冷や水
ツカサが、頼みたいことがあるって連絡があったんだよ。
親戚の女の子を、家庭の事情で預かることになったから、昼間だけでも面倒見てほしいってさ。
きっと、ツカサじゃなくても、あたしは面白そうだからオッケーしたと思うよ。その時は、あたしにとってツカサは幼なじみの一人だったわけだし。
なんだよ、サクラ。…………あー、あー、わぁったよ。ツカサは、あたしの元カレで…………その、あれ、まぁ、いろいろあって、今はいいだろ、昔の話は!
まぁ、それでこの三週間、いろいろあってちょっと凹んでただけさ。シシッ。
ざっくり手短に話をしたら、サクラとミキに怖い顔されている。ちゃんと話したのに、なんでだ。
「いろいろあって?」
「ちょっと凹んでただけ?」
「心配かけたみたいだけど、もうヘーキヘーキ」
ツカサとは、もうただの幼なじみだ。今は割り切れていないけど、時間が解決してくれるだろうし、いつまでも引きずっているのは、あたしらしくない。
「いやいや、全然平気じゃないですよ」
「そうやってごまかさそうとするところが、全然平気じゃないよな」
「ハナちゃんもリョウさんも、そんなに心配症だっけ?」
誰も納得してくれていないらしい。
このままでは、あたし一人にするのが心配だとかで帰ってくれなそうな嫌な予感がする。
嫌な雰囲気に圧倒されてしまう。
サクラのわざとらしいため息が、異様な空気に穴を開けてくれた。けど、少しもプレッシャーが減らないのはなんでだ。
「ミコト、あんた前にも同じようなことがあったの、忘れているわね。同じように、まともに食事もしないで部屋に引きこもってたことがあったじゃない。あの時も、ヘーキヘーキとか言って、全然平気じゃなったよね?」
「あー、そういえば……」
そんなこともあった。あの時も、サクラが駆けつけてくれたんだっけ。
「いやでも、あれから十……十七年か、十七年経っているんだ。もう、昔みたいに引きずらないから、大丈夫」
あの頃とは、状況が違う。今回は、ツカサと恋人関係になってなかったわけだし。うん、全然違う。
「サクラさんが言う十七年前のことも気になりますけど、わたしから見て、ミコトさん、全然大丈夫じゃないですよ」
看護師だからか、ミキに大丈夫じゃないと言われると、意外とくるものがある。
厳しい顔つきで、ミキは続ける。
「だいたい、ミコトさん、泣いてたじゃないですか」
「へ?」
自分でも、マヌケな声だったと思う。
「三日前、泣きながらフラフラってアパートから出ていくのを、わたし、ちゃんと見ましたから」
「泣いてた? あたしが?」
真剣な顔でうなずかれても困る。否定したくても、この三日間の記憶がはっきりしていないのが悔しい。ツカサの家を出たあたりから、どうやって家に帰ってきたのか、ほとんど覚えていない。
これだから困ると、サクラは言い募ってきた。
「自覚がないのが、怖いのよ。ミコト、あなた、泣きながら男の家を出ていった女が、まともに食事もできなくなってたら、ほっとくの? ヘーキヘーキとかヘラヘラしてて、大丈夫だと思うの?」
「…………逆に、心配する、かな?」
サクラの言うことは、もっともだ。
あたしがサクラたちの立場だったら、放っておいてと言われても、放っておけるわけがない。
「ミコト、この際だから、認めなさい。まだツカサのこと、引きずってたんでしょ」
「引きずってたわけじゃないって……ただ、その、なんていうか……」
「はっきり言いなさい! ミコトにとって、ツカサはなんなの?」
「……」
ざっくり手短に、すませられるわけがなかった。
どうしてこうなったのかと、自分でも戸惑うくらい、あいつとの関係はこじれていたんだ。
「わかったよ。認めるよ。加賀美
そもそも、なんだって、あんなやつをいまだに心の奥底で想っていたのか、あたしのくそったれだ。
サヤちゃんに言われなくても、結果は同じだったかもしれない。
「こんなはずじゃなかったんだよ。ホントに、なんでこうなったんだ。だいたい、あいつがあたしに連絡しくてくるのが珍しくて……」
なんだろう。あたしって、こんなしみったれた性格していないはずなのに、話しだしたら止まらなくなった。
途中からサクラが買ってきた缶チューハイも投入されて、気がついたら、ほとんどぶちまけていた。ただ、アルコールの力を借りても、チカコのことだけは、どうしても言えなかった。
「あー、なんか、普段強気でしっかりしている人が、案外って……のは、こういうことなんですね」
「なんだよ、ミキぃ。あたしだって、凹むことくらいあるさ」
「はいはい」
普段強い人が本命の前じゃ弱気って可愛くて惚れるとか、ミキが小声で続けたけど、聞かなかったことにしよう。
実際には、そこまで酔ってはいない。ただ、気分的に酔っ払ったようになっているだけだ。
「つまり、話をまとめると、ミコトさんの幼なじみの男と一度つき合ったときにセックスに失敗して、それが原因で別れた」
ハナちゃんは、身を乗り出して話をまとめる。
「ま、簡単に言えばそういうこと。あの時だって、こうして引きこもっちゃって、立ち直るのにそうとう時間かかったんだから。追い討ちかけるように、家族が全員亡くなったりとかでさ。ま、そのおかげで、吹っ切れた感はあったけどね。タトゥーを入れたり、社交性に磨きをかけたりとか。結局、吹っ切れてなかったみたいだけど」
ハナちゃんのまとめに、サクラがカルパスを口に運びながらを補足する。
「ミコトちゃん、案外ピュアなところあるんだな」
「リョウさん、からかうなよ」
「う〜ん。初恋の相手を今でもって、素敵だと思う」
「ミキもやめろって」
そういうのじゃない。ただ、未練たらたらなだけだ。
むず痒くて上手く言えないけど、悪い気はしなかった。
調子に乗ったミキは、ますます煽り立てる。
「素敵なものは、素敵なんですって! あー、意外だな。わたし、ミコトさんって、すごく……」
「俺は、素敵だとは思わなかったですけどね」
ミキにつられるように、ほぐれてきた雰囲気に水を差したのは、ハナちゃんだった。
「失礼ですけど、俺には、高嶺の花って言い方おかしいかもしれないですけど、ミコトさんは簡単に落ちない相手を攻略することに燃えているだけのように見えるんですよ。それを恋と勘違いしているようにね」
少し怒っているようなハナちゃんの言葉に、冷や水を浴びせられた。
「ミコトさん、本当にその人のこと愛しているんですか?」
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