夏祭りへ
夏祭りは、神社などではなくて駅のロータリーを中心に行われている。いちおう、夕方から交通規制もあるし、盆踊りの
わざわざこの日のために、鼠色の甚平を買うことになるとは。ミコトが買ってあげると言っていたけど、さすがに断った。そんなに高くないし、意外と着心地いいから、部屋着にはちょうどいい。
「おまたせ」
ようやく着替えをすませたミコトとサヤちゃんが、寝室から出てくる。
サヤちゃんのテンションは、出かける前から最高潮ではないかと思ってしまう。先日、ショッピングモールで彼女の浴衣を選ぶときに、ためらいがちに選んだのは、黒字に白の蝶々柄の服地にフリルがたくさんついた、浴衣ドレスだった。一度、着てみたかったらしい。なんとなく今まで着たことがない理由が、想像できてしまった。まぁ、そのくらいのワガママならと、買ってあげた。
そのかいあって、サヤちゃんは嬉しそうに見て見てと、袖を振っている。
「うん、かわいいよ、サヤちゃん」
最近は無造作にまとめているだけだった髪も、ミコトに丁寧にアップしてもらってある。
「シシッ。さて、行くか」
「ああ、そうだな」
俺も腰を上げる。正直、ついさっきまでは外から聞こえてくる蝉時雨のせいで、夏祭りがかったるくなっていた。夏祭りに行こうと言い出したのは俺だというのに、いざとなったらこれだ。だが、サヤちゃんの浴衣ドレス姿と、ミコトの浴衣姿に、心が動いてしまった。現金なものかもしれない。
ミコトの藍染めの浴衣は、つき合っていた頃のものとは別物だ。だが、よく似ていた。大きなひまわりが、小ぶりの朝顔に変わっただけだ。黄色い帯の色も、あの頃よりもずっと落ち着いた色味になっているじゃないか。と気がついたと同時に、一度見ただけの浴衣姿を覚えていたことに戸惑ってしまう。
先に行くミコトと並んで歩いていたサヤちゃんが、くるりと向きを変えて俺と並ぶ。
「あー、おじさん、ミコトに見とれちゃってるぅ」
「サヤちゃん、おじさんをからかうんじゃない」
図星だなんて認めない。認めたくない。
だが、サヤちゃんがからかう声はミコトに丸聞こえで、ミコトまで俺と並んできた。
「シシッ。ツカサ、別に遠慮しなくても……」
「からかうなよ! てか、離れろ!!」
「おじさん、両手に花で嬉しくないのぉ?」
「サヤちゃん!!」
自分でも、ガキみたいに慌てているのがわかる。辛い。
会場につく前に疲れはててしまいそうだ。そんな心配をしてしまうほど、二人のテンションに圧倒されてしまっている。
会場に近づくと早速サヤちゃんは、チョコバナナの屋台でカラフルなバナナの中から一本を選んでいる。その後姿が、ほんとうに可愛い。あらかじめサヤちゃんに、夏祭りのお小遣いをわたしてある。これは、タクミからの十万円の中から使った。
「ツカサは、久しぶりなんだよな」
いつから袖が触れそうな距離にいたのか、ミコトが懐かしそうに目を細めていた。
「まぁな」
俺が不登校になるまでは毎年のように夏祭りに来ていた。それからは、一度だけしか来たことがない。
「お前とデート以来だよ」
「そうだったんだ」
意外そうな顔をするなよ。
あの時は、ミコトがずいぶん大人っぽくてドギマギした。
そもそも、浴衣で来るなんて予想してなかった。それなのに俺は、ちょっと良さげなジーパンにTシャツだった。だから、余計に焦ったのを覚えている。思い出にひたりかけると、チョコバナナ片手にしたサヤちゃんの思わせぶりな声が邪魔をする。
「へぇ、いいこと聞いちゃったぁ」
「サヤちゃん。変なこと考えない。ほら行くよ」
「はいはい」
もう終わっているんだ。ミコトとは、ただの腐れ縁の幼なじみ。
俺に未練があっても、サヤちゃんがニヤニヤするような関係じゃない。きっとこの家族ごっこが終わったら、未練も心の奥底に沈んでしまうに決まっている。
なぜかまたミコトとサヤちゃんに挟まれるように、歩いている。しかも、近い。
「シシッ。ツカサ、なにムキになっているんだよ」
ムキになったわけじゃないけど、言い返すのもなんだか癪に障るから無視することにする。
ミコトの下駄の軽やかな音と、櫓のほうから流れてくる夏祭りらしい音楽のおかげで、不機嫌な気持ちは長く続かなかった。
予算内におさめようと、サヤちゃんは少しでも安い屋台を探している。
ミコトは、俺と一緒にサヤちゃんを見守る。
たぶん、周りは『家族』に見えたかもしれない。
「写真撮ってあげる!」
