第19話 気持ちと言葉のせめぎあい

 熱気に包まれていたはずのカラオケルームが一瞬にして冷え切った。俺の目を好奇心たっぷりに見すえる西脇に、俺は恐怖すら感じて目をそらす。普段、ここまで話すことを避けたい話題に会ったことがなかった俺は、こみ上げる嫌悪感に耐えられそうに無かった。とにかく、好奇の目から逃れるためにも答えを出さなくては。

「いや……俺は、特に知らないな。」

そういう俺の顔はぎこちなく引きつり、相手を直視することはできなかった。そのためか、西脇は興味を失うことは無かった。未だ好奇心に輝く瞳が真っ直ぐに俺を見据える。

「いや、絶対なんか知ってる顔だろ。普段お前そんなに引きつった顔することあったか?」

こいつはなんだろう。いつもはのんびりしてるくせにこういう時だけは変に鋭い。痛いところを突かれた俺はまた黙り込むことしか出来なかった。

「まさか、お前の知り合いの誰かにいるのか。」

胸が辛い。痛い。あいつのプライバシーのことだから言いたくないし、迷惑にもなるだろうと知らないでしらを切り通そうとしていた。しかし、衝撃と動揺で生まれた不自然な間を西脇に感づかれ、ここまで持って来られてしまった。そうなれば、もう言ってしまったほうがいい。自分も辛い気持ちをいつまでも抱えていられるほど強くはない。

「うん、それがさ……」

「まぁ、まぁ。そんなに聞き込むことでもなくないか? 東田も困ってるだろう。」

ほとんど結論を言いかけた俺を救い、西脇の矛先を逸したのは元委員長だった。どうやら聞いていたらしい。

「え、だって委員長も気になるでしょ? 」

西脇が純粋に疑問の形を持って問いかける。

「そりゃ気になるけどさ、東田なんか困ってるし、そこまで気になるか? 」

「俺は気になる! 」

「でもさ、人を困らせてまで聞くことじゃないだろ? そんなに気になるなら、調べる方法はいくらでもあるんじゃないか? 」

「そうだね……。分かった。聞いてごめんな、国之。」

委員長のとりなしで、なんとか幹彦のことは話さずに済んだ。さすが、1年間個性満点の俺達をまとめたリーダーだ。西脇は若干不服そうな顔だったが、すごすごと引き下がっていった。一瞬またいたずらっ子のような瞳で俺を見つめたが、当然俺は話すわけにはいかない。将来に向けて気持ちを高めているだろう幹彦。応援しようと思うし、騒がれることで変に翻心されたくない。何よりも、発っていくあいつを心残りなく送り出してやりたかった。あいつにとっての最善の形で。

「それより、次はお前の番だぞ。早くしないと曲始まる。」

見ると、画面には既に曲のタイトルと作者名が表示され、前奏が始まろうとしていた。コーラを一口飲み、マイクを構える。落ち着いてるが強い、ドラム主体の前奏が俺の気分を高揚させていく。これは好きな曲らしく、少ししょげていた西脇も思わず目を輝かせて反応する。

「一緒に歌おうぜ、西脇! 」

先程の葛藤も記憶の彼方に捨て去り、高揚する気分に任せて俺は叫んだ。

「おう! ありがとう、東田! 」

あいつも嬉しそうな笑顔で応じる。多少のいざこざがあっても、こういうことができるからこのメンツは楽しいんだ。歌い、リズムに乗って叫ぶ声とともに気持ちが浄化されていく。いつの間にかまた胸は高鳴り、約3時間はあっというまに、飛ぶように流れていった。

