第1話 予期せぬ悲報

 煩わしい春季講習、その授業を終えたある日。別れは、突然にやってきた。それは、3月27日の部活、そのミーティングの時だった。いつものように、部長の号令で皆が集まり、円形となる。それを少し外れたところの顧問・清水(しみず)先生が、9人の部員を見渡して口を開く。

「幹彦(みきひこ)のことだけど……」

清水先生が告げたのは、ここ3ヶ月程部活に来ていない一人の部員、そして俺のかけがえのない友の名前だった。周りの雰囲気が張り詰めるのを感じた。

「君津幹彦(きみつ みきひこ)君は、この3月をもって、演劇部を退部し、転学することになった。」

 いつもは優しく、慈愛にあふれている先生の声が、このときに限っては鋭い刃のように聞こえて俺の胸に刺さった。他の部員達も驚いているのだろうか。押し黙って先生の言葉を待っているように思えた。

「え……?」

感情の乗ったうめきがつい口から漏れる。不本意ながら注目を集めてしまった。幹彦とは1年間ずっと演劇部として活動してきた。特に何も変な素振りは無かったのに。そして、これからの2年間もあの仲間思いで優しくて、人一倍真面目なあいつと舞台を作っていけると思っていたのに。完全に収拾がつかなくなった俺は、とにかく手にしていたノートに大きく「幹彦 転学」と書き込んだ。書くことで現実を少しでも受け止め、落ち着くために。しかし、落ち着きたい思いとは裏腹にその言葉で気持ちがどんどん増幅されるようだった。

 どれほどの時間が経ったろうか。いや、精神がおかしくなって長く感じただけかもしれない。混乱していた俺の耳にまた、先生の言葉が飛び込んできた。

「皆には何も言わなかったみたいで、先生も正直完全に理解できてるわけじゃない。だけど、もう幹彦は演劇部でも、うちの生徒でも無くなる。今のうちに手続きをして移らないと、新しい学校でみんなと同じ学年で卒業できなくなっちゃうみたいなんだ。あいつがこれからの将来のことを考えた決断でもあるから尊重しないといけないと思う。」

そんなことは頭ではわかってる。でも、やっぱり心がついていかない。

「本人も、俺の質問にポツポツ答えるだけだったし、あまり詮索することじゃないな。しかも実は、新歓も幹彦抜きでやることになるんだ………」

そうだ、新歓もあるんだ。そんな絶望的な現実を突き付けられ、俺はうなだれるしか無かった。もっともっと幹彦と話しておけば良かった。もっと思い出を作りたかった。まだまだ幹彦と芝居ができると思っていた。クラスが別々で遠いとはいえもっとたくさん話す機会も作れたはずだ。後悔と失意で部室の床の木目が歪んで見えた。教室の端、ホワイトボードに貼られたネームプレートの「君津 幹彦」の文字がやけに切なく俺の目を焼き、心に杭を刺す。

 いつの間にかミーティングは終わっていたが、悲しいことに俺は日誌の当番に当たっていた。どんよりとした気持ちを日誌に書きつけ、机に突っ伏してまた現実に愕然とする。部室からは中々出られそうに無かった。先に帰っていくみんなの、心配そうな瞳が少し辛く、申し訳なかった。

「国之(くにゆき)、1番幹彦と仲が良かったから辛いのはわかる。でも、今は一旦帰って少し落ち着いた方がいい。部室閉めるぞ。あ、日誌よろしくな。」

言いながら肩をさする清水先生の声に小さくうなずき、俺は受け止めきれない現実を引きずりながら部室を出た。

 部室を出て、トボトボと廊下を歩く。職員室と生徒玄関との分かれ道。ひとまずは学校を出ていこうと先生に別れを告げる。

「先生、今日は色々とごめんなさい。ありがとうございました。お疲れ様でした!! 」

そう言って日誌を渡す。

「国之、お疲れさん。」

そう言って、先生は日誌を受け取り、職員室へ歩き出した。俺も倣って帰ろうとする。

 「国之!」

ふと呼び止められた。

「ぱぁふぇくと!」

振り返ると、清水先生はサムズアップと共にぎこちない笑顔を見せた。まずは驚きが先行したが、じきに動揺が取って代わった。それは、あいつがやっていたそれには程遠く、でも今の俺の心を深々と抉った。嗚咽が漏れ、思わず下を向く。今の俺にこれ以上の仕打ちは無い。いつもの先生から、今日は気遣いすらも欠落してしまっているようだった。背を向けて歩き出す。

「すまん、じゃあな」

先生は申し訳なさそうに少し頭を下げていた。俺を少しでも元気づけようとしてくれたのだろうか。その好意が痛く、ありがたかった。

「さようなら」

 俺は涙をこらえてそれだけ言うと、今度こそ校舎を出た。残念ながら、先生の厚意も今の俺には逆効果のようだ。校門の前で止まり、スマホを開く。既読のつかない幹彦とのラインを出し、「改めて今までありがとう。お疲れ様」と綴った。届くことはなくても言いたかった。大きくため息をついてから最寄り駅へと歩き出す。夕焼けの時間だが空はどんよりと曇り、夕日は欠片も見えない。かろうじて残った夕日の残り火が、周りの風景をぼんやりと照らしている。街は静かに夜を待っている。 

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