プロポーズ

 ツカサのどこが好きなのか、あたしが教えてほしいくらい、よくわかっていない。

 出会いも、意識したきっかけも思い出せない。子ども時代を思い出すと、必ずツカサがいた。そのくらい、ツカサと一緒にいるのが当たり前になっていたんだ。

 ヘタレで、自炊も適当で、掃除だってまともにできていなかったし、何より肝心な勃たない。それも中途半端に誘惑されるくせに、いざってときに拒絶してくる。真面目かといったらそうでもないし、優しいってわけでもない。とにかくヘタレで、あんないつ潰れてもおかしくない電器屋に勤めているし、将来性だってゼロだ。顔は悪くないけど、いいってはほどもない。

 こんな男、はっきり言って一生独身コースだ。

 結婚したいなんて思う奇特な女は、あたしくらいだ。

 考えても考えても、ツカサのいいところなんて見つからない。

 わからない。まったく、わからない。


 水たまりを飛び越えただけで、子どもみたいに嬉しそうにガッツポーズ。

 それから、プロポーズ。

 ツカサにプロポーズされた。


 たしかに、プロポーズ、された、よな。夢じゃない、はずだよな。

 なんか、ちょっとかっこよかったよな。


 それが世界が止まったかと思った次の瞬間には、これだ――


「ア、別ニ、今スグニッテワケジャナクテ、ソノ、家族ゴッコ楽シカッタシ、ナンカ、アレデ……」


 やっぱり、ツカサはヘタレだ。

 どうしてこうなるんだ。

 片言の日本語は、ツカサがテンパってる証拠だ。


「テイウカ、ソノアレ、アレデ、アレッテナンダ」


 やっぱり、ツカサのどこがいいのかさっぱりわからない。


 というか、真っ昼間から路地の歩道の上で、不審者になってどうする。交通量が多いわけじゃないけど、まったくないわけじゃない。さっきもあたしたちを邪魔そうに避けていったおばちゃんの視線が痛かった。けど、完全にテンパっているツカサには、周囲を気にする余裕なんてない。


「落ち着けよ、バカ」


「痛っ」


 傘の先で軽く腹を突っついただけのつもりだったけど、意外と痛かったらしい。

 くの字に体を折って悶え苦しんでいる男が、本当にさっきプロポーズの言葉を口にしたなんて思えない。


「ほら、通行の邪魔になってるだろ」


「いや、それはミコトが……」


「あ?」


「すみませんでした。てか、怒ってる?」


「さぁ?」


 怒ってるか、怒ってないかと、尋ねられてもはっきりと答えられない。


「いや、怒ってるよね?」


 いつまでも立ち止まっているわけにもいかないから、さっさとアパートを目指す。

 雲が少なくなってきて、急に熱くなってきた。濡れた髪とか服が、不快だ。


「あのさ、俺、ちゃんと考えたんだ」


「……」


「聞いてる?」


「聞いてる! ちょっとイライラしているだけ」


「やっぱり、怒ってるだろ!」


 隣に並んだ、ツカサはまだ小突いたところを押さえている。いい気味だ。あんなムードのかけらもないもないところで……ああ、あたし、怒ってるな。怒っていることも自覚できないくらい、あたしは冷静じゃないらしい。

 というか、いきなり『結婚しよう』とか言われて、冷静でいられるわけがない。


「あのさ、俺、ミコトとやり直したくて、ちゃんと考えたんだ」


「なにを?」


「いろいろだけど、一番は勃起不全のこと」


 もう片言の日本語じゃないけど、ツカサはあたしに口を挟まれたくないのか、早口で続ける。


「ミコトと別れたあとに付き合った彼女とも、風俗でも、肝心なときに役立たずでさ」


「それ、前に聞いたから」


 一度別れて再会した成人式の同窓会で、聞かされたあたしの気持ちなんて、絶対わかってない。


「あ、そうだっけ。話したっけ。……にらむなよ。俺、のことがあったから、セックスできないって諦めた」


「それも聞いた」


「頼むから、聞いてくれよ」


 足が早くなるあたしにすがるように、ツカサは手をつかんできた。

 日陰の少ない駐車場で、足を止めさせるなんて頭おかしい。


「俺なんかよりも、ミコトを幸せにできる男がたくさんいることくらいわかっている。ダメ元だってこともわかってる。でも、俺なりにしっかりけじめを付けて前に進みたいんだ。というか、進ませてほしい。だから、ちゃんと聞いてほしい」


