君はいつまでもそのままでいて欲しい
暗黒星雲
君はいつまでもそのままでいて欲しい
神様との出会い
第1話 濁流の中、出会うのは誰?
俺は死というものをこれほど近くに感じたことがない。かれこれ三十年以上生きてきて初めての経験だ。
とは言うものの、殆どの人はこんな経験などせずに人生の幕を閉じるのだと思う。そう、今俺の周りで、現在進行形で生じている結構な災害。突如土石流に、見事に車ごと巻き込まれたのだ。
道路わきの谷間から偉い勢いで濁流が噴き出してきたのには驚いた。車はあっという間に道路外へと流された。そして何故か、時間の流れがゆっくりになる。こういった決定的瞬間に周りがスローモーションに見えるとかいう話は聞いたことがあるが、自分で体験するとは思わなかった。
車高の高い4WD車だったおかげで、まだ水位は車高の半分くらいだった。車内は浸水していたものの、まだ自分の腰あたりだった。このままやり過ごせるかと思ったが目の前に川の本流が見えてきた。そこに飲み込まれたら沈んでしまうのだろう。そうなれば俺は死ぬ。そう確信した。
恐怖心は無かった。不思議な事に、何故だか映画でも見ているような気分で自分を客観視していた。この落ち着き具合はなかなか格好が良いかもしれないと自画自賛したくなった。そして川の本流に飲み込まれ車体が水中へと沈み始めた。運転席に残っている空気のおかげでかろうじて浮かんではいるが、全て沈むのは時間の問題だ。車体はどんどん沈んでいき、自分も首だけがまだ水面にあった。しかし、その状態も長くは続かなかった。程なく車体は全て水没し、俺も頭のてっぺんまで沈んじまった。周りは全て濁流で何も見えない。もはやこれまでと覚悟を決めたのだが、正面に人が流されているのが見えた。濁流なのに何故人が見えるのだろうか。これも不思議な体験だった。その人は服を着ておらず、華奢で子供のような体形だった。長い髪が目立っていたので女の子なのだろう。こんな濁流に飲まれてはもう助からない。俺と一緒だ。そう思った瞬間、その子供は目を見開き俺に語りかけてきた。
「あなたは誰?」
こんな状況で何故言葉が聞こえるのだろうか。いや、濁流の中で何故この子は話ができるのだろうか。俺が戸惑っていると、その子供は再び語りかけてきた。
「あなたは誰?」
考えても仕方がない。俺は彼女の問いに答えた。
「俺は朱人、
「そう。私は
「どうしてって、車で移動中にいきなり鉄砲水に飲み込まれたんだ」
お互いが濁流の中であるにもかかわらず相手が見えそして話ができる。こんな不思議な体験はもちろん人生初だった。そして、どうしてこんな会話ができるのか詮索する余裕などなかった。
「そう。不可抗力ってやつね。ところで朱人。あなた、そのままじゃ死んでしまうんじゃないの?」
「おっしゃる通りだ。しかし、この自然の驚異に対しては自分の力は微々たるものだ。成り行きに任せるしか方法がない」
「あら、諦めちゃってるの」
「仕方がないだろう。これはどうしようもない」
「ふーん」
相槌を打つ京だったのだが、何故か微笑んでいる。彼女はこの濁流の中での出来事を楽しんでいるのだろうか。
「朱人。こういう時は神様にお願いするものではなくて? 人の力ではどうすることもできない災難に対しては、大いなる神聖な力へとすがるのが人間なのでしょう?」
「そうかもしれないな。でも、俺はどちらかと言えば無宗教で、そういった信仰心とは無縁だったから」
「ふーん。無宗教なのね。今の人間ってそういう人多いのかな?」
「俺に限らず多いと思う」
車外にいた京がフロントガラスを突き抜けて急に抱きついてきた。素っ裸の子供に抱きつかれて少々戸惑ったのだが、俺も彼女を抱きしめた。彼女はしっかりと人肌の感触があった。そして何故か暖かかった。
「ねえ、朱人。貴方死にたいの? それとも生きたいの?」
「生きたい。死ぬなんてまっぴらだ!」
俺は即答していた。まだ平均的な寿命の三分の一しか生きていない。特に焦っていたわけでもないが、まだ結婚もしていない。
「そう。童貞のまま死にたくはないわよね」
「いや、そんなことは言ってないんだけど」
「大丈夫よ。貴方の心の声はしっかりと聞こえているから」
そう言って京は唇を重ねてきた。生まれて初めてのキスというわけではないのだが、久方ぶりの行為に何故かときめいてしまった。京は唇を離して俺の眼を見つめる。
「朱人。貴方、神に祈りなさい」
「神って。どこの神様に?」
「ワ・タ・シ」
「京は神様だったのか?」
「ええそうよ。私は神。八百万の神々の中の一人に数えられているわ」
「そうなんだ」
「そうなの。詳しい話はあとでするわ」
「わかった。お祈りするよ。ところで、俺は不信心なものでどうお祈り
したらいいのかわからないんだ」
「なるほどね。では私の言う通りに復唱する。いいね」
「ああ」
素っ裸の女児に抱きつかれそしてお祈りするのだという。しかも、濁流の中で。このとんでもないシチュエーションに俺は何も疑問を抱いていなかった。
「
「
「ただ今、私の生命に於いて重大な危機に直面しております」
「ただ今、私の生命に於いて重大な危機に直面しております」
「この危機より私をお救い下さい」
「この危機より私をお救い下さい」
「私は貴方様の第一の信徒であり
「私は貴方様の第一の信徒であり
「私の信仰と奉仕は過去・現在・未来に於いて永遠に変わることはありません」
「私の信仰と奉仕は過去・現在・未来に於いて永遠に変わることはありません」
「私の生命をお救い下さい。そして今後も、貴方様の信徒であり続けることをお許しください」
「私の生命をお救い下さい。そして今後も、貴方様の信徒であり続けることをお許しください」
俺は彼女の言う通り、一句も違えず復唱した。
意味も分からない。そして、こんなことでお祈りになるのかどうかもわからなかったのだが仕方がない。助かりたい一心だった。
すると京はにやりと笑った。
「許す。今後も私の信徒として、そして私の
「え?」
「疑問は許さぬぞ。うははははは!!」
俺の目の前で高らかに笑う京。
そして俺と俺の車はまばゆい光に包まれた。
俺が覚えているのはそこまでだった。
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