ヨーヨー釣りで、水色の水風船を見事手に入れたサヤちゃんは、そうはしゃぎながら俺たちのほうに駆け寄ってきた。
「ミコトとおじさんのツーショット撮ってあげるから、スマホ貸してよ」
「それは……」
ミコトはどう思うだろう。俺なんかとツーショットはと、横目でミコトをうかがうと、いたずらっぽく笑う彼女と目が合う。どうすると、目で尋ねてくる彼女は、どういうわけか照れているように見えた。心臓がどきりと跳ね上がってしまった。気のせいだと、言い聞かせる。彼女は、ますますいたずらっぽく笑みを深めた。
「シシッ。サヤちゃん、三人で撮ろうか。家族ごっこの記念にね」
「えー」
サヤちゃんは不満そうに頬をふくらませるが、目が嬉しそうだ。
「じゃあ、どこで撮る?」
「えーっと、あそこ!」
サヤちゃんが指差したのは、ご当地キャラの立て看板だった。ゆるキャラにしては、正直微妙だと思う。地元の特産品のキャベツがから体が生えた落書きのような目と口の、その名もキャベット。櫓から少し離れたステージの手前には、きぐるみのキャベットが今も手を振っている。意外だったけど、キャベットに記念撮影を求める人は大勢いた。どうも、サヤちゃんはキャベットが好きみたいだ。さっきから、何度かステージの様子をうかがっているのに気がついてしまった。
なんだかんだで、サヤちゃんは可愛いモノとかが好きなのかもしれない。今日の浴衣ドレスだって、そうじゃないか。
「よし、じゃあ三人で撮るぞ」
邪魔にならないように、タイミングを見計らって立て看板の前に並ぶ。サヤちゃんはキャベットの隣。その隣に、俺。さらにその隣に、ミコト。どうも、今日は二人で俺を挟む決まりがあるらしい。下手に移動すると、またサヤちゃんにイジられそうだから、おとなしくする。
「ツカサが、撮ってくれよ」
「いや、俺、自撮りとかしたことないし」
「何事も経験だろ。シシッ、ほらスマホ出せって」
ミコトに肘で小突かれて、しぶしぶスマホを出す。と、ボランティアスタッフの腕章をつけたおじさんが、ニコニコと声をかけてきた。
「よろしければ、お写真撮りますよ」
「あ、じゃあ、お願いします」
やったこともない自撮りは回避できた。
「それでは、いいですかぁ?」
「はぁい」
ミコトとサヤちゃんが声を揃えて、真ん中の俺に体を寄せる。
「はい、チーズ」
とりあえず、笑顔はできたと思う。
よくよく考えてみれば、自撮りどころか写真を撮ってもらうこと自体、ずいぶんご無沙汰だった。だから、どんな顔をすればいいのか、よくわからなかった。
「ありがとうございます」
「家族みんなで、お祭り楽しんでってね」
やっぱり、家族に見えるんだ。そう苦笑しながらスマホを受け取る。
「おじさん、見せて見せて」
「はいはい」
思ってたよりも、自然な笑顔で写っているのを確認してから、サヤちゃんに見せる。
「あー、キャベットがちゃんと写ってない」
「あっちで、一緒に撮ってあげるから」
むくれるサヤちゃんに、ステージ前のきぐるみと撮影することを約束しながら、ミコトがなだめる。
「いいの?」
「いいに決まってるだろ。なぁ、ツカサ」
「ああ、うん」
俺はずいぶん間の抜けた返事をしてしまってから、サヤちゃんからスマホを返してもらう。
そこで、俺は気がついてしまった。
「悪い、ちょっと……二人で先にキャベットのところに行っててくれ」
えーっと声を上げるサヤちゃんに、申し訳なさそうに背後にある駅の公衆トイレを親指で示す。不満そうだけど、納得してくれたらしい。
「早く来てね」
「はいはい」
ミコトと手を繋いでステージに向かうサヤちゃんには申し訳ないけど、すぐに行けないかもしれない。
一度、公衆トイレのほうに足を向けて、サヤちゃんに見られていないことを確認してから、急いで屋台の人混みに向かう。綿菓子の屋台のそばに、彼らはいた。
俺が来るのに気がついた日が暮れているのにサングラスをしたアロハシャツの男は、ぎくりとたじろいで隣のサマーワンピースを着た女性の手を引く。そのまま逃げるかと思ったけど、結局彼らはその場から動かなかった。
まったく、聞いてないにもほどがある。
「こんなところでコソコソしてないで、出てきたらどうなんですか?」
ハハッと気まずそうに笑うのは、従兄のタクミだった。彼が手を引いた女性は、奥さんのルミさんだ。
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