 その帰り、疲れて帰る俺達を尻目に西脇はやけに興奮していた。きっと高揚が抜けなかったのだろう。委員長と俺が疲れて歩く前を、スマホを見ながらハイテンションで騒いでいる。いつも思うが、こいつの小さめな体のどこにそんな力やエネルギーがあるんだろう。時折俺達にも話しかけて来たが、疲れていたため取り合うこともできず、ただ聞き流していた。気がつくと、あいつは誰かと通話しているようだった。時折漏れる「3組」、「7組」というワード。きっと新しいクラスの話でもしているのだろう、興奮し、いつもより半オクターブ高い声で話すあいつは街灯の光を浴びて眩しく見えた。。3組と7組。かつてそこにいた二人の影を思い出し、胸の苦しさを感じながらも歩く。歩き続ける。三者三様に進み続ける彼らを眩しいネオンサインが照らす。

 翌日、4月9日。朝登校すると、様々な部活が既に勧誘活動を始めていた。いつもの5割増でにぎやかな声が朝の学校の空気を鮮烈に震わせる。

「あ、すみません、失礼します。」

途中、他の部活の勧誘の人にぶつかったりしながら歩く。2年生であり、部活に入っている身のため当然勧誘はされないが、勧誘も含めてかなりの数が行き交う廊下ではこのようなことも日常茶飯事だ。なんとか「2-3」の教室へとたどり着く。たどり着くやいなや、俺は台本を開いた。「クラスで親睦を深める」という目標は既に果たされた。ならばもう部活に専念してもいいはずだ。

「おはよ! 東田!! 」

昨日と同じように西脇が入ってきた。素直な笑顔と坊主頭。違うのは、直前まで女子と親しそうに話していたことだ。話す彼はやけに嬉しそうだった。少々の劣等感を感じながら俺はその女子について聞こうと口を開く。

「おはよう!! 西脇! そういや、さっきの女子誰? 」

「なんだぁ、東田! 嫉妬か? 残念だがさっきのは俺の彼女なんだ。取ろうと思ってもそうはいかんぜ!! 」

彼はとても嬉しそうに、これ以上の幸せはないという顔で話し始める。嫉妬という気持ちは少なからずあった。しかしそれ以上にあったのは驚きだった。確かにたまにあいつが電話などでハイになってることを見たことはあった。でも、まさか彼女がいるとは思っていなかった。隠されていた、という友達としての失望が俺の心に大きく影を落とす。うつむく俺に、気がつくと目の前に西脇の顔が迫っていた。

「なんだ? 急にどうしたよ国之。あ、まさか落ち込んでんのか? まぁ、心配すんなって、お前にもいつか、春は来るよ!! 」

「ありがとう……」

心配されるポイントがずれてはいるが、落ち込んでいるのは事実だ。こういうカラッとした態度に割と救われる自分がいる。

「いやぁ、ごめんな。いつか言おうと思ってたんだけどさ、何しろ始まったのがつい1週間前だったもんで……。」

「1週間前だったの!? 」

俺は思わず大声を上げてしまった。ほんとにこいつはいつの間にできてるんだよ。4月から見てきたが、西脇はとにかく行動力が凄まじい。昨日のカラオケにしたって、もしかするとこいつの発案で始まったのかもしれない。ふと俺の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。単純な好奇心、でもはっきり言って少し聞きづらい。中途半端な苦味を口の中に感じながら、とにかく俺はそれを口に出した。

「そういえばさ、西脇って告った方? 告られた方? 」

純粋な好奇心からの質問。こいつのことだからきっと恋したら一途なんだろう。多少の気後れから目線を外した刹那、両肩が掴まれた。

「俺の方からだよ!! よくぞ聞いてくれたよ…。俺も話したくてウズウズしてたんだ!!  ありがとう!! 」

肩を掴まれたことで目線を外しきれずに前に向き直る。俺の肩を掴む西脇の目は今まで以上に輝き、口元には満面の笑みが浮かんでいた。

「ことの始まりは去年の冬の引退試合前だったなぁ……。」

そういえば、こいつのサッカー部では引退試合なるものがあるらしい。1、2年生の合同チームと3年生が試合をするようだ。対抗戦は人数が多い運動部の特権だろう。

「あの時も練習がキツすぎた。だって、ひたすら階段ダッシュを30分だぜ? しかもそれがだんだんのびてくんだもん…。でも、今考えたらそれも幸運だった。俺が脱水で倒れて保健室に行った時、たまたま今の彼女がいてさ。俺の寝てるベッドの近くで先生の治療受けてた。その時に一目惚れしちゃってさ!! それからは廊下にいても、どこにいてもその人を探してた。その時まだクラスも名前も性格も知らなかったのに。」

