第18話 始業と衝撃

 「おはよう、東田!」

開口一番俺を迎えた西脇はいつも通りの坊主頭だ。少し控えめな、でも無邪気な笑顔がこぼれている。

「おはよう、西脇!! ここにいるってことは、お前も3組なのか!!」

西脇は人をからかいすぎるところもあるが、色々話せて頼れるいいやつだ。あいつと同じクラスになれて素直に嬉しい。俺は人と話すのは好きだが、面識のない人と話すのは流石に少し気が引ける。

「そんなことも知らなかったのか? クラスくらい見とけよ。重要な情報だろ。講習の最後の日に言われたじゃんか。」

そういえば、一美のことで心がいっぱいで他の人たちのことを確認する余裕も無かった。

「そうだったか……? 全然覚えてないや。まぁ、ありがとう。」

「いいってことよ! 今年もよろしくな! 国之、主役頑張れよ!!」

思わぬ励ましに驚かされ、胸が温まる。こういうさりげない優しさも西脇の美点だと思う。心なしか、西脇のテンションがいつもよりも高い。あいつももしかしたら俺と同じクラスになったことを内心喜んでいるのかもしれない。周りでは多くの生徒達が席につき、徐々に喧騒も増していく。どうやら友達と同じクラスになれた人やらが多くいるらしい。クラスはどの休み時間よりも高揚した雰囲気の中にある。その中で一際にぎやかさを放つ声に、俺は聞き覚えがあった。音源に近づき、声をかける。

「あれ? ねえ、委員長? 」

「おお、国之じゃん! 同じクラスだったんだ。よろしくな。」

1組の元委員長・森田までも同じクラスだったとは正直驚きだ。ここまで知り合いが同じクラスに固まるのも珍しい。これは面白い一年間になりそうだ。とても楽しみではある一方、少しばかり勉強面での不安も抱えつつ俺は席に着いた。程なくして、

「そろそろ移動するので、出席番号順に廊下に並んでください。」

俺にとっては馴染みの顔と声、清水先生が現れて指示を出す。一気に俺の高揚がさらに高まった。しかし、高揚しているのは俺だけのようで、指示に従うみんなの顔は、高揚と少しの不審がないまぜになったようだった。普段は2年生の授業を受け持ち、ほとんど部外の1年生とは接点のない先生だから無理もない。一人だけ浮いてしまう気持ちを多少抑えつつ、俺は整列へと向かった。

 始業式も終わり、教室に帰ってきた俺たちを待っていたのは温かい日の光と、容赦ない現実だった。席に着くと、またもや激しい喧騒と穏やかな雰囲気がクラスを包む。なるほど、このクラスも前回同様、多様性に溢れたクラスらしい。調和するかどうかはまた別問題ではあるが。少しほっこりしたものを心に残しつつ、俺は西脇達ととりとめない話を始めた。

「はい、みんな静かに。ホームルームするぞ。」

少し騒がしいくらいの話し声も、清水先生の一声には勝てなかったらしい。喧騒が次第にフェードアウトしていき、終いには完全に静まり返った。先生は静かになったクラスを見渡すと一拍おいて話し始めた。先生の比較的静かな、それでいてよく通る声が響く。 

「2年3組の皆さん、俺は普段は現代文を担当してる清水だ。演劇部の顧問をやってる。一年間よろしく頼む。それじゃ、軽く自己紹介といこうか。とりあえず、名前と趣味くらい言ってってくれ。」

廊下側の人から順に自己紹介が始まった。俺は出席番号が35番と後の方なのでいろいろな人の発表を聞くことができて楽しかった。最初のホームルームらしく、自己紹介と今後の連絡だけして、その後は放課となった。ただ、最後の先生の、

「明日からは授業も多少入ってくるし、クラスの役員も決めようと思う。みんな、頭から気合入れていこう。」

という少々熱のこもった言葉が生徒達をやきもきさせているようではあったが。再び喧騒と、まったりとした空気が学校を包み込む。昼下がりの時間は春の陽気をたたえて滔々と過ぎていく。

 掃除に当たっていた俺は教室の机の雑巾がけをし、一通り終えるとふと窓の外を見た。軟らかい日差しと緑の中で、続々と濃紺のブレザーの生徒たちが校舎からはきだされて来る。ある者は友と談笑しながら、ある者は一人で揚揚とそれぞれの帰りを満喫しているようだ。思いがけず、西脇と森田も校門前にたまっているのを見つけた。どうやら誰かを待っているようだった。人ごみの中に思わずあいつ、いつも演出席に座る小柄な彼女を探してしまう。そして、見つけてしまった。趣味の悪いことだと自分でもわかってはいる。でも、止められなかった。数人の友達と笑い合って帰っていく一美。その顔は今まで俺に見せたことのない表情をたたえ、陽光のためかかなり眩しく俺の目を焼いた。また俺の耳に、微風に乗って小さな笑い声が届いた。それは、まごうことないあいつのもので。未だに未練を捨てきれない俺は小さくため息をつき、うつむく。俺は、あいつにとっての何だったのか。何かあいつを幸せにできていただろうか。

