終わるよりも

 人の目を気にせずにこんなに笑ったのは、ずいぶん久しぶりだった。


「さて、キャベットちゃんと、記念撮影しないと帰れないからな」


「おじさん! キャベットは、ちゃんじゃないもん。男の子だから、くんだもん」


「まじか」


 まずい、しまった。興味がなかったのがバレてしまった。


「おじさん、キャベットはね……」


 列に並んだ俺に、サヤちゃんは得意げにキャベットのプロフィールから推し情報まで教えてくれる。聞けば聞くほど、微妙さがましてしまうのは、なんなんだろう。でも、列が進むにつれて、だんだんテンションが上ってきた。


「サヤちゃんは、可愛いモノが大好きなんだなぁ」


「おじさん、今頃気づいたの? これだから、男ってのは」


 やれやれと肩をすくめるサヤちゃんに、ちょっとムカッとした。けれど、そんな大人げない自分がおかしくて笑ってしまった。


「ツカサ、たこ焼きで頭までおかしくなったのかよ。シシッ」


「うるせぇよ」


 テンションがおかしいまま、順番が回ってきてしまった。

 さっきの立て看板のときとは違って、サヤちゃんと俺の間に、キャベットがいる。

 商店街の老舗写真館の店主が、大きなレンズを向ける。有料だけど、無料でスマホで撮影してもらうより、家族ごっこの記念になるだろう。


「じゃあ、撮りますねぇ」


 サヤちゃんは、キャベットの大きな手に抱きつく。


「もう一枚いきますよ。はい、チー……」


 ズと、愛嬌のある店主がシャッターを切る直前、ミコトが俺に寄りかかってきた。笑顔を作っていた俺は、その不意打ちに動揺する暇もなかった。


「素敵なご家族ですね」


 写真の引換券を渡してくれた女性スタッフに、そんなこっ恥ずかしくなるようなことを言われてしまった。

 三十分後にまた戻ってくるけど、それまでどこで何をしようか。


「サヤちゃん、次はどうする?」


「うーん、ちょっと休みたい」


「だよなぁ」


 記念にもらったキャベットのうちわに輝かせてた目を、サヤちゃんは少しだけ曇らせた。

 日が暮れても、まだまだ暑い。いつもの歩きやすそうなスニーカーとは違って、サンダルでは疲れやすいだろう。俺だって、早くもコンビニが恋しくなっている。


「とはいえ、ねぇ……」


 とはいえ、パイプ椅子と折りたたみの長机が並ぶ休憩エリアは、すごい混雑している。しばらく、人が動きそうにない。サヤちゃんが夏祭りに飽きたなら、ミコトと先に帰ってもらうのもありかもしれない。俺だけが残って、写真を持って帰ればいい。


「じゃあさ、こうしようか……」


「あ、ちょっと二人とも待ってな」


 ミコトが、俺の提案をさえぎって何かを見つけたのか、小走りで本部と書かれたテントに向かった。


「ああ、何かじゃなくて、誰かだったのか」


 もともとミコトは、常に人に囲まれているヤツだった。

 年配の男と、俺と同じくらいの男女、四、五人に囲まれている。


「ミコトは、愛されてるなぁ」


 すっかり忘れていた。

 ミコトは、俺じゃなくても、きっと同じような頼み事をされたら、同じように引き受けていただろう。そんなことも、すっかり忘れていた。


 俺も、あそこでミコトを囲んでいる奴らの一人でしかないんだった。


「おじさん、やっぱり好きなんでしょ」


「サヤちゃん、あのねぇ……」


 否定しようとして、やめた。もう、わかっているんだ。俺はミコトにまだ未練がある。家族ごっこを始めるまで、ずっとないことにしてきたけど、それももう否定できなくなっている。


「好きか嫌いかとか、そんなふうに単純な言葉で言えたらいいんだけどね」


「それって、好きってことじゃないの?」


「まぁ、そうとも言えるかな」


「じゃあ、二人ともつき合っちゃえばいいのに」


「そういうわけにもいかないんだよ。大人の事情ってやつでね」


「ふぅん、おじさんも変なの」


 ははっと曖昧に笑ってごまかしても、口止めはしっかりしておく。


「はいはい、誰にもいいませんよーだ」


 本当かと怪しいところだが、サヤちゃんを信じるしかない。


「あ、ミコトが戻ってきたよ」


 その意味ありげな視線も、やめてもらいたいな。


 ミコトのおかげで、本部のテントのすみでサヤちゃんは足を休めることができた。


 キャベットは記念撮影のスケジュールをこなして、今は盆踊りの輪の中にいる。ちょっと滑稽なきぐるみの踊りを、サヤちゃんと一緒に黙って眺めている。そろそろ、写真の引き換えの時間だ。


「そろそろ行こっか」


「うん」


 ミコトは、さっきからずっと運営ボランティアの人たちとしゃべっている。ずっと俺とサヤちゃんと一緒だったから、話すこともたくさんあったんだろう。


「ミコト、写真取ってくるけど……」


「ああ、わかった」


 ミコトに気を遣って、今夜はサヤちゃんと二人で帰ろうと考えていたのに、それを口にすることもできなかった。

 それは、たぶん俺がミコトに未練があるせいだ。


 写真を受け取ると、自然な流れで俺たちは帰路についた。

 まだしばらく夏祭りは続くけど、サヤちゃんはお疲れだし、いい頃合いだろう。

 俺たちの他にも、会場のロータリーから離れていく人たちは少なくなかった。


「シシッ。楽しかったな」


「そうだな」


 今夜はまだ、タクミたちと話したことを伝えなくてもいいだろう。

 のんびりと歩いていくうちに、俺の歩調がすっかりかわっていたことに気がついた。

 以前は、こんなにゆっくり歩くことはなかった。気がつかないうちに、サヤちゃんやミコトの歩調にあわせるようになっていたようだ。なんだか、気がついてしまうと、急にむずがゆい気分になってくる。


「おじさん、急に笑ったりしてどうしたの?」


「別に……」


「別に、なんだよ?」


 ミコトにまでうながされて、俺は両手を夜空にまっすぐ伸び上がる。


「別に、夏も終わるのかなぁって思っただけ」


「まだ終わらないだろ」


 何言ってるんだって、ミコトは首を傾げる。たしかに、まだお盆前だしまだまだ暑い日は続いていく。


「だから、思っただけだって」


「ふぅん」


 ミコトはそういうものかと、納得出来ないようだ。


「終わるって、わたし、好きじゃないな」


「サヤちゃん、どういうこと?」


 サヤちゃんが、ちょっと口を尖らせる


「わたしはね、過ぎるって言い方のほうが好き。夏も過ぎるのほうが、秋に続いている気がするし」


「へぇ、サヤちゃんいいこと言うね。終わるより、過ぎるか。うん、そっちのほうがいいね」


 ミコトが同意する。

 俺も、声に出さないけど首を縦に振る。


 秋に続いている、か。

 何かが、変わると予感したこの夏が過ぎれば、新しい秋になる。できれば、去年までのような代わり映えのしない秋ではなくて、何か新しい秋がいい。


 そのために、俺は何ができるだろうか。

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