サヤ

この夏が過ぎれば

 夏は苦手だ。

 今日で、一学期が終わって、夏休みだと浮かれる気持ちもちょっぴりはある。でも、苦手な夏をどう過ごそうか、考えなきゃいけないとなると、すぐに憂鬱な気分になる。

 友だちと遊ぶにしても、炎天下の中、自転車で汗だくになりながら会いに行かなきゃならない。ペダルを漕いでいる間は、そんなに気にならなくても、目的地についた途端に一気に汗が噴き出してくる。電車に乗って出かけるのは、高校生になるまで我慢しなくちゃいけない。ようするに、汗だくになっても行く価値がある場所でなければ、自力で外出する気になれないってことだ。だから、夏は苦手なんだ。

 家でゴロゴロダラダラ過ごすのもいいけど、それだって飽きてしまう。

 自分で言うのもなんだけど、わたしは好奇心旺盛なほうなんだ。じっとしているのが苦手。そんなことをこの前ミコトに話したら、若いねぇってしみじみされてしまった。ミコトも、じっとしていられない所あると思うし、好奇心旺盛だと思うんだけどなぁ。だから、若さなんて関係ないような気がする。


 とりあえず、今日はちゃんと行くところがある。


 セーラー服から、私服に着替える。脱ぎっぱなしにしておくと、ママがうるさいから、ちゃんとハンガーにかけておく。

 謎校則指定の黒いヘアゴムからラメ入りの赤いヘアゴムに変えて、かっちりとしたポニーテールからちょっと緩めのハーフアップに。中学生にできるオシャレなんて限られている。前みたいにママに編み込んでもらうのは、特別なお出かけのときだけ。

 今日は、とびきりフェミニンな気分だから、ミントブルーのローウエストのフレアワンピース。フレンチスリーブがちょっと大人っぽいかな。ワンピースの裾が長いから、白いハイソックスのフリルが隠れてしまうのが、ちょっと残念だ。まぁ、しかたないか。

 麦わら帽子を被って、姿見の中のわたしに向かって笑いかける。


「よし、行ってきますか」


 トートバッグの中身をもう一度確認して、家をでる。


「うへぇ」


 廊下の熱気に、早くも心を折られそうになりながら、自転車に乗る。もうピンクの自転車じゃない。なんの個性もないシルバーのシティサイクルだ。おかげで、駐輪場で自転車を探すのが一気に難しくなった。


 夏は苦手だ。

 暑いだけじゃなくて、ジトッとしているのが不快だ。冬のほうが好きだ。

 天気予報では、夜遅くから雨が降るらしい。この時期の天気予報はあてにならない。そんな不安定な天気のせいで、ますます夏が苦手だ。


 小学五年生のあの夏の日だって、雨が降る気配なんて、これっぽっちもなかったんだから。

 本当は、家出するつもりじゃなかった。家にいたくなくて飛び出したけど、ちゃんと帰るつもりだった。それが、途中で雨が降ってきて、近くにおじさんが住んでいることを思い出して、避難しただけ。パパのいとこのツカサおじさんのことは、あまり知らなかった。顔はそこそこいいけど、ちょっと頼りない人だと思ってた。

 なんで家出してきたって嘘をついたのか、理由はもう思い出せない。

 でも、家族ごっこは楽しかった。おじさんと二人きりだったら、途中で帰っていたかもしれないけど、ミコトもいたから楽しかった。すごく勉強になった。ブラも買ってもらえたし、パパとママも仲直りしてくれた。全部が全部、うまくいくようになったわけじゃないし、あいかわらずなことも多いけど、あの家族ごっこがあったから、今のわたしがいるんだ。