「……東田君、東田君! 」

小さく、強く俺を呼ぶ声。清水先生だった。さすがに教室であることに配慮して名前呼びは封印しているらしい。はっとして現実に戻ると、既に掃除はほぼ終わり、班長がチェックをしている。班員もみんな整列して待っている。

「あ、ごめんなさい! すぐ行きます!! 」

俺はまた少しの後悔を振り切ってみんなが集まる方へ向かった。つつがなく反省は終わり、掃除があった俺達にもようやく放課が訪れた。

掃除が終わった後、俺は清水先生のもとへ向かった。一年間よろしくお願いしますと挨拶をするためだ。職員室の先生のもとへ行くと、待っていたのは思わぬ言葉だった。

「よう、国之、どした? 」

「あの、今年もクラスでもよろしくお願いしますと言おうと思って。まさか担任になるとは思わなかったのでびっくりしました。今年も部活でもクラスでもよろしくお願いします。」

「おう、そっか。こちらこそよろしく頼むぞ。これからは部活だけじゃなく、クラスでもお前のことを見ることになるからな。クラスで今日みたいに変なことしてたら……わかるな? 」

思いもよらず脅された。半笑いだったから半分冗談だとは思うが、気をつけないと。

「はい……。気をつけます。ごめんなさい。むしろ、部活でもクラスでも先生に会えると思うと少しワクワクしてます。こんなこともうしませんよ? 」

俺は苦笑しながら本心をつぶやく。

「ならいいんだけどな。気をつけろよ。あんなことされたらみんなが迷惑するんだから。」

ここまで半笑いで言い切った先生が、瞳を純粋な疑問の色にして問うた。

「今日は、大丈夫だったか? 何を考えてたんだよ。お前のことだから部活のことなんだろうけど。」

心配してくれる先生。ここはちゃんと答えた方がいいだろう。

「あの……」

俺が一美のことを話し出そうとした瞬間、先生は笑って両手を振った。

「いや、聞いてすまんな。答えなくていいよ。そうだ、まさか国之恋の病か? 」

冗談で、そんなことはないだろうと言うように笑う先生。心にまた風穴が空いた。しかし、例え正鵠を得ていても冗談を肯定する勇気は俺には無かった。

「そんなわけないじゃないですか!! とにかく、もうあんなにぼーっとなんかしませんよ。それじゃ、ありがとうございました! さようなら! 」

俺は、また心をえぐられる前にそそくさと帰っていく。「また明日」というように、先生は手を高々と上げて見送ってくれた。

 少しの複雑な気持ちで校門を出ると、先程の西脇と元委員長がまだ残っていた。

「おーい! 東田!! 遅いぞー! 」

「西脇! 委員長! どうして残ってるんだ? 」

「決まってんだろ! お前を待ってたんだよ。カラオケ行こうぜ東田!! 今日部活ないんだろ? 」

委員長がよく通る声で応えを返す。まさか、そのためだけに待ってくれていたのか。思わず胸があたたまる。

「おう!! ありがとう! 行こうぜ!!」

足を早め、次第に駆け出す。たちまち俺達3人は団子になって駅前のカラオケ店へ急いだ。3時間コースで歌い始める。委員長が歌っていた途中、間奏の時の西脇の何気ない言葉が俺の胸を大きく貫いた。

「なぁ、東田、委員長、ずっと気になってたんだけどさ、俺達が入った時ってうちの学年282人いたよな? でもクラス分け合計したら281人しかいなくてさ。 一人減ってないか? 」

俺は完全に硬直した。

「確かに、言われてみればそうだよな。でも、そんなに気にすることでもなくないか? 」

俺の本心を知ってか知らずか、委員長が逸らそうとする。しかし、西脇は小揺るぎもしない。

「そりゃそうだけどさ、なんとなくモヤモヤしてさ。東田、なんか知ってる? 」

とうとう矛先が俺に向いてきた。なんと答えれば正解だろうか。幹彦のことを話すのは構わないがあまり積極的に使いたくはない。幸い、間奏が終わって再度委員長が歌い始める。答えるのは曲が終わってからでも良さそうだが、目線が痛い。西脇は相変わらず純粋な好奇の目で持って俺を見つめている。

 普段は暑いカラオケルームにふと冷気が差したが、エアコンの温度は相変わらず高いままだ。もしかしたら汗が冷えたのかもしれない。世の中はわからないことだらけ。でも、本当のことだけ僕たちは探し、歩んでいこう。答えられずにいる俺の胸に、歌詞の言葉が染み込んでいく。

「なんだ? 何か知ってるなら教えてくれよ。」

好奇心に満ちた笑顔の西脇の言葉が、追い打ちをかけるように迫った。

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