唐揚げ
体は正直だ。
リョウさんの唐揚げが美味しすぎるのもあるだろうけど、こんなに夢中になって食べたのは、記憶にない。そのくらい腹が減っていたんだ。
箸を置いたのは、夕方の五時過ぎていた。
そもそも、サクラたちが乱入してきたのも、昼過ぎだったらしい。サクラは今、ミキを連れて買い出しに行っている。常備してあったカップ麺やレトルトで、この三日間しのいだけど、冷蔵庫は気持ちがいいくらい風通しがよくなっていた。
ツカサとサヤちゃんとあたしの疑似家族が解散して、まだ三日だ。あの楽しい家族ごっこが、もうずいぶん昔のことに思えてならなかった。
「すごい食べっぷりでしたね。どんだけ、まともに食べてなかったんですか?」
家中に掃除機をかけ終えたハナちゃんが呆れながら、唐揚げをつまむ。
「稲葉、手ぇ洗ったのか?」
「洗いましたよ、リョウさん」
ハナちゃんが素手でつまんだのを、リョウさんは見逃さなかった。
「ありがとな、ハナちゃんもリョウさんも、わざわざ…………」
「いいですよ、ミコトさんにはなにかとお世話になってますし」
「いんだよ。ミコトちゃんのためだからな」
笑うしかなかった。
暇つぶしをかねて、リョウさんの中華料理店でバイトしていた頃を思い出す。当時のバイト仲間のハナちゃんはわりと気楽なフリーターだった。それが再来月には、挙式を控えているなんて、いまだに信じられない。二十歳にはバツイチの経歴を持っていて、二度と恋愛なんかしないと豪語していたのは、どこのどいつだと、いじったのは、つい先月の初めのことじゃないか。
「それにしても、ミコトさんが引きこもるなんて、びっくりしましたよ」
「サクラちゃんが心配しすぎてるんじゃないかって、俺たちは話してたくらいだもんな」
「シシッ。わるかったな。あたしだって、ちょっとくらい落ちこむこともあるさ」
やっぱり笑うしかない。これ以上、心配かけたくなかったから。ツカサのことは、あくまであたし個人の問題だ。店を持っているリョウさんや、挙式を控えているハナちゃんに、あたしのためにこれ以上時間を割いてほしくない。
「あー。俺、今、ミコトさんが何考えてるのか、わかっちゃいました」
「俺もだ」
なぜか、ハナちゃんとリョウさんの顔が険しくなる。
「え、えーっとぉ」
それはもう、あたしが気圧されるくらい険しい顔だった。
「迷惑かけたなんて、とんでもないですからね」
「そうだ。俺もハナちゃんも、ミコトが好きだから、駆けつけたんじゃないか」
「好きだからって、ちょっと嬉しいけど……いやいや、リョウさんはまだわかるけど、ハナちゃん、婚約者いるんだろ」
そう、十五年前に妻を亡くしているリョウさんならわからないでもないけど、ハナちゃんには年上の婚約者がいる。フリーターのままではと将来に不安を覚えて、ハナちゃんは一度この街を離れて婚約者を連れて戻ってきた。バイト先だった清掃業者で正社員となったのも、結婚を決めたからだ。
「あははは。ミコトさんがそれ言いますか。人妻のサクラさんとか、未成年の学生君とか、妻子持ちのおっさんとか、手広くセックスしているミコトさんが、言うんですか」
「やべぇ」
リョウさんの「やべぇ」は、あたしの心の声でもあった。
どうやら、あたしはハナちゃんの地雷を踏み抜いてしまったようだ。彼の目が据わっているから、間違いない。
「俺は、ヒトミを愛してますけど、ミコトさんは好きです。似てるように聞こえるかもしれないですけど、別です。前はわかりませんでしたけど、今ならはっきりそう言えます。俺は、ヒトミと結婚しても、ミコトさんのことは、ずっと好きだと思いますよ。まぁ、俺はもうミコトさんとセックスはしないですけどね。というわけで、わかってくれましたか? ミコトさん、あなた、好かれやすいってこと、自覚してくださいよ。ミコトさんの身になにかあったら、悲しむ人は大勢いるんですから」
「あたしの身になにかって……」
「わかってくれますよね?」
大げさだと言おうとしたら、ハナちゃんが恐ろしい笑顔で遮ってきた。
「ワカリマシタ」
まるで、テンパったときのツカサみたいな返事をしてしまった。
「ミコトちゃんもわかってくれたみたいだし、ハナちゃん、そのくらいにしておけ」
「わかってますって」
肩をすくめると、ハナちゃんはいつもの優男に戻った。
何かと地雷が多いハナちゃんと婚約した相手に、一度会ってみたくなった。
「そろそろ、買い出し班も戻ってくる頃かな……」
五時半を指している壁時計を見上げたリョウさんが、ぼやいた。しばらくすると、玄関から買い出しに出ていたサクラの声が響いてきた。
「ただいまぁ」
なぜか、自分の家でもないのに、買い出しに行っていたサクラが「ただいま」と戻ってきた。いつものことだけど、なぜか、今日は気になった。たぶん、あたしもツカサの家に戻るたびに「ただいま」と言っていたからかもしれない。
空っぽの冷蔵庫に食料をしまって、サクラとミキもラグの上に腰を下ろした。
「さて、と。どうしてこうなったのか、聞かせてもらいましょうかね」
あたしが話すまで四人とも帰ってくれなそうな雰囲気だ。
とはいえ、何から話せばいい。
ツカサのことを知っているのは、サクラだけだ。
「どうしてこうなったかなんて、あたしが知りたいくらいだよ。こんなはずじゃなかったんだ」
できるだけ、手短に話をして帰ってもらおう。
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