喫茶スカーレット
喫茶スカーレットは、駅の近くにある老舗の喫茶店だ。老舗らしく、よく言えばレトロで、悪く言えば古臭くて入りづらい。三年くらい前に、前の店主が高齢で店じまいすると噂を聞いたときは、ショックを受けたくらい気に入っている。二代目となる店主になったは、常連だった四十代の女性客だった。ポチャッとして柔らかい感じの彼女は、雰囲気をそのままに、メニューにはある程度の流行を取り入れるようになった。と聞いたときは、口コミとかで流行ったらやだなと思った。でも、それは杞憂ってやつだった。今でもあいかわらず混みすぎず、ちょうどいい感じでホッとしてる。
幼なじみのミコトから折り返しの電話がかかってきたのは、俺が先にミックスサンドをちょうど食べ終えたときだった。
『シシッ。スカーレットだな。今から行くよ』
「おう、悪いな。よろしく」
あいかわらずな幼なじみの調子に、苦笑いを浮かべながら通話を終える。
「サヤちゃん、今か……」
向かいのサヤちゃんの食べる手が止まっていた。
しっかり横を向いている彼女の視線を辿っていくと、低学年くらいの女の子と両親が楽しそうにしていた。
「サヤちゃん」
「ん?」
何でもないふりをして、サヤちゃんは食べかけのサラダをフォークつっつく。
「パパとママのこと、気にしてる?」
「……」
無言でサラダをつっついているサヤちゃんは、どう見たって両親のことを気にしている。
「わたしのこと、パパとママは嫌いになっちゃたんだよね」
「え?」
ポツリとこぼれたサヤちゃんの気持ちを、すぐに理解できなかった。
カンカンとフォークとサラダをのせた白いボウルがぶつかるリズムが、だんだん踏切の音に近づいていく。
今は過去を相手にしている場合じゃない。
首を横に振って、サヤちゃんのフォークを持つ手を握りしめる。
「パパもママも、サヤちゃんのこと大好きだよ」
「おじさん、でもね……」
驚いて上げられた顔は、すぐに伏せられてしまった。
「ママはおばあちゃんのほうが大好きだし、パパはママのことが大好きだし……わたしのことなんか……」
「サヤちゃん、俺はそれ、違うと思うよ」
本当は、サヤちゃんには教えないつもりでいたけど、こうなったらしかたない。
「昨夜、あのあと加賀美のおばさんと一緒にパパが帰ったらね、サヤちゃんのママは、俺が誘拐したって警察に通報するところらしいよ。タクミ――サヤちゃんのパパが、サヤちゃんと一度距離を置くために、俺にあずけているのは、聞いているよね?」
「……うん」
浮かない顔のサヤちゃんは、残り少ないバナナスムージーのストローをくわえる。
うまく伝えられていない。もどかしいけど、伝える努力はしないと。
「俺は、すごいと思うよ。サヤちゃんのために、距離を置くって、本当にすごいと思う。本当は、離れたくないはずなのにさ。……ごめん、なんかうまく言えなくて。パパから聞いたけど、ママに『おばあちゃんが駄目だから』みたいなことを言われて、傷ついたんだよね」
ズズッとバナナスムージーのグラスが音を立てる。サヤちゃんはますますストローを離せなくなってしまったみたいだ。
でも、ここまで踏みこんだんだから、最後まで言ってしまったほうがいい。これでサヤちゃんが帰りたいというなら、しかたない。たぶん、本当に根拠のなさすぎるたぶんだけど、今、踏みこんでおけば、これから先の同居生活がきっと楽になる。そんな気がする。
「俺も、最初は親に自分よりもばあちゃんのほうを優先されたら、腹立つよなぁって思ったんだ。けど、本当になんとなくだけど、やっぱりサヤちゃんのママは、サヤちゃんのことが大好きなんだよ、たぶん」
ズズーッと音を立てて、サヤちゃんが抗議する。でも、一応は聞いてくれるみたいだ。
