第2話 思いは彷徨う

 衝撃の悲報を聞いた帰り、俺は1人、最寄り駅への10分ほどの道を歩いていた。相変わらず空はどんよりと曇り、夕陽は欠片も見えない。頭が重い。顔を上げられず、下を向いたまま半ば機械的に歩き続ける。時折跳ねる雪解け水と風の冷たさが、かろうじて現実を認識させていた。どうやら人間は受け入れがたい事実を目の前にすると脳が拒否するらしい。なぜもっと幹彦と演劇を楽しもうとしなかったのか。もっともっと一緒に舞台を作りたかった。消えることのない思いが脳を支配している。考えてももう仕方ないが、考えずにはいられない。

 いつの間にか駅に着いていた。改札口から漂う人いきれの匂いで現在地を思い出す。いつもはにぎやかな部員達と集まるこの駅も、一人では如何せん寂しかった。次の列車まではしばらく時間がある。幹彦のことを誰かに話したかった。人恋しくなった俺はとりあえず傍らのベンチに腰掛けた。先輩や同輩ももういないであろう時間。無限に感じられる時間が流れる。俺は幹彦を思いながら淡々と列車を待っていた。

 「あれ? 国之? お疲れ様」

「あ、由香里(ゆかり)先輩……」

俺を思考から引き戻したのは、部長・十河由香里(そごう ゆかり)の声だった。彼女はいつの間にか俺と同じベンチに座っていた。いつも優しく振る舞い、前から色々と愚痴を聞いてくれていた先輩の登場で、俺は少し前を向くことができた。

「え? 由香里先輩帰ったんじゃなかったんですか? 」

「帰ろうとはしたんだけど、ちょっと電車乗り逃しちゃってさ。」

言われてみれば、確かに先輩の方面は極端に本数が少ない。

「そうでしたか。やっぱ本数少ないと大変ですよね。」

もどかしい。幹彦のことを話したいという思いが募っていくのが自分でもありありとわかった。

「国之も色々と大変だね……特に今日は。お疲れ様。」

「色々と」の中には恐らく幹彦のことも含まれてるんだろう。由香里先輩ならきっと聞いてくれる。ぱっと目の前が明るくなった。

「ありがとうございます。あの……先輩、やっぱり僕、もっと幹彦といたかったです。演劇部でもっと思い出を作って……」

「あ、ごめん」

俺の告白は、何故か先輩によって遮られた。いつもの先輩ならきっとこんなことはしない……。ようやく差し伸べられた蜘蛛の糸が直前で切られてしまった。暗澹とした気持ちになる。 

「ごめんね。もう私の電車来るから、そろそろ行くね。ホントにお疲れ様。また明日ね。」

先輩はそう言って申し訳なさそうに頭をかくと、俺の肩をポンと叩いて去っていった。この時ほど先輩にすがりたくなったことは無いが、時間も無いのにこっちのわがままをいつまでも聞いてもらうわけにはいかない。とにかく、見捨てられてはいないことに俺は凄まじい安堵を感じた。

あと5分ほどで電車が来る。俺はホームに出ようと、改札にICカードをかざそうとした。

 その途端、俺はまたも呼び止められた。

「国之! 」

突然の声。声の主は小宮克己(こみや かつみ)先輩のようだ。俺と正反対の性格で、あまり感情を表に出さず、話し合いでも最後に一言場を収める意見を言う以外は発言しない。普段はスタッフ専門でやっている音響のスペシャリストで、部員からの信頼は厚い。俺はこの先輩に密かに憧れているが、正直言ってあまり得意な方ではない。先輩は駅の入口に立っていて、駅の照明の影が彼の長身を一層大きく見せていた。俺は思わず手を止めて向き直る。

「あれ、克己先輩、ここで何してたんですか? 結構遅い時間ですけど」

「いや、塾だ。思ったより早く終わったから一本早く乗ろうと思って」

抑揚の少ない平坦な声で先輩が答える。

「で、国之。」

そう言うが早いか、先輩はすぐそばに歩み寄ってきた。根は優しいはずだが、至近距離まで来られると威圧感すら感じる。

「申し訳ないが、たまたまお前と由香里の会話を聞かせてもらった。もっと自分を抑えた方がいいぞ。お前が一番辛いのはわかるけど、2年生も辛いのは同じはずだ。自分が一番辛いからと言っていつまでも人に甘えてる訳にはいかないだろ? 出来るだけいつもどおり、心配させないように振る舞うんだ。多分苦しいと思う。でもこの辛さを乗り越えられれば今のお前みたいな人を救えるようになるはずなんだ。……そもそも、なんでそこまで幹彦にこだわるんだ? 」

言われた瞬間、俺は完全に意表をつかれていた。「2年生も辛いのは同じ」という言葉が頭を回る。とにかく、眼前の質問に答えよう。幹彦への思いを整理しながら、俺はおずおずと口を開いた。

「それは……多分まず幹彦がとても大事な、本当に大事な仲間だからです。あいつは僕のことをずっと支えてくれました。だから、僕もあいつを支えられるようにと色々とやってきました。それがいつからか、お互いの信頼になって、こんなにも惜しむようになったんじゃないかと思います。……とにかく、僕はまだあいつを失いたくないみたいです。」

言い終わり、俺は再びうつむいてしまった。

「そっか……まぁ、色々と頑張れよ」

硬直した俺を小さく励ますように叩き、先輩はスマホで音楽を聞き出した。イヤホーンからオルゴールの音が漏れ聞こえる。

 帰らなくては。今日何度目かの硬直から先輩のおかげで解放された俺は、感謝と別れを告げ、足早にホームへと向かった。ホームを吹きすさぶ寒風が肌に痛い。ここに来て少しわかった気がした。いや、他でもない克己先輩に気付かされた。辛いのは俺だけじゃない。俺は甘えていた。俺は5分遅れでやってきた列車に乗り込み、家に向かった。ずっと「2年生も辛いのは同じはずだ」という克己先輩の言葉が離れなかった。幹彦への後悔と、誰かに聞いてもらいたい思い、そして先輩の言葉との間で、俺はやじろべえのように揺れ、堂々巡りを繰り返していた。後悔を聞いてもらいたい、でも、甘えすぎてはいけない。列車の走行音だけが俺の心に響いていた。

 家に帰っても、頭は鈍痛と倦怠感に支配され、脳は幹彦と先輩の言葉で一杯だった。勉強なんてできる状態じゃない。重い頭はまだ思案に揺れ、家の壁が時折揺れて見える。

 瞬間、俺は閃いた。堂々巡りを打開する案を。甘えになるかもしれない、いや、甘えになってしまうだろう。だがせめてこの一回で済ませよう。由香里先輩と克己先輩への罪悪感を抱えながら俺はスマホに手を伸ばした。心臓は高鳴り、部屋の明かりが一層明るく俺を照らしていた。

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