踏み切りの手前
夏祭りの翌朝、俺はタクミたちに会ったことサヤちゃんとミコトに伝えた。
「そろそろ、サヤちゃんとママが向き合ってもいいころなんじゃないかな。ほら、案外直接あってみたらってことあるし、さ」
「うん、わかった。いつまでもおじさんのお世話になっているわけにはいかないもんね」
サヤちゃんは、前向きにそう答えてくれた。明るい表情には、不安の色は見えない。それでもなぜだか、言葉通り受け止めてはいけない気がした。
「もし何かあったら、また俺のところに逃げてきていいからな」
「あたしのところに逃げてきてもいいんだよ」
同性のミコトのほうが、いいかもしれない。すっかり、年の離れた友だちになっているわけだし。
「うん、ありがとう!」
まぶしいサヤちゃんの笑顔をみたら、なんだか俺まで笑顔になってしまう。
「じゃあ、加賀美のおばさんで、初めてのブラを説得するの、早く練習しないと」
「あ、そうだった」
すっかり忘れていた。
「もうサヤちゃんの準備はバッチリだもんな」
「うん! あとは、加賀美のおばさんで練習して、家に帰って本番!」
イエーイと、ミコトとサヤちゃんはハイタッチをする。
本当にすっかり仲良くなってる。
「わかった。あとで、母さんに連絡しておくよ。それから、サヤちゃんが帰ることも相談しておきたいしね」
もうすぐ家族ごっこが終わる。
サヤちゃんは、両親のもとに帰る。ミコトも、ただの幼なじみに戻る。
あっという間の三週間だった。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまった。そんなちょっとした感傷にひたりながら、スマホで母さんにメッセージを送る。返事はすぐに来た。
「早速、今日の夕方の四時に来るってさ」
「了解!」
最後の確認なのか、ミコトと資料にする画用紙を見直している。
「ツカサは、どうするんだ?」
「俺? 俺は、そうだなぁ……」
ミコトが心配してくれているとおり、俺はどうしてもチカちゃんのことを思い出してしまうだろう。
「おじさん、一緒に練習に協力してくれるんじゃないの?」
どうやら、サヤちゃんは俺も母さんと一緒に聞いてくれると思いこんでいるみたいだ。不思議そうに首を傾げている。それに対して、ミコトは不安そうだ。
「少し、考えさせてくれないかな」
「えー、なんで?」
「サヤちゃん、ツカサにはツカサの事情があるんだよ」
不満そうだったが、サヤちゃんは資料の見直しに戻った。
「あのさ、ちょっと買い物にでも行ってくるけど、なにかいるものある?」
「あーそうだな……」
すっかり、料理や洗濯といった家事を任せてしまっているミコトは、少し考えて、あとでスマホにリストを送ると言った。
「じゃあ、行ってくるな」
「いってらっしゃーい」
サヤちゃんの元気な声に送り出されて、外に出る。今日は、どんよりとした雲が広がっている。
昨日は、晴れてくれてよかった。
そういえば、台風が来るんだったけか。
不安になってスマホで天気を調べると、じきに晴れてくるらしい。傘はいらないようだ。
なんとなく、歩きたい気分だった。
歩いて、考えを整理する。そんなタイプの人間じゃないのに、今日はじっとしていられなかった。
カンカンカンカン……
赤いランドセル。それから、それから……。
気がついたら、あの踏み切りに向かっていた。
「だよな。そうだよな。もうとっくの昔に、わかってたことなんだよな」
認めてしまうのが、怖かっただけだ。本当はわかっていた。
俺は、チカちゃんのことなんて、何一つ知らないんだ。
「嫌になるよなぁ」
まったく、俺はなんて臆病なんだろうか。
カンカンカンカンカンカン……
過去の音ではなく、現実の音にハッと顔を上げる。
もう、踏み切りはすぐそこだった。
ゆるやかな下り坂の先。
二本の線路が、なにか特別な境界線のようだ。確かに、チカちゃんは、踏切で生と死の境界線を超えてしまった。でも、実際にはただの線路だ。
カンカンカンカン……
道路には、俺しかいない。
ゴーッと音を立てて、電車が通り過ぎる。
「なんだよ。やっぱりそういうことじゃないか」
足を止めていたのは、たぶん俺が感じていたよりもずっと短い。
「チカちゃん、近いうちに花を持ってくるよ」
せめて、どんな花が好きだったのか、知っていればよかったのに。本当に、俺は何も知らない。
