳ですね。ところで私の母と兄はどうしたのでしょうか」

「二人きりで睦言を交わすのには邪魔だからな。結界を張って少し黙ってもらうことにした」

「邪魔って。ところで京様。睦言の意味を理解しているのですか?」

「ふん。こういった幼い外見だが、我は……いや、乙女に歳を聞くな。貴様よりも少し年上なだけだ」

「はい、神様なのに私よりも年下なんて有り得ませんからね。本気ではないですよね」

「本気だ」


 そう言って俺の上に飛び乗ってくる京。

 ベッドの上に押し倒された。京は俺の腰の上で馬乗りになっている。それでも女の子の柔らかい感触に動悸が激しくなる。


「うふふ。これは騎上位と言う。知っていたか? 童貞君」

「知っています。ところで、本当にんですか?」

。と言いたいところだができないのだ。そこで貴様に命ずる。私の体を再生せよ」

「はい?」


 何のことだろうか。

 考えてみるに、京は性行為したくてもできないと言っているのか。そして、それを可能とするために俺が必要だと。

 待て待て。そもそも神様ってのは霊的存在で目には見えず触ることができないものだと俺は理解している。俺は無信仰者だが、そういった存在については何故か信じている。それは、有体ありていに言えば、人間には知覚できない異次元の存在なのだと思っている。それでは今、目の前にいる京は何者なのだ??


「きちんと返事をしろ。私の体を再生するのだ。出来ないとは言わせないぞ」

「努力します」

「それでは足りん」


 京に睨まれている。あの程度の言い方では納得できないのだろう。

 俺は腹をくくり、とことん協力すると決心した。


「では言い直します。私は貴方の体を再生するために全身全霊で取り組むことを誓います。私の持てる知識と技術、その全てを駆使して必ず京の体を再生して見せます」

「よく言った。それでこそ我がしもべぞ」


 破顔の笑顔というのだろうか。本当に嬉しそうな表情で、京は俺に覆いかぶさってきた。そして軽くキスをする。


「あ。不味いな。法術が切れてきた」

「え?」

「貴様の眼に見えるよう実体化するのに結構な力を使う必要がある。長時間は無理なのだ」


 そう言いながら透明になっていく京。俺の上に乗っかっていた柔らかい体はその感触が無くなっていく。


「京様?」

「心配するな。体は無くてもこうして話はできる。私は何時も貴様の傍にいるからな」

「はい」


 姿が見えないのに話ができるというのも不思議なものだ。

 しかし、結界というのも同時に無くなってしまったようだ。


 物凄い形相の母に睨まれている。兄は兄でひどく幻滅している様子だった。俺は四苦八苦しながら「きっと白昼夢だったんじゃないかな~」とかの言い訳をしていた。母の誤解を解くのに三十分以上かかった事は、新規の新しい黒歴史として俺の心に刻まれたのだ。

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