まだまだ飽きることなく、西脇は話し続ける。個人的に興味深い話のため、俺も半ば前傾して聞き入っていた。しかしそれとは裏腹に、胸には少し辛いような、息苦しいような名前のつけがたい気持ちが横たわっていた。 

「その後、人づて、噂づてにクラスと名前を聞いた。友達にも聞いたりしたから怪しまれたりはしたけど。でも、それもすごく楽しかった!! 全く知らない、それこそ顔に恋したような感じだったのに、一生一緒にいたいって思っちゃってた。」

「そんな感じで、その人とは始まったわけか。」

「そうそう!! それからしばらくは人生薔薇色だった…。そんで、卒業式くらいの時期に部活のことも聞いてさ……趣味があったのもあって廊下とかでちょくちょく話せるようになったんだ!! すごいのがさ、知れば知るほどどんどんとその人に惹かれてくんだ!! 新たな一面知るたんびに、そこも魅力になってて……知れば知るほど好きになるんだ。よく言われることだけどさ、始めて意味わかったよ!! しかも、困ったことに何か欠点までよく見えてくるんだよ!!あいつほんとにクールなくせにいちいち可愛いんだよなぁ!! 」

ふと見ると、あいつはぎゅっと掴んでいた両手を俺の肩から離し、近くの床を叩いていた。周りから見れば完全に変な人だ。これがいわゆる「悶える」ということなんだろうか。

「なんかもうあいつの全部が欲しい!!引かれるかもしれないけど。あと……あー、言葉が見つからない。あいつになら、殺されてもいい!! 」

西脇を素直に、すごいと思った。ここに来て初めて、俺は胸の中の気持ちに後ろめたさや尊敬の念が含まれていることに気づいた。自分でもおかしいとは思いながらも、俺はまた心の本音をぶつける。いつの間にか最初の問は半ばどうでもよくなっていった。

「すげぇなぁ。西脇は。」

「え? 俺なんかすごいことやったっけ? 」

あいつは全く意味がわからないというぽかんとした顔で俺を見返した。

「そこまで純粋に誰かを思えるってことだよ。普通、相当なことがないと人は人をそこまで好きになれない。しかも、お前の場合は一目惚れから両想いまで行ってさ……。ほんとに大したもんだよ。」

「そっか……。ありがとう!! まさかそんなことで褒められたこと無かったからビックリしたけど。」

「西脇、とにかく、彼女さんとうまくやれよ! 」

「おう! 」

西脇は、満足したのだろうか、そう言い残して幸せそうに教室を出て行った。その足取りはやけに軽そうだった。

 俺は、さっきのかすかに残る違和感について考える。まっさきに出たのは自分の一美に対する気持ちについてだった。俺は西脇ほどの熱を持って純粋に人を、一美を思っていたんだろうか。将来一緒になりたいとまで考えていただろうか。答えはきっと否だ。さっき、西脇に対して抱いた少しの尊敬の念がそれを如実に表している。きっと、違和感はそこのズレから生まれたものだ。多分、あそこまで純粋に将来を「添い遂げたい」と思っているということは、西脇のは純粋な恋、いやもはや「愛」なのかもしれない。では、俺のこの気持ちは何なんだ? 俺は一美を異性として意識したことはあるし、ずっとこのまま一緒にいたいと思ったこともある。あいつが他の男子と喋っているのを見て嫉妬したことも一度や二度ではない。でも、その先は? 俺が望んでいたのは、あくまで「今」の一美との時間だ。一生いっしょにいたいとか、知れば知るほど好きになるとか、欠点まで好きになってしまうということは無い。欠点はあくまで欠点として見えてくるし、そこを好きになれるかと言われたらはっきり言って疑問符だ。それでも、好きなんだとは思うが……。果たして、俺のこの気持ちは本当に恋心だったのか? やはりもやもやした何処とない違和感は消えることを知らない。このままでは堂々巡りになりそうだ。この気持ちの解決をしないと恐らくいろいろな物が手につかなくなる。とにかく、このことを誰かに聞いてもらって、多分正体を明かしてもらえれば気持ちは晴れるだろう。一番の適任者の名前が脳裏に浮かび、煌々と照る。今日にでもその人に相談してみよう。そう決めたところで、ちょうど始業のチャイムが鳴った。