「たぶん、サヤちゃんのためになるから、『おばあちゃんが駄目だから』って言ったんだと思うんだ。うーん、これもなんとなくなんだけど、サヤちゃんのママは、ママのお母さんのおばあちゃんのことも大好きで、だから、大好きなサヤちゃんにおばあちゃんのようになって欲しいって思ってる。もちろん、これは俺の勝手な考えだけどさ」
「……それ、わたしよりおばあちゃんが大好きってことじゃん」
「だから、そうじゃないんだよ、たぶん」
「たぶん?」
たぶんとしか言えないのは、俺が人生経験豊富というわけではないからだ。兄さんや従兄のように、結婚して家庭を持っているわけじゃない。サヤちゃんのような女の子と接する機会だって、ほとんどない。
不満そうに耳を傾けてくれているサヤちゃんに、たぶんとしか言えないのがつらい。少しでも、安心してほしいのに。
「そもそも、愛情っていうのはさ、誰が一番とか比べるものじゃないんだよ。サヤちゃんのママは、サヤちゃんが大好きだから、よかれと思っておばあちゃんの考え方を押しつけちゃったんだよ。サヤちゃんを傷つけるつもりなんか、これっぽっちもなかったんだよ」
「じゃあ、我慢すればよかったんだ。今までみたいに我慢してれば、パパと喧嘩しなかったのに」
きゅっと唇を噛んだサヤちゃんに、俺の胸がきゅっと音を立ててしめつけられた。
「そっか、サヤちゃんは今まで我慢してたんだね。でも、いつかはこうなってたんじゃないかな。ママも、ちゃんとわかってくれるよ。そのために、パパは休みをとってママと話し合ってるんだしね。サヤちゃんは、おばあちゃんともママとも違うって……サヤちゃんはサヤちゃんだって」
「わたしは、わたし?」
「そう。……やっぱり、おじさんがなに言ってるか、わからなかったよね」
「うん」
はっきりしてるな。ちょっと傷ついた。
「でも、加賀美のおばちゃんも同じようなこと言ってたし、なんかちょっと安心した」
「そっか、ちょっとでも安心してくれたなら、いいんだ」
ニヒッと笑ったサヤちゃんは、サラダの残りをたいらげる。
強いなと、感心してしまう。
俺は、こんなにも強くなかったし、今でも強くない。
「それで、話を戻すけど、もうすぐ俺の幼なじみが来てくれるってさ」
「おじさん、そこまでしなくてもいいのに。留守番、できるって。それに、ちょっとくらいなら、料理だってできるし」
サヤちゃんは、面白くなさそうに唇を尖らせた。
冷めきったブレンドコーヒーを一気に飲み干して、おかわりを注文する。
「まぁ、そう言わずに。まずは会ってみてよ。見た目はアレだけど、いいやつだし」
「見た目はアレ?」
「まぁ、タトゥー……入れ墨があったりとか、ね」
「ふぅん。もしかして、ヤクザさん?」
「まさか!」
的外れな言葉に、思わず声が大きくなってしまった。
「ごめん、ごめん。先に言っておくべきだったね。ミコトは、女だよ」
大きな声に驚いたサヤちゃんにとって、タトゥーのある人は珍しいのだろう。俺もそうだ。都会とは言えないこんな街じゃ、まだまだ珍しい。わかりやすいかと思って、入れ墨と言ったのも、よくなかっただろう。
外見にびっくりしないようにと、説明したかったんだけど、サヤちゃんはどうもピンとこないらしい。
「女の人で、タトゥーって、もしかしてセレブなの?」
「まぁ、お金があるって意味じゃ、セレブかもな」
あながち間違っていないたとえに、苦笑する。
たしかに、ミコトは海外のセレブのような雰囲気がある。
納得できたのか、できなかったのか、わからないけど、サヤちゃんはようやく残りのサラダを食べ終える。と、彼女の視線が俺の肩の向こうに動いた。
「あ……」
ミコトが来たのだと、振り返る前からわかっていた。彼女は、人を惹きつける。
「ああ、ミコト、こっちだ」
振り返って軽く手を上げると、入口近くにいたサイドが左右非対称のショートヘアの女が、シシッと独特な声を上げて笑うのがわかった。
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