ミコト

戸惑い

 言われて初めて気がつくこともあるんだと、思い知らされた。


 もう、ツカサのことは昔のことだと割り切っていたはずだ。

 たしかに、あいつとは色々あったけど、もうただの幼なじみのはずだった。




「ミコト、おじさんのこと好きなんでしょ?」


 そう言ってきたのは、小学五年生の女の子だった。

 思わず、冷やし中華のトマトを口に運ぶ手が止まってしまった。

 沈黙を待っていましたと言わんばかりに、蝉の鳴き声が急にうるさくなった気がした。つまり、あたしはとっさに否定できなったんだ。その短い沈黙を、サヤちゃんは答えだととらえてしまったらしい。

 ニヤァと嬉しそうに笑ったサヤちゃんが、ちょっとだけ憎たらしく見える。


「やっぱり好きなんだぁ。つき合っちゃえばいいのに」


「違うから、サヤちゃん。ツカサとはそういうのじゃないから」


 とにかく否定したけど、もう遅かった。


「えー、なんで? 絶対、つき合ったほうがいいのに」


「大人の事情ってやつだよ。つき合いたくても、つき合えないんだ」


「あー、ずるい! オトナノジジョーとか、大人はすぐ逃げるんだから」


「シシッ。悔しかったら、サヤちゃんも早く大人になるんだな」


 サヤちゃんは、ムスッと頬をふくらませる。それがなんだか、可愛くてあたしの頬が緩んでしまうのがわかる。さっきまで小憎たらしかったのに、どうしてこんなにコロコロと捉え方がわかってくるのだろうか。


「ほらほら、さっさと食べる。昼から図書館行くんだろう?」


「はぁい」


 あたしも、中途半端に止まっていたトマトを口に運ぶ。


 たぶん、笑っているだろう。

 でも、胸の奥ではどうしようもなくざわついていた。


 あたしは、まだツカサと一緒にいたいと未練があったのだろうか。


 サヤちゃんに言われて気がつかされてからは、ツカサのことが気になってしかたなかった。


 あいつのことは、よくわかっているつもだりだった。

 でも、気になれば気になるほど、わからなくなった。


 ツカサが、あたしにサヤちゃんの面倒を見てほしいと頼んできたのは、あたしくらいしか時間を持て余している人がいないからだろう。きっと、他に理由なんかないはずだ。

 あたしは、時間とお金だけは、充分すぎるほど持っている自覚はある。親はクソだったが、資産を遺してくれたことにはそれなりの感謝はしているつもり。


 あたしも、時間を持て余していたから、めずらしくツカサのほうから連絡してきた相談事に、興味を持った。きっと何か楽しいことが待っているのではという、予感はあった。そのくらい、あいつのほうから連絡してくることは、めずらしいことになってしまっていたんだ。

