第14話 いい役者とは

 曇天の中の職員室、先生は俺の目をしっかりと見据えて薄い笑みを浮かべている。俺を試すような好奇に満ちた表情が俺を追い詰める。「いい役者とは何か」。芝居に出演するキャストとして一年間演劇部にいたが、そんなことは考えたことも無かった。各公演で、各部分の細かいダメ出しはしっかりと改善できるように努めたが、演技全体としてこういうものだと思ったことはなかった。

「よくわからないですし、考えたこともなかったです。」

これが今の俺から出せる最大限の答えだった。先生はそんな俺を変わらず見やる。でも、心なしか表情の優しさが増している。

「そっか……。まあ、難しいよな。一般的なことを言わせてもらうと、いい役者は、日常の動作から意識して行動したり、様々な動作を組み合わせて、いつでも同じように演じたり、感情に慣れること無く新鮮な気持ちで柔軟に演じたりができる役者だ。あとは、体が丈夫だったりすることも条件としてあるな。」

俺は深く胸を打たれた。「日常から意識していく」、「何があっても柔軟に対応する」今まで俺が色々なダメ出しの時に言われたこととほとんど同じだった。いい役者の条件は、意外と近くに転がっているんだ。俺は頭にのしかかる結論に拍子抜けして少しの間動けなかった。先生は気遣うようにしばらく無言で俺を見つめ、そしておずおずと口を開いた。

「演劇やってる中で俺が思ったこともあるけど、結構似たようなこと言ってる人一杯いるんだよな。意外と真理は共通してるのかもしれんな。聞いて驚いたかもしれない。意外と一つ一つの条件は大きな物では無いけど、いろんな要素を全部兼ね備えた役者は中々いない。自分の周りをちょっと考えてみて。」

俺は演劇部の先輩のことを思い浮かべた。健太先輩は柔軟性が強く、どんな役でもこなしてしまう。そのため、一人で二役などやる芝居も多い。アドリブも非常にうまい。日常的に意識しているのかというとよく分からないが。由香里先輩は、いつでも台本を読んでいるような意識があったり、たまに役の時の動きで部活をしていることもある。でも、俺と同様とっさの変更が苦手みたいだ……。他の先輩も考えたが、全て満たしているような先輩はいなかった。やっぱり、演劇部の先輩と言えども、「いい役者の条件」を完全に満たしていることはとても難しいみたいだ。思考の海から浮き上がった俺は先生に言葉を返す。

「確かに、いくら演劇部の先輩でも、全部を満たしてる人は中々いないですね。」

「そうだろ? 俳優とか、その道でプロになろうと思ったらすべてが必要かもしれないけど、2つ兼ね備えてたら俺はすごいと思う。何より、こういうことは努力で補えるところもある。」 

不意に先生の目からまた優しさが薄れ、厳しい物が戻ってきた。 

「でも、国之。悪いけど、今のお前がこの条件を一つでも備えてるとは俺は思えない。健太も言ってたけど、国之はあんまり役者として器用な感じじゃない。だから多分一つのことを言われると前のことを忘れちゃったりして今日みたいになるんだろう。見てのところ、各練習の時も出来も結構不安定だし、言われるまで日常から意識したりっていう行動も無かった。自覚も足りないんだ。最初にも言ったけど、お前は今回の芝居の主役なんだぞ。主役にはさっき言った条件がより多く求められる。」

自覚が足りない。その言葉に、俺はかなりの無力感を感じた。俺は柿田の役が決まってから台本を四六時中読むなど、ある程度の努力はしてきたつもりだ。しかし、今日の演技のクオリティーがその足りなさを如実に表しているのだ。俺は思わずうなだれる。

「しかもそういう条件は、基礎的なことができて初めて問題になることだ。国之、お前は基礎ができてると言えるか? 」

基礎ストレッチ、発声、筋トレ。俺は今までの基礎を思い出したが、決して褒められた出来では無かった。中でも、基礎の基礎である発声については、未だに滑舌や発声の仕方などで注意されるレベルだ。確かに、基礎は論外だと言われても仕方ない。。しかももうすぐ2年生になり、後輩ができるだろうに。俺は増してくる絶望感でさらに肩を落とす。

 不意に肩に手が置かれた。見上げると、先生が俺をいつもに増してまっすぐ見据えていた。

「色々言ったけど、要は自覚を持って努力すれば変えられるんだ。今からでもいいから一つ一つ身につけて行ってくれよ。先輩にもなるんだし、きっとそういう先輩に後輩も惹かれるんだ。頑張れ、柿田。」

「はい、ありがとうございます!! 」

「あ、いい役者の条件1つだけ言ってないの思い出した。」

「え? なんですか? 」

俺は少し光を取り戻した目で先生を見つめる。先生は口を笑みの形にしてそれに応えてくれた。

「それはな、国之。何よりも演じることを楽しむことだ。当たり前かもしれないけど、それが根底に無いと中々向上心も湧いてこないかもしれないし、俺が知ってるうまい人たちはみんなそれぞれやってる芝居が好きだ。俺はお前のクリスマス公演の頑張りを知ってるし、今でもそのことたまに思い出して言ってるだろ? ってことは、そんだけ好きなんだ。今回の柿田役でも、ミーティングの時に見る顔と目が輝いてて、好きなんだなって思った。いつでも台本持ってるしな。お前の強みは何よりも芝居を好きになれるところにあると思う。それが言いたかったんだ。励めよ、国之! 」

俺は驚いた。顔が輝いてるなんて想像もしてなかったし、よく見ているんだなと先生に感謝と尊敬の念を感じ、さっきの憤りが急に情けなく思えた。

「ありがとうございます!! 柿田、明日からも頑張ります!! よろしくお願いします!! 」

「おう!! 」

頭の上から降る声と共に、肩の手に大きく力が込められ、軽く叩かれた。いい役者とは何か。また一つの勉強ができたことを喜びながら俺は職員室を後にした。先生はいつもどおりの安心感のある足取りで部室に戻っていった。帰り道、俺は台本を片手に、柿田の性格、普段の動きなどを台本に書きつけ、それを意識しながら帰ることにする。LINEのユーザー名も、「国之(柿田光輝)」に変え、意識を持って歩いていこうとする俺。そんな俺のスマホが小さく震えた。どうやらLINEの着信だ。 

「ごめんなさい、自分史(じぶんし)、キャストも決まったんで背景設定色々書いてください。提出は10日にお願いします!! 」

演劇部の部活グループ、そこに投稿されていたのは奏先輩からのメッセージだ。自分の演じる役の設定などを書いていき、役のイメージなどを固めるのに大きく使えるこの自分史。俺も全く存在を忘れてしまっていていた。しかし、これほど良いタイミングはない。俺は心の中で快哉を叫びながら足を早めて歩き続ける。心なしか頬も紅潮している。明日はセリフを覚える期限の前日。そのことも頭に入れつつ、セリフと動きを一体化させながら俺は帰っていく。頭の中ではセリフが整理されるとともに、柿田の幼少期からのストーリーが少しずつ組まれていく。いつの間にか俺は台本を読みながら二宮金次郎像の如く歩いていた。事情を知らない人にはさぞ滑稽に見えたろう。

 曇天。厚い雲の下からは、天上の晴天など想像もできないが、きっと雲の向こうからは変わらぬ太陽が世界を照らしていることだろう。今日も嬉しさと達成感、心地よい疲れとともに一日を終えることができた。しかし、やはり公演直前の安寧は長続きしない。演劇部の有為天変は、翌日も終わることは無かった。

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