中途半端

 寝室はミコトとサヤちゃんに乗っ取られてしまった。まぁ、見られてヤバい物とかはないけど、ツラい。寝袋を押しつけてきた義姉さんに、感謝しないと。てか、やっぱり、感謝するのはおかしいだろ。そもそも俺の家なんだし。


「まったく、俺もお人好しっていうか、押しに弱いっていうか……」


 金に目が眩んだというかと、続けてぼやきそうになって、慌てて口を閉じた。少し前に静かになった寝室と隔てる壁に目を向ける。

 独り言を減らさないといけないな。


 サヤちゃんがお風呂に入っている間に、ミコトと話し合った。


「十万じゃ足りないだろ。光熱費に、食事代、足らせようって節約しながらじゃ、文化的で最低限度の生活をサヤちゃんに強いることになるかもしれないんだぞ」


 タクミからは、足りなくなったら出すから遠慮するなって言われている。だが、いつまでか明確な期間も決まっていないこともあって、節約しようと決めていたのは間違いない。


「あたしが、ある程度は出すよ。宿泊代だ。その宿泊代に、サヤちゃんの必要経費も含んでおけばいいさ」


「宿泊代って、そもそもここはお前のアパートだろ」


「細かいことは気にするなよ。シシッ」


 明確な金額までは、話さなかった。ミコトが金離れのいいやつだ。楽しく充実した人生を送るために必要な金なら、少しも惜しまない。


 勝手に応援ミコトを呼んだことは、いちおう母さんとタクミに報告しておいた。メッセージアプリには、今朝から俺と母さんとタクミの三人の、連絡相談用のグループがある。

 母さんはミコトのことを知っている。チカちゃんの踏切自殺を目撃して、俺が学校に行けなくなったころも、ミコトはよく俺に会いに来てくれた。今思えば、ずいぶんひどいことも言った。傷つけた。ミコトのフォローも、母さんがしてくれたんだっけか。


『ミコトちゃんなら、サヤちゃんは安心だね』


 親指を立てたウサギのスタンプが続く。


『ただし、また泣かせたりしたら、ただじゃおかないよ! あんたも、いい大人なんだから』


 眉を釣り上げたウサギのスタンプ。


「はいはい。わかってますよ、っと」


 タクミからは、まだ何も返ってこない。そのうち、ちゃんと目を通してくれるだろう。


「疲れた」


 あくびをして、スマホを座卓の上に置く。

 寝室からトイレに行くには、このダイニングキッチンを通らなきゃいけないから、電気は消せない。邪魔にならない窓際で寝袋を広げる。

 どこでも寝られる自信はある。ちょっとやそっとじゃ起きない自信もある。一時期、そう不登校時代に過敏になったこともあるけど、今では逆になかなか起きないくらい寝つきがいい。


 寝袋に潜り込んで、ミコトが使っていいと渡されたアイマスクを手にとる。うっすら、化粧の跡がある。着替えやお泊りセットを、車に常備していたから、このアイマスクもその一つだろう。

 顔に近づけるとミコトの匂いがした。


「………………。なにやってんだ、俺」


 こんなもの、なくても寝られる。中途半端な性欲は、惨めになるだけだ。身にしみてよくわかっているはずじゃないか。

 アイマスクをおいて、横になろうとしたときだった。


「……っ!」


 アイマスクの持ち主が、静かにやってきた。無駄に、心臓が止まるかと思った。あいまいに笑ってごまかそうとしていると、彼女は声を出さずに口だけを動かして、行ってしまった。

 『しっこ』と、唇だけで俺に告げていた。いちいちそんな報告はいらないってのに。


 トイレの流水音。

 中途半端な性欲は、惨めになるだけ。

 意識するなと、言い聞かせるが上手くいかない。

 言い聞かせてやり過ごそうとしているというのに、トイレから戻ってきたミコトは寝室にではなく俺のそばであぐらをかく。


「今さらだけど、サヤちゃんの両親にひと言断っておいたほうがよかったかな?」


「報告しておいたよ。母さんは、ミコトなら安心だってさ」


 泣かせたりしたらってのは、言わなくてもいいだろう。


 白のロングTシャツ一枚で、あぐらはやめてほしい。黒のパンツが丸見えだ。慌てて視線を上げるが、鎖骨の蛇のタトゥーがきれいに見えるくらい、ざっくりと開いた胸元とか、目のやり場がない。

 よかった。下半身は寝袋の中で。こんなの押し倒されたら……


「なぁ、あの子を預かったのって、やっぱりチカコのことがあったからなのか?」


「否定はしない。罪滅ぼしとは違うけどな」


「そっか」


 そもそもチカちゃんに罪の意識を抱え続けていることを、誰もが筋違いだと言う。客観的にみればその通りだ。チカちゃんが、自殺した原因は俺にはない。間接的にですら、ないんだ。だからこそ、今でも蓋をこじ開けて、まだ自分の一部が踏み切りにいるのだと突きつけてくるんだ。


「で、まだ何かあるのか?」


 ミコトと二人きりでいることに急に危機感を覚える。冷ややかな声で遠回しにさっさと寝ろと言ったつもりだった。だが、伝わらなかったのか、無視したのか、彼女はぐいっとにじり寄ってきた。


「シシッ。サヤちゃんは、寝たことだしさ」


「やめろって」


 寄りかかってきたミコトの体を、押し戻す。

 サヤちゃんを起こさないように、怒鳴ったりはしない。だが、これが二人だけだったら、俺はたぶんミコトに手を上げていただろう。


「やっぱ、無理?」


「わかってるだろ」


 俺が惨めになるだけだ。そのくらい、わかっているだろ。


「そっか」


 予想に反して、ミコトはあっさり行ってしまった。

 拍子抜けすると同時に、こみ上げてくる後ろめたさ。

 アイマスクに中途半端に欲情したあととか、タイミングが悪すぎる。


「最悪だ」


 さっさと寝てしまおう。そうすれば、余計なことも考えないですむ。


 寝袋にもぐりこんで、目を閉じる。


 もしあの時、ミコトとセックスできていれば、もっと違う人生があったんじゃないか。

 そんなどうにもならないことを考え始めた俺は、もしかしたらミコトのことをまだ未練がましく思い続けているのかもしれない。


 アイマスク買おうとか考えていると、ようやく睡魔がやってきてくれた。

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