第32話 揺るぎなき信頼

 「応援するよ。それで、君はその人とお近づきになりたいんだね? 」

俺の問いかけに、目を輝かせて話していた栄の口が停止した。目の輝きと笑顔は変わらない。でも、なぜか目は泳ぎ、戸惑いを隠せていない。一体どうしたというのだろう。

「どうして……。」

「え? 」

「国之は、どうしてそんな素直に受け入れてくれるの? 」

細く開いた唇から声が絞り出される。彼女の戸惑いの理由はどうやら驚きらしかった。しかし俺の心からはどうにももやもやが消えなかった。男と女が愛し合うなら、女同士であってもなんの問題があるのだろうか。確かに、子孫を残すという生物学的観点からは外れている。でも、だからといってそれが敬遠されたり否定されたりする筋合いはないはずだ。

「どうしてったって、特に理由ないけど。強いて言うなら……それも普通だと思ったから? そりゃ、聞いたときに多少驚きはしたけど、はっきり言って違和感は無かったよ。男と女が互いを愛するなら、女同士があったって不思議じゃなくない? 」

俺が心をそのまま乗せた長広舌に、栄はまた黙ってしまった。雨が窓に当たるバチバチという音だけが二人の教室にこだまする。受け入れが済んだなら、次はいよいよ本格的な対策の話だろう。そう思ったが、いつになっても栄はなんの言葉も発しなかった。不審に思って横を見ると、栄のくぐもった嗚咽が聞こえてきた。思わずどぎまぎしてしまう。

「え……栄急にどうしたの? 」

意味がわからなかった。なぜ急に泣き出したのか。原因があるとすれば俺の言葉だろうが、変なことを言った覚えはない。ひとまずポケットのハンカチとティッシュを渡そうとするが、自分のがあるからと断られる。雨音はより一層激しさを増して来たようだった。何か追加で言う事もできず、俺はひたすら待っていた。

「だって、だって……。こんなに誰かに受け入れてもらえたのは初めてだったから。私、今まで他の友達にもこのこと話したことがあったの。よくある恋バナとかでも、好きな人は女子ですってはっきり言ってたし。でも、みんなは誰一人として受け入れてくれなかった。変な目で見るか、自然と周りから離れていった。そういうのも別に自然で、話すのが当たり前だと思ってた私はすごく傷ついた。だから、仲良くなっても恋バナをするのが怖かった。それをしてしまえば、絶対に嫌われるって思ったから。親も話せる感じじゃなかった。でも、国之だけだよ。ここまで受け入れてくれたの。ありがとう。」

最後の「ありがとう」には全ての思いがこもってる気がした。泣き濡れた顔で、目を腫らして語る栄。彼女が何故かすごく美しく思えた。

「それじゃ、本題に入っていこうか? 」

「うん!! 」

彼女は、また輝きを取り戻した。

「まずはベタなところから行くか。確か、名前は木下(きのした)多恵子(たえこ)さんだったかな。栄はその木下さんと喋ったことあるの?」

「ううん、無いかな。あ、あるにはあるんだけど、ほとんどクラスの仕事とか配布物のことだけで。ほら、席も遠いし。」

「そっか……印象はどんな感じ。」

待ってましたとばかりに栄が前のめりになった。急な移動に、俺は思わず少し仰け反る。

「さっきも言ったかもしれないけど、やっぱり、ひたすらクールでかっこいいって感じかな! でも、かと言って困ってる人いたらすぐ助けてくれるし! だから、一言で言うと、静かで優しそうな感じかな。」

「趣味とか、部活とかってわかる? 」

印象が強く残っているのなら、趣味とかの想像もつきやすいかもしれない。部活については、運動系なら高体連などの大会、文化系なら色々な発表会を見に行くことで話題ができるかもしれない。自分の出ていた試合を褒められて、嬉しくない人はきっといないだろう。

「趣味か……なんか休み時間とか、難しそうな本読んでる印象があるな。部活は、うーん、確か文芸部だったかなぁ。」

「うーん、文芸部か。大会も……。」

教室を今日何度目かの沈黙が包む。雨音は多少弱まっているものの続いている。他の文化部なら大会の勇姿を見ることができるが、文芸部の大会は募集と表彰だけだと聞く。しかもうちの学校では全道大会以降に進んでも垂れ幕が出るのは運動部だけだ。部活から攻めていこうにも手がかりがない。完全に手詰まりだ……。