 時間は流れて昼休み。心のしこりが残る中で、意外と相談の機会は早く訪れた。俺はちょうどすぐそばを通りかかったその人に声をかける。

「あのさ、栄(さかえ)、昼練無いなら、ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど。」

「ん? どうしたの国之。昼練は明日からだから空いてるよ。」

呼び止められた女子、新田(にった)栄は少しはにかんで振り向いた。こいつは入学当初、まだ先輩方や今の部活の同級生達と打ち解ける前から色々と相談に乗ってもらっている。吹部で人脈が広く、先輩達に言えないことも話すことがあるが、何故か幹彦の時だけは栄に言わずに先輩達に話してしまった。こっちが聞き手に回ることもあるが、今回は無論聞いてもらう側だ。最初は先輩達に相談しようと思っていたが、俺の言動から一美に好意を持っていると既に悟られている可能性もある。だとすると、どことなく言いづらかった。俺はとにかく話を始めようと空いていた窓際の席につき、栄もその向かいに座った。段々と周りの喧騒が遠くなっていく。

「弁当食べながらでもいい? 」

「あ、いや、ごめん。いいよ全然。」

彼女にも潤沢な時間があるとは限らない。聞いてもらうからにはこれくらいはさせてあげないといけないだろう。急いで始めよう。

「あのさ、唐突な話でごめん。俺、部内に気になってた人がいるんだ。」

栄が意外そうに目を見開き、一瞬食べる手が止まる。

「でも、その人にはもう他に好きな人がいるってわかってて、俺はつまりはフラれたわけだ。他の現在進行形で恋してるやつの話聞いてみたら、俺って本当に恋してたのかなって思っちゃって。」

咀嚼しながら、栄は考え込んでいるようだった。時折、小さく目を伏せる。

「具体的には、どうして恋じゃないって思うの? 」

「なんか、知れば知るほど好きになるみたいな一般的な恋の症状っていうのかな、それがあんまり俺のに関しては感じられないっていうか、そんな感じ。」

「そっか。」

栄はうなずくと、確認するように聞いてきた。 

「一応聞くんだけどさ、今日こういうことで話そうとしてるのはなんとなく分かった。でも、結果的に何を目的にしてきたの? 」

目的の無い会話はしないとでも言いたげな口振り。でも、栄の場合はそうではないことを俺は知っている。いつもこうやって目的を聞いて、俺の愚痴も聞きつつ解決できるように導いてくれるのだ。

