第13話 それぞれの未来

 その日、4月5日の部活は静かに始まった。小道具は完全に集まり、分類も済んでいる。大道具も昨日色の一度塗りが終わり、今日二度目、そして明後日にはニスを塗ることになっていた。しかし、そんな予定を全部頭からふっ飛ばす言葉が、最初のミーティングで奏先輩の口から発せられた。

「今日はセリフ入れの期限日前日ですが、皆さんからアイデアを頂いてセリフや構成を少しいじりました。今日はそれでやってもらいたいです。」 

衝撃。頭にあの日以来の鈍痛と重さが加わる。今まで覚えてきたものは何だったのか。そんな徒労感が少し胸を逆撫でる。そうだ。今言われてみれば今までも色々と演出替えについて話していたことがあったな。しかも、昨日もその前も奏先輩の元へはたくさんの人が集まっていた。俺は雑談では無いかと特に関心なく見過ごしていたが、本当はそうではなく、台本の改定案の提案だったようだ。また例によって狼狽し、固まってしまった。

「台本の改変をお願いします。差し替えの場所は……」

奏先輩が台本の変更点を言っていく。そこまで多くもなく、重要性が大きいところの改変もあったが、何とかなりそうだった。しかし、俺の心には台本の改変があるという事実、覚えなくてはならないという重荷がのしかかっていた。健太先輩、由香里先輩を始め、キャストはみんなこのことをわかっているようで、動揺した素振りは一切見られない。分かっていないのは、俺だけだ。非常な孤独感と喪失感を感じる。足元が揺らぐ。一人でフリーズしている俺を尻目にミーティングは進んでいく。気がつくとミーティングは終わり、すでに返しを始める体制に入っていた。

「取り敢えず、冒頭から変わったところを中心に返していきます。役者準備いいですか? 行きまーっせい! 」

乾いた手の音と共に今日も練習が始まる。先程の動揺と硬直が残る俺は、変わった所だけでなく、変わっていない所の演技すらろくに出来ない壊滅的な出来だった。声が思い通りに出ず、舌も回ってこない。程なくして、乾いた手が叩かれる。

「はい。うーん、変わったところはあるにしても、国之、ちょっと忘れ過ぎじゃない? 変わってばっかりできついところはあるかもしれないけど、だからといって一旦覚えたところまで忘れないように。健太は、何とかいい感じにできてると思う。変わったところはじゃあ、もう一回行きます。」

懸命に奏先輩は言葉を選んでいる様子だった。その様子が申し訳なくもあり、役者として情けなかった。俺は、せめて前の演技は取り戻そうと意識し、2回目の返しへ挑む。

「準備いいですか?いきまーすっせい! 」

奏先輩の声が響く。今度は、動きは相変わらず固いものの、何とかある程度改変前の感覚を戻すことが出来たがと思った。しかし、現実は非情だ。手を叩き、練習を止めた奏先輩の眼光は、先程よりもさらに鋭く思えた。

「国之、君は主役なんだよ。そんな気の抜けた演技じゃだめだよね? さっきより動きは柔らかいかもしれないけど、逆に気持ちが入ってない。」

確かに先輩の言うとおりだった。動きを意識しすぎるあまり気持ちが抜けてしまい、声にいつもの没入感が無いと、自分でも感じていた。それに、健太先輩も続く。

「国之、多分、意識しすぎても、意識しなさ過ぎてもいけない。確かに、普通は動く時に意識しながらやるのかもしれない。でも、お前は不器用だ。その場で動きを考えながら思い出しながらやるんじゃなくて、今こういう時にきちんと覚えておいて、やる時は意識を薄めてある程度自然にすれば、気持ちも入りやすいんじゃないか? あとは、日頃から役としての動きを意識しながら生活すると、動きも自然になりやすいぞ。」 

「ありがとうございます。もう少しその意識を強く持っていこうと思います。」

「おう! がんばれよ! 」

「あ、健太はさっきの感じでお願い。それじゃ配置ついてください。いきまーすっせい! 」

もうこれで同じシーン、同じようなダメを3度くり返すことになる。奏先輩は5回目に手を止めた後、とうとう次のシーンに進んでしまった。次はあまり変化したところがなかったため、あまり詰まることなく進めた。あまり一つのところにはまってはいられないということなんだろうが、前の部分を完璧に詰めずに次へ行くのはとても不安だった。その後のシーンは変更点も少なく、特に問題は無く進んでいった。しかし、冒頭を始めとする改変の大きかったシーンは、何度繰り返しても良くなる気配は見られなかった。セリフ入れ期限の前日に起きた大きな嵐、それは主演である俺のスランプ、ダメを回収して整理できないというものだった。台本の変更を知らなかった自分の、個人の問題である上、練習不足が否めない。でも、個人の問題で何とかなる以上、俺がなんとかできれば嵐は過ぎ去る。

「国之、家とかでも練習したほうがいいよ。だいぶそれでなんとかできることもあると思うから。」

そうしたいのは山々だが、家でははっきり言って練習する時間は皆無だ。そもそも練習しようとすると家族の怒号が飛んでくる。でも、やるしかない。

「わかりました! 」

その後も練習は繰り返されたが、スランプを解消しきれないまま部活は終わった。大道具に関しては、空いている人がやってくれていたようで、2度塗りまで終わっていた。なんとか道具の方も滞り無く進んでいるようだ。

「集合!! 」

ミーティングが始まり、俺は大道具のことへのお礼を言い、劇の進行をとどめてしまったことを侘びた。これからでも練習して行かなければ。

 ミーティングが終わってから、俺は清水先生に呼ばれた。

「国之、ちょっといい? 」

「はい。なんですか? 」

「ついてきて」

ミーティング終了後、どんよりと曇ってしまった空を背に、清水先生が向かったのはいつもの職員室だった。

「国之、さっきまでの話は奏から聞いてる。返しを見てて思ったけど、やっぱり主役だからちゃんと気持ちのこもった演技が欲しいね。はっきり言って、今のままじゃお客さんに見せられない。」

「はい……」

「俺からも色々と言いたいことがあって、それを言おうと思って今日は呼んだんだ。まず一つ。国之は、演じるってどういうことだと思う? 」

「なんでしょう……その人になりきって何かを伝えること…?」

清水先生は俺を優しい目で見て、こう言った。

「俺はこう思うんだ、国之。演じるっていうのは、何かを伝える事もそうかもしれないけど、それ以上に大事なのは、その役の人生の一端を演じさせてもらってるって意識なんだと。」

俺は衝撃を受けた。こんなことは考えたこともなかった。先生は続ける。

「だから、健太が言ってたように、日常からその人ならどう動くかって考えながら動くのはほんとに大事なことだと思う。」

「はい!! 僕、そんなこと考えたことも無かったので目が覚めた感じです!! ありがとうございます!! 意識します!! 」

それはもちろんそうしようと思っている。俺は大きくうなずいた。

「と言っても、俺も人から聞いたことの受け売りなんだけどな。自分でいいと思って信条にしてる。」

先生はこっちの瞳を避けるように顔を背け、バツが悪そうに笑った。でも、急にまた真面目な顔になって、

「明日辺りにみんなにも言おうと思うんだけどさ、国之、いい役者の条件って何だと思う? 」

俺は当然思考に沈んで固まり、中々答えは出そうに無かった。先生はそんな俺を、試すような好奇の表情と慈しむような優しい表情が混ざった顔でずっと眺めている。答えを待つ先生の顔は、心なしか輝いて見えた。

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