 しかし、俺はここで一つの案を思いついた。大会の勇姿は無くても、文芸部には一つの大きな武器がある。

「そうだ、栄! 文芸部の部誌だ!! 」

「え? 」

「ほら、毎年学祭とかで配ってるだろ? あれだよ。」

そう。文芸部には季刊の部誌がある。学祭や大会前など、時節ごとに刊行されているそれから会話を繋げていけるかもしれない。

「そっか!! 本が好きなら自分で書いてみたいって思うのも納得だし、絶対に自分が書いた作品が褒められたら嬉しいはず!! やった!! 」

ようやく会話の糸口を掴みかけた彼女は大手を振って喜ぶ。

「栄が文章を読める人なら、きっと大丈夫なはずだよ。」 

「ありがとう!! 読み取りとか苦手だけど、読むのは好きなんだよね。あ、でもペンネームとかって……。わからなくない? 」

そのことなら問題はない。俺は去年の部誌を思い出しながら答える。

「心配ないよ。部誌の一番最後のページに、作者の生徒名とペンネーム載ってるから。」

「そっか。じゃあ、次の学祭の文芸部の部誌を読んでみて、その感想とかから会話始めたらいいかな!? 」

どんどん栄のテンションは上がっていく。もうすぐ8時になるため、このテンションの高さはまずい。

「そうだな。栄、栄、一旦落ち着け。学祭まではまだ間があるし、それまでは中々進展するわけじゃないと思うから。」

「まぁ、そうだよね。でも、良かった。」

少し彼女の高揚に歯止めをかけられたようだ。彼女は本当に幸せそうな様子でどこともなく見つめている。思わぬところで彼女の恋路に貢献できたのは望外の喜びだ。

「あのさ、もしそれでうまく行ったらさ、私達のコンサートに誘ってもいいかな……。ちょっと恥ずかしいけど、学祭で私ソロやらせてもらえるところあるから、木下さんに聞いてもらいたくて。」 

彼女は思い出したように言葉を紡ぐ。

「いいんじゃない? 部誌のこととか小説の話が合ったらやってみなよ。がんばれ。」

「うん。」

「ごめんね、国之。こんなに話聞いてもらっちゃって。あんまりこういう話も出来なくてさ。流れで何気なく話そうと思ったんだけどさ。」

謝られるようなことではない。俺はそれだけを伝えたくて声を出す。

「いや、そんなことないよ。栄の話は確かに意外だったけど、色々と考えるのは楽しかったし。」

「そっか、ありがとうね。国之。これからも色々と聞いてもらうかもしれないけど。」

「うん。どんどん来ていいよ。」

栄は俺の言葉に嬉しそうに目を細めた。雨はもうポツポツとしか降っていない。所詮は寒冷前線だったようだ。芝居の劇中なら、柔らかなエンドロールが流れ、無音の演技の中で幕が下りる。そんな場面のような和やかさを感じた。

 「おう、おはよう、東田!! 」

突然やってきた声に、慌てて栄は席に戻る。そうなのだ。ここは舞台上でも無ければ、スポットライトも幕も音響もない。あるのは学校の騒がしさだけだ。突如として西脇たちが入ってくる。他の人達は遅めだからいいものの、西脇たちが遅いのも珍しい。

「おはよう、西脇! 今日お前なんか遅くないか? 」

「おっと、その理由作ったやつが何言ってんだ? お前たちの雰囲気が良さそうだったから気遣ってやったんだよ。」

つまりそれは、俺と栄の会話を聞いていたということではないのか。からかうような言い草に少し笑いが漏れた。聞く前に答えが飛んでくる。

「お前、自分に恋愛経験もないくせして人にアドバイスなんかしちゃって。全部聞いてたんだぞ。」

恋愛経験がないに関しては全力で否定したくなったが、未完の片思いだからしょうがない。というか、失恋した彼女ともいずれ話すことはなくなるのだ。西脇が連れてきたかのように、朝の教室はどっと笑いに包まれた。恥ずかしかったが、どこか心の中で楽しんでいる自分がいる。例え部活をやめても、このクラスでならうまくやっていける、受け入れられるかもしれないな。ここに俺の居場所は確実にある。そう思えた。 

 ふと時計を確認すると8時10分。やけに見覚えのある数字に少し頭をひねり、程なくして気がついた。胸を撃たれたような衝撃が走る。今日は暴風雨だったから無いかもしれないが、今日は確かに朝練の日だ。どうやら、俺はまた重大なやらかしを犯してしまったらしい。

 「朝練のことなんですが……。やっぱり集まりが悪すぎると思います。」

思ったとおり、やはり事は起こった。部活頭のミーティング、発声係の美智が苦虫を噛み潰したような顔で発言した。

「ここまで人が集まらなかった朝練も初めてです。このままではやる意味がなくなりますよ。」 

確かに、人が集まらなければ朝みんなで練習をする理由はない。美智が言う事も最ものはずだった。部活の頭から、重苦しい雰囲気が部室を包んだ。

「あの……。」

おずおずと、消え入るように奏先輩が発言した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る