「この俺が抱いてた気持ちは、恋なんかじゃないのかもしれない。正体を確かめようと思って。ごめんね、こんな質問しちゃって。」

そう言われた栄はいつに無く少し落ち着きなく、また少しの間固まった。間をとって彼女は言葉を紡ぎ始める。

「その子の欠点まで好きになれる? 欠点も含めて好きなの? 」

より眼光が細くなり、かっちりと俺の方を見据えた。質問の内容と眼光とに囚われて俺は身動きがとれなくなった。いつの間にか心臓は早く大きな音を打っている。

「いや、それがそうでもなくて、欠点は欠点として見えちゃうんだよね。」

「そっか。じゃあ、手を繋ぎたいとか思ったことある? 」

「あるよ。結構あるかな。」

ここまで聞いて、栄はまた考え込んだ。そして、また言葉を発する。結論をほぼ決定づける言葉を。

「そっか。じゃあ、質問を変えよう。かなり生々しい話になるけど、キスしたいとか思ったことある? 」

想像だにしない言葉に俺はどぎまぎした。でも、答えは決まっている。

「いや、そこまで思ったことは無いかな。」

「そっか。じゃあ最後の質問だよ。」

答えを聞いた栄の目が少しの間俺から外された。そして、次に目を見て言葉を発したとき、彼女の眼光は幾分柔らかく感じられた。きっと、眼光を変えたのは理解だ。彼女の中でも結論が出たのだろう。

「自分でない他の男子とその人が喋ってるの見たら、やっぱり嫉妬する? 」

「うん。やっぱりどうしてもね。」

彼女は少しの間をとった。多分、こっちに理解させる余裕を与えてくれたんだろう。その後は矢継ぎ早に話していった。

「国之、多分君のそれは、憧れてる人に対する独占欲だ。」

胸に走る重い衝撃。西脇の話を聞いてから、何となく恋ではないとわかってはいた。しかし、「独占欲」などという薄汚いものだとは思っていなかった。所詮俺にとっての一美は独占欲の対象というそれだけでしかなかったのか。特別な存在であることに変わりはないが。

「落ち込まないで、国之。恋だって独占欲の延長線上にあるんだから。」 

そんなこと言われても落ち込むものはしょうがない。俺がうつむいていると栄はまた唐突に話し始めた。

「国之、私の昔の話をしていいかな? 」

俺は少し顔を上げた。俺を見つめる栄の目は暖かく、あの日の由香里先輩と少し重なった。

「うん、いいよ。」

「私が中学の頃、そのときも吹部だったんだけど、その時にある同学年に対して恋みたいな感情を抱いたことがあるの。特別な人ではある。だけど、一生添い遂げたいかと言われると疑問符がつき、かと言って嫉妬もするめんどくさい感情。」

俺は瞬間気づいた。栄は、俺と全く同じことを体験してきている。

「耐えられなくなって先輩に相談したら、今国之に言ったのと同じ結論が出てきてさ。ショックってもんじゃなかった。私の気持ちは所詮こんなんだったのかって。でも、その時の私は逆に聞かなきゃよかったって思ってた。」

単純な疑問符。先が気になり、思わず机から前を乗り出して聞いていた。栄は言葉を紡いだが、それは今までとは違う、一種の憂いに満ちていた。

「その時、私はこの感情を恋だと完全に錯覚してたの。それで、先輩に相談する3日くらい前に告って、オーケーまでもらっちゃって。もちろん嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。でも、色々と付き合ってく中で何かが違うって思って、耐えられなくなって相談したのね。そしたら、この結果になって。先輩を恨むわけじゃないし、むしろすごく感謝してる。だけど、これを機に糸が切れたの。」

「糸? 」

思わずオウム返す俺に栄は続ける。

「心のどこかで、『その同輩を好きでいなくちゃ』って気を張ってたのかもしれない。そんなもん、もう恋じゃないよね。その時の私も、そう思った段階で、やっぱりこれは恋なんかじゃない、独占欲だって思えた。でも、そこからが大変だった。彼氏の前では好きみたいな振る舞いをしなきゃいけないし、吹部で練習も多かったから毎日会う。だんだん疲れて、振りをするのも限界になってきて……」

俺が辿るはずかもしれなかった末路。思わずゾッとしてしまった。

「それで、付き合い始めてから3週間で別れた。言い出したのはもちろん私から。『ごめん、ほんとにごめん。私、あなたに恋なんかしてなかったみたい。ただただあなたを独占していたかっただけみたい。でも、もう恋してる振りをするのももう疲れちゃった。別れたい。』って。ほんとは、もっと言葉を選ぶべきだったのかもしれない。だけど、相手はそういう言葉を濁すとか言うのは嫌な人で、せめて最後はストレートにぶつけてあげたかったっていう、私の……自己満足。」