 家族ごっこで変わったのは、わたしだけじゃない。ミコトとおじさんが、結婚した。

 わたしのおかげだって、はっきり言ってくれたこともある。

 おじさんのトラウマとか複雑な大人の事情があったみたいだけど、ちゃんと涼しくなる頃には結婚した。ミコトは、すぐにでもって感じだったけど。


「あ゛づぅうううう」


 本当に夏は苦手だ。

 下り坂に差し掛かれば、風を感じられるけど、ちっとも涼しくない。ドライヤーの熱風を全身に浴びている気分だ。しかも、帰りは上り坂になると思うと、憂鬱になる。

 この街は坂が多い。

 学校に通うだけで、上って下ってまた上って。丘の上の中学校と言えば聞こえはいいけど、全方位から上らなきゃいけない高台にあるのは、いかがなものか。


 でも、わたしはこの街が好きだ。正確には、この街の人たちが好きだ。

 いい人ばかりじゃないし、これから先、もっといい人たちと街の外で出会うかもしれない。でも、今は、この街の人たちが好きだ。


 坂を下った先に、本日の目的地はある。


 三階建の新しい建物。赤レンガ調のタイルの外装は、よく目立つ。

 駐車場で邪魔にならないところに自転車を止める。駐輪場も作ってほしかった。まぁ、贅沢は言えない。そもそも、中学生の常連客なんて、まだわたしだけだろう。大人だって、この中が見えない黒いドアを開けるのは、試されているって、ハナちゃんから聞いたことがある。

 確かに、看板だって細長い木のプレートがドアの横にかかっているだけ。


『フリースペース SnakeスネークFieldフィールド


 ミコトは蛇が嫌いなくせにって、いまだに首をかしげてしまう。


 チリンチリン……


 一階は、ちょっとおしゃれなカフェになっている。いつもは、何人かいるのに、今日はカウンターの奥に一人しかいない。


「いらっしゃい……って、サヤちゃんか」


 ツカサおじさんは、こういうの向いていないと思ってた。でも、ちょっと頼りないマスターって感じで、意外と様になっている。顔もそこそこいいし、そのうち好きそうな友だちも連れくるつもり。男の娘な高校生もたまに来ているし、うん、絶対に学校で盛り上がる。

 なかなか身長が伸びないせいで、カウンターの背が高い椅子に座るのも一苦労だ。


「サヤ様ですよ。今日はちゃんとお小遣いもらってきたんだから、嫌そうな顔しないの」


「ごめんごめん。アイスティーでいい?」


「うん」


 足をぶらつかせながら、がらんとした店内を見渡す。貸切状態なんて初めてだから、いつもよりも二倍くらい広く感じる。二年前、おじさんがミコトを紹介してくれた。レトロな喫茶店と違って、ここは都会的なスタイリッシュなお店だ。都会のカフェなんてまだ行ったことないけど、たぶんこんな感じ。


「今日は静かだね」


「最近、急に暑くなったからね」


 水出しアイスティーを背の高いコップに注ぎながら、おじさんは困ったように笑う。


「ああ、でも上にはいるよ。サヤちゃんはまだ会ってない人だけど。はい、アイスティー」


「ふぅん、ありがと」


 一気に飲み干したいところだけど、我慢する。中学生の小遣いでは、アイスティー一杯の代金だって、貴重なんだ。セルフサービスの水だけじゃ、居心地が悪い。ミコトは気にしないみたいだけど、わたしは気にする。


 おじさんは、ミコトと結婚したときに、原ツカサってミコトの姓になった。以来、よくヒモってからかわれているけど、わたしはヒモじゃないと思う。ヒモって、完全に女に依存しているだらしない男のことでしょ。おじさんは、こうしてアイスティー出してくれるし、わたしはまだ飲めないけど、コーヒーだって美味しいって好評なのを知っている。

 まぁ、からかわれてもムキにならないあたりが、ヘタレなんだけど。


 二年前のミコトとおじさんの結婚式を、思い出す。

 ミコトには、人を引き寄せる何かがあるって、聞いてはいたけど、あんなにすごいとは思わなかった。ほとんど、彼女の友だちが手作りで作り上げた結婚式だって聞いていたのに、そのクオリティが半端なかったんだ。ウエディングドレスに、フルコースの創作料理、ケーキに、飾り付けに、司会進行などなど、式場だって、ツテだとかなんとか聞いているからすごい。それもすごかったけど、何が一番すごかったかって、新郎のおじさんよりも、招待客のほうが「ミコトを愛してる!!」とか叫んでたり、「ミコトを幸せにしなかったら、殺してやる」って号泣されたり、初めて招待された結婚式だったけど、まともじゃなかったのはよくわかった。でも、みんな二人の結婚を祝福していたってわかるから、すごい。