 そう、あたしも、時間を持て余していたという理由だけで、ツカサとサヤちゃんと家族ごっこを始めたんだ。

 始めた理由はそれだけだったけど、いつの間にかそれだけじゃなくなっていた。

 ツカサだから。もう一度やり直せるかもしれないから。

 そんな未練がましい期待が理由に追加されたのは、きっとサヤちゃんに言われる前からだったんだろう。そして、言われて初めて気がついて意識してしまうようになった。


 ツカサは、あたしの幼なじみで、初恋の人。ずっと一緒にいたかった人。


 もしかしたら、やり直せるかもしれない。そんな期待、するだけ無駄だとわかっていながら、ついしてしまった。




「あー、らしくないなぁ」


 どうしてこうなったんだと、薄暗い部屋の中で何度堂々巡りしただろうか。

 カーテンの隙間から差し込む光を横目で見れば、たぶん今は昼間だろう。


 自分の家に戻ってから、ずっとこうだ。


 答えなんかわかりきっているのに、あたしはあと一歩踏みこむのが怖かった臆病者だ。キスまでしかできなかった。


「腹、減ったなぁ」


 でも、食べたいという欲求がない。

 体は空腹を訴えているのに、食欲がないなんておかしすぎるだろう。


「笑えね」


 目を閉じて眠ってしまえば、今なら空腹もやり過ごせる気がする。


「寝よう」


 夏布団を頭からかぶると、バタンというドアが勢いよく閉まるような音が聞こえてきた。


「ん?」


 ドタドタと複数の足音が後に続く。


 何が起きているのかと鈍った頭が考えようとする前に、なじみのある声があたしの名前を呼んだ。


「ミコトぉおお、生きてるなら返事しなさい」


「なんだよ……うっ」


 夏布団から頭を出すと、まぶしい光に目がくらんだ。


「生きていたわね」


 カーテンを全開にした声の主は、逆光でよく見えない。でも、もう誰だかわかっている。


「何しに来たんだよ、サクラ」


 逆光の彼女は、腰に手を当てて声を荒げる。

 水野サクラ。ライトブラウンのフワッとした髪が、顎の小さな可愛い顔を縁取っている。いや、今日は可愛くないな。明らかに、怒っている顔だ。


「何しに来たんだよ……じゃないわよ!! あんたが生きているか、心配して来たんじゃない!!」


「なんだよ、それ」


 あたしの抗議を無視して、サクラは視線を少しだけ上げる。


「ハナちゃん、やってしまいなさい!」


「了解」


「うわっ」


 サクラとは別の誰かに、夏布団を引剥された。


 あたしのベッドの周りには、よく見知った顔ぶれが集まっていた。


「ハナちゃんに、リョウさん、ミキまで……うわぁ」


 引剥がした夏布団を抱えている優男のハナちゃんこと、稲葉花月カゲツ

 彼の隣で太い腕を組んであたしを見下ろしているスキンヘッドのリョウさんこと、竹林良吾。

 それから、職業柄いつも髪をきっちりアップしているミキこと、木下美姫。


「えーっと、お前ら、なんでいるの?」


 サクラが持っている合鍵を使って入ってきたのはわかる。


 だが、とてもとても、サプライズ的な何かという雰囲気ではなさそうだった。


「だ、か、ら、あんたを心配して来たんじゃない!!」


 サクラの声に、ベッドを囲んでいる連中も、うんうんと大きく首を縦に振る。

 だが、心配されるような理由に、まったく心当たりがない。


「なにか、心配かけるようなこと、あたししたっけ?」


「あー、それ、それよ! そういう自覚ないのが、一番厄介なの。どうせ、三日くらい風呂も入ってない、まともに食事もしていなんでしょう? ミコト、あなた今、わたしたちの目にどんなふうにうつっているか、わかる? ひどい格好しているわ」


 サクラの剣幕と、他の四人の雰囲気に圧倒されて、わけがわからないままベッドの上で正座してしまう。


「いや、でも、いきなり乱入してきて、ひどい格好は……」


「お黙り!!」


 つかつかと大股で目の前に迫ってきたサクラは、心配しているというよりも明らかに怒っている。それも、そうとう怒っている。


「じゃあ、これはなに?」


「あ、あたしのスマホ」


 そういえば、どこに置いていたんだっけ。充電すらしていなかったせいで、充電切れまで残り5パーセントになっているスマホを受け取って、思わずうげっと変な声が出てしまった。


「なにこれ」


「なにこれ、じゃないわよ。これで、心配するなってほうがどうかしている。わかるわよね?」


「……はい」


 見たこともない通知の数に、納得するしかなかった。


 電話の不在通知に、メッセージの着信通知、その他もろもろ合わせたら、確認することを考えるだけでゲンナリするほどたくさんの通知が溜まっていた。

 サイレントモードにしてあったとはいえ、これはひどい。

 急に目が覚めた気分だ。今まで、あたしは何をしていたんだろうか。


「シシッ」


 あたしらしくなさすぎて、笑ってしまう。でも、表情筋かなにかをしばらく使っていなかったせいで、ぎこちないのが自分でもわかってしまった。

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