うらめしそうにつぶやいて、彼女はまた話し続ける。彼女の負の感情をここまで見るのも初だ。

「それから、彼はしばらく部活に来なくなった。間近に迫ってた定期演奏会にも彼は出なかった。2週間してようやく戻ってきたけど、昔と見違えるくらい痩せてて、全然音も出せなくなってた。そして、彼は定期演奏会のすぐあと、部活をやめた。今どうしてるのかはわからないけど。……国之。」

今までの弱々しさとは打って変わって、強い表情で栄は俺を見た。がっしりと見つめられて思わずひるむ。そんなことなど介さず、栄は言葉を紡ぐ。 

「私は、自分の勘違いで大切な人を、部活の友達を傷つけた。正直、君が振られたって聞いて安心した。これで私みたいな道を辿ることもなくなるんだなって。確かに恋って言う言葉は軽く聞こえて、何が恋かなんて分からない。だけど、恋じゃない気持ちにむりやり恋なんて名前をつけて、それで人を傷つけてほしくない。私は、そうなるんだったら自分一人傷ついていればいい。」

彼女は半ば吹っ切れたように言い放った。

「あの、ごめんね。昔のことそれも嫌なこと思い出させちゃって。」

「別にいいんだよ。あの時の先輩こういうふうだったんだなって思えたし。私の懺悔みたいな感じになっちゃったけど、国之が私みたいにならないで済んだことが分かったし。だからいいんだよ。これは私のためでもあった。」

「そっか……なら、良かった。」

「もう後は何もない?」

「うん。本当にありがとう。」

「おう! 役に立てて良かった! 」

栄の嬉しそうな顔に、思わずこっちも綻ぶ。

「そうだ! 国之、本当の恋なんて、人生の中で時間をかけて見つければいいんだ! 私だって『ちゃんとした恋』を見つけるのに16年もかかったんだから! 」

その言葉の裏にあるニュアンスを感じるのに、俺は少し時間がかかった。

「え!? まさか今本当に好きな人がいるの!? 」

「うん。いやー、本当に毎日幸せなんだよ!!あいつのいいところならいくらでも言えるね! 一生を共に過していきたいとか、中学の時の『思い込みの恋』とは全然違う。会えるだけで毎日幸せって感じ!! 」

誰だろう、とは思ったが、今日のこともあるし、聞かないでおこう。そういえば、あることを思い出した俺は大興奮の栄を制して言った。

「そういえば、栄、弁当は? 」

「あ。」

彼女の机には、未だ半分以上が残った弁当があった。

「教えてくれてありがとう!! 」

急いでかき込む彼女を尻目に、無情にも予鈴が鳴った。

「とにかく、色々ありがとう!!……頑張れ!!」

俺はその言葉を渡してから授業の準備へ向かった。独占欲という言葉に忌避感を覚え、一美に振られたことで辛くなったが、それによって栄の轍を踏まずに済んだのは良かったのかもしれない。俺は晴れやかな気持ちになった。これで頑張って行ければ、いつか一美にもこのことをちゃんと話せるかもしれない。そう思っていたはずなのに。

 その日はもうチャンスが来なかった。単純に一美が休んでいたからだ。それにばかり賭けていた俺は一気に意気消沈した。体がいつもよりも格段に重く、動きも鈍い。心なしか全身が熱くだるく思える。突如景色が遠のいていき、視界の隅がブラックアウトしていく。

 その日の部活の記憶は無い。いつの間にか白昼夢でもみるような、どこか遠くぼんやりとした感覚に陥っていた。遠くからおぼろげに

「国之! 国之! 」

俺を呼ぶ清水先生の声が聞こえた。俺が我に帰ったのはその直後だった。

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