踏み切りには、それ以上近づかずに来た道を引き返す。
だんだん日差しがきつくなるにつれて、暑さも厳しくなってきた。
キャップを被ってくるのを忘れたことを後悔しながら、スーパーにやってきた。
「うへぇ」
ミコトから送られてきた買い物リストにさらにうんざりする。
歩いてきたのに、これはないだろうという量だった。いや、歩いて帰れないことがないギリギリの量だかから、余計にうんざりする。
『昼までには帰ってこいよ。冷や麦作って待ってるからな!』
クマのスタンプでよろしくと言われてもなぁ。
「しゃーない。買って帰りますか」
そういえば、この家族ごっこで、どれだけ独り言を減らせたんだろうか。あまり変わっていない気がしてならない。
汗をかきながら帰ると、ちょうど冷や麦が座卓に並んでいた。
「いただきます」
そういえば、サヤちゃんが来たあの日まで、いただきますと手を合わせることもなかったな。ましてや、声をそろえるなんてことはありえなかった。
「あ、そうそう、サヤちゃん、俺も今日は一緒に聞かせてもらうことにしたよ」
「おい……」
「もう大丈夫だ。ミコトが心配するようなことにはならないから」
踏み切りで大丈夫だと確信してきたから、顔を曇らせたミコトに強気に笑うことができた。
「やったね。わたし、ますます張り切っちゃう!」
サヤちゃんは、前向きだ。最近はずぶ濡れで泣いていた姿とは、まるで別人のようだと感じることも少なくない。と同時に、安心しすぎるのはよくないのではとか、心配しすぎるのもよくないとか、うだうだ考えてしまうまでが、セットになっている。俺は、サヤちゃんにとって頼れるおじさんでいられただろうか。ほとんど、ミコトに任せきりになっていたような気がしないでもない。
先に食べ終えた俺は、もうすぐまた一人に戻るという現実をぼんやりと整理していた。
「あ、悪い」
ミコトのスマホが鳴ったかと思うと、彼女は顔色を変えて、玄関の外まで急いでいった。どうやら、俺たちに聞かせたくない電話らしい。
すぐに戻ってきたミコトは、申し訳なさそうに手を合わせてきた。
「あー……サヤちゃん、ツカサ、悪い。急に用事ができちゃってさ。今日は帰れない」
「えー、ミコト、いてくれないの?」
「サヤちゃん、本番はツカサもあたしもいないんだぞ」
「そうだけど……」
不安そうなサヤちゃんに、ミコトは笑いかける。
「明日の朝には、ちゃんとどうだったか聞かせてもらうから、な」
「絶対だよ」
サヤちゃんがしつこく念を押すのは、それだけミコトが心強いんだろう。
「悪いな、ツカサ」
「ああ」
急いで身支度をすませて、ミコトは出かけてしまった。
たぶん、サヤちゃんがどんな発表をしても、思いは母さんに伝わるだろう。そして、それは一番伝えたいタクミたち両親にも伝わるはずだ。
サヤちゃんが納得すれば、明日にでも両親のもとに帰れるだろう。タクミとルミさんは、一日でも早く迎えに来たいだろうし。
だから、本当はミコトはもう戻ってくる必要はない。
昨日の時点で、家族ごっこを続ける必要はなくなったんだから。
「おじさん、さっきからため息ばっかり」
「ごめんね、サヤちゃん」
笑顔を作るけど、うまくいかなかった。
「ミコトがいなくなると、寂しい?」
「あのねぇ……サヤちゃんもいなくなると寂しいよ。そりゃあ短い間だったけど、一人暮らしの俺が、こんなに賑やかな生活ができたわけだしな」
「ふぅん」
よくわかってないって顔をしたサヤちゃんは、でもさと続ける。
「わたしは、もうすぐパパとママのところに帰るけど、たまにはおじさんの家に遊びに来るよ。ミコトは、おじさんと一緒に暮らしてもいいんじゃないの?」
「いやいやいやいや……サヤちゃん、なに言ってるんだよ、ミコトはサヤちゃんのために呼んだんだって」
必要以上にうろたえてしまった俺に、サヤちゃんはいたずらっぽく笑う。
「ふぅん。でも、さっき、ミコトは帰れないって言ってたよ。ここ、ミコトの家じゃないのにね。シシッ」
ミコトの笑い方を真似るサヤちゃんに、俺はなにも言い返せなかった。
期待してはいけないのに、こんなの期待してしまうじゃないか。
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