「ここで?」


「ここで。これ以上、一歩も、一分一秒も先延ばしにできない。今を逃したら、俺はチャンスを逃したことを一生後悔する」


「わかったよ」


 どうやら、ツカサの話を聞かないと、プロポーズの返事をさせてもらえないらしい。

 まったく、ヘタレのくせにめんどくさい。いや、ヘタレだからめんどくさいのか。


「ありがとう、ミコト。ミコトとセックスに失敗したときは、たしかにチカコのことが頭をよぎったんだ」


 あたしはようやくツカサが、チカコを『チカちゃん』と呼ばなくなったことに気がついた。


「セックスしたら、なりたくない大人になってしまうようで、怖かった。馬鹿だよな。生きていたら、嫌でも大人にさせられるってのに。でも、その後は、チカコのことが原因じゃない。ようやく、そのことに気がついた。最低だよな。チカコのせいじゃないのに、ずっと原因を押しつけていた。ちゃんと、俺がミコトのこと考えていればよかったんだ」


 最低だよなと、苦しそうに顔を歪めたことに、たぶんツカサは気がついていない。まだ、忘れられない証拠じゃないか。


「最初は、チカコが原因で、その後はミコトとセックスに失敗したのが、原因だったんだ」


「……なんだ、それ」


 肩を落として、ツカサは続ける。


「ミコトには、『死んだ人間のことを悪く言うな』とか、さんざんひどいこと言って別れたってのに、ずっと未練があったんだ。だから、その後に、セックスできないでいたのは、ミコトとヤレなかった罪悪感が原因じゃないかって気がついたんだ」


「なのに、死んだ人間のせいにしていたんだ」


「本当に、最低だよな」


 ツカサは唇をかんだ。


「そうでもしなけりゃ、生きてこれなかったくせに、また勝手に余計な罪悪感抱えるなよ」


「でも、やっぱり……いや、ミコトの言うとおりだよ、本当に」


 軽く首を横に振って、ツカサは顔を上げる。


「まだまだ時間がかかるかもしれない。でも、過去のこととか整理できたら、またミコトとまた一緒に暮らしたいんだ。」


 ツカサは深呼吸を一つして、唇を湿らせる。


「今すぐってわけにはいかないけど、俺はミコトと結婚したい」


 考えるよりも先に、返事をしていた。


「やだ」


「あ、ああ……アハハ、ソウダヨナ。俺オレナンカ、みことニフサワシクナイモンナ」


 本当に、なんでこんなやつのどこがいいのか、わからない。

 今だって、勝手に勘違いしてテンパっているし。それがなんだかおかしい。いたずらごころをくすぐられる。


「ばか。何、勘違いしてるんだよ」


「……っ」


 二本の傘が濡れたアスファルトの上に落ちる。

 抱きしめた腕は、そう簡単には離さない。


「待つのがやだって言ったんだ。今から、市役所に行こうよ」


「え、ちょ、それって……えぇえええええ!!」


「うるさいよ、バカ」


 なんで、こんなムードのかけらもない形になってしまったのか。いや、そこまで考えていたわけじゃないけど、もっとマシな形があっても良さそうなものじゃないか。


 本当に、なんでツカサなのかわからない。

 けど、一緒にいて退屈しないし、あたしらしくいられるのは、ツカサだけだ。


 ひと夏の家族ごっこが、あたしたちを変えてくれたと思っていた。

 でも、本当はずっと前から、抱えてきた気持ちに素直になれただけなのかもしれない。

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