「ミコトは?」


「上で新しい事業の打ち合わせ」


「時間かかる?」


「もうすぐ終わると思うけど……ミコト狙い?」


「そういうわけじゃないけど……」


 うん、そういうわけじゃない。

 たぶん、わたしもミコトに惹きつけられた一人なんだろう。だから、ミコトがいないとなんか寂しい。


「ねぇ、今度、友だち連れてきてもいい?」


「もちろん。そういえば、サヤちゃんの友だちの話、聞いたことなかったな」


「当然。話してないから」


「どおりで……ああ、そうそう、さっき話したミコトの新規事業ってのが、子ども食堂でさ。小中学生のメインに居場所を作ろうってことで」


「いいね! それって、ここの子ども版ってことでしょ」


「まぁそんな感じかな。俺は、ミコトにまかせっきりだからさ、こういうのは」


 そんなだから、ヘタレって言われるんだ。


 でも、おじさんがいなかったら、ミコトはこんな楽しい場所を作ろうなんて考えもしなかったと思う。

 他人のために働く方法探したらって、おじさんはミコトに言ったらしい。それを形にしたのが、このフリースペースだ。コワーキングスペースとか、レンタルスペースとか、呼び方は色々あったみたいだけど、フリースペースが一番あってた。二階と三階は、ちょっとしたオフィスになってる。最初はミコトの友だちとかのたまり場だったけど、この頃、初めましてのお客さんも増えてきたらしい。


 曖昧に笑うおじさんの視線が動いた。視線を追いかけると、ちょうどミコトがご年配の女性二人と上から下りてきたところだ。どうやら、打ち合わせが終わったらしい。

 おじさんは、いそいそとミコトのコーヒーを淹れ始める。


「シシッ。サヤちゃん、来てたのか」


「うん。明日から夏休みだし」


「夏休みかぁ」


 隣に座って、おじさんのコーヒーを待っているミコトはしみじみとしてる。


「また、この季節が来たんだなぁ」


「今年の夏は、例年よりも暑くなるってさ」


「サヤちゃん、それ、マジ?」


「マジ、マジ。もぉ、うんざりするぅ」


 ミコトも暑いのが苦手らしい。

 まだ飲めないけど、コーヒーの匂いは好きだ。

 ちゃんと砂糖まで入れて、おじさんはミコトの前にコーヒーを置く。間違いなく、アメリカンだ。


「残暑もやばいらしいね」


「マジかぁ」


 おじさんの追い打ちに、ミコトと声がかぶる。


 チリンチリン……


 ドアベルの音が、わたしの貸し切り時間の終了を告げた。


「いらっしゃい。ああ……」


 ちょっぴりの残念さと、一気に賑やかになるだろうなっていう期待。

 アイスティーは、まだまだたっぷりある。




 この夏は、友だちも連れてこよう。

 きっと楽しい夏になる。暑いのは苦手だけど、だからといって楽しく過ごしたくないわけがない。ううん、苦手だから、少しでも楽しくなるように工夫しなきゃ。

 この夏が過ぎれば、また、ほんのちょっぴり新鮮な秋が来るかもしれない。そもそも、中学生になって初めての秋だ。運動会に文化祭、合唱祭とか学校行事も待っている。冬が来て、春が来て、あっという間にまた夏が来る。

 でも、今は、この夏をどう過ごそうかが大事なことだ。


 この夏が過ぎれば、きっとまた何かが起きる。

 苦手な夏が来るたびに、わたしは根拠もないのにそう考えながら大人になっていくんだ。

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この夏が過ぎれば 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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