第3話 絶望の淵の約束
俺は高鳴る鼓動と共にスマホを取った。電源を入れる。手が痙攣するように震えている。震える指は、違うことなくその人の番号を押した。俺の目的は1つ。この人に今の状況と自分の心情を説明し、2年生も辛いのかどうかなども聞いて、自分が少しでも安心することだ。同時にこれはその人への大きな甘えでもある。しかし、これが今の俺に出来る妥協の限界だった。俺の性格上、残念ながら誰かに話さない限りきっと俺の気は晴れない。だから、言いつけを破ることになる克己先輩へも、これから話して迷惑をかけることになるその人へも申し訳なさを感じていたのだ。
程なくして、画面に「十河 由香里」と表示され、耳にか細い通信音が響く。頼む。出てくれ……祈るような気持ちで俺はつぶやく。その音はすぐに呼び出し音に変わる。いつの間にか心臓の音が呼び出し音を凌駕している。きっちり5コール目、
「はい、十河です」
いつもの優しげな由香里先輩の声が聞こえた。俺はふっと息を吐き、まずは安心する。完全にモノクロだった世界に少し彩りが戻ってきた。
「もしもし」
「もしもし、あ、国之!!こんな時間にどうしたの? 」
そういえば、時計はもう夜9時を指している。時間が遅いことに対する申し訳なさも感じながら俺は答えた。
「由香里先輩、夜遅くにごめんなさい。あと……ちょっと話したいことがあるんですけど」
「いいよ。どうしたの?」
やっぱり、この先輩ならちゃんと受け止めてくれる。愛着と信頼を感じ、気持ちがまた暖かくなってくる。
「あの、幹彦のことで色々と聞いてもらいたくって……」
聞いてもらうという言葉自体、相手に甘えてるような気がしたが、もう後には引けない。たとえ引けたとしても俺の心が無事ではないだろう。
「あ、幹彦のことね。さっきは途中で終わっちゃったもんね。いいよ。何でも聞くよ。」
なんでも聞くよ。この全面的な受容の言葉を待っていたかのように、俺の口は意志とは半ば無関係に言葉を紡ぎ始めた。
「僕……僕やっぱりまだまだ幹彦と一緒にいたかったです。あいつは友達としても部活の仲間としても本当に最高で、……せめてあと1年……あと1年は一緒に舞台を作っていけると思ってた。まだまだあいつといろんなことをして、思い出を作って、高校生活を楽しんで行けるんだと思ってました! それがこんな……」
口はとぎれとぎれながらも言葉を溢れさせ、言うたびに思わず幹彦を思い出して胸が痛んだ。いつしか俺はしゃくりあげ、嗚咽していた。
「もっともっと、あいつと一緒にいろんな物を見たかった! ……作りたかった! ごめんなさい、きっとまだ受け止めきれて無いんです……。」
先輩は何も言わず、黙って話を聞いてくれていた。電話の向こうの沈黙がこの上なく暖かい物に感じられた。詰まるところ、俺は幹彦を現実に奪われる理不尽さに耐えられず、やり場の無い怒りを抱えているのだけかもしれない。泣きながらひたすらに語るうちに頭の芯まで熱くなり、鈍痛とめまいはさらにその程度を増した。このままでは俺はまた由香里先輩の優しさに甘え切ってしまう。8割方冷静さを失った頭でそう思い、本題に入ることにした。
「由香里先輩、ありがとうございます。先輩のおかげで少し心の整理がついた気がします。聞いていただいてありがとうございました。最後に1つだけ質問いいですか? 」
「どした? 」
「あの僕、克己先輩に言われたんです。お前が1番辛いのはわかるけど、2年生だって辛いのは同じはずだからその話は2年生には振るなって。先輩は正直なところ、今回のことでどう思ってますか……? 」
その言葉の先にあったのは先輩の長い、長い沈黙だった。よほど考え、言葉を選んでくれているのだろう。俺はその永遠にも思える時間をひたすらに待った。
「国之、確かに辛いのはみんな一緒だよ。幹彦と1年しか一緒にいなかった私や、きっと克己にも幹彦との思い出はある。絶対に。私だって、聞いたときはびっくりした。でも、だからと言って話を振るなって言うのは私は違うと思う。辛いけど、その思い出の中ではいつでも幹彦はこの去山(さりやま)高校演劇部の一員なんだよ。話をし合うことで、いつまでも彼はうちの部員でいられる。話をしなかったら、記憶は自然に風化して忘れ去られちゃう。だから、繋いでおくためにも、辛くても思い出や、幹彦への思いを話し合うのは必要だと思う。まぁ、他の部員は駄目かもしれないけど、私で良かったらいつでも話を聞くよ。」
その言葉に、俺は目を見張った。「消さないために話す」これは俺の思っても見ない観点から出た、まさに救いの手だった。
「そうだ国之、1つ昔話をしてもいいかな? 」
「え? はい……なんですか? 」
「ちょっと前、私がまだ中学2年生だったとき、吹奏楽部だったんだけど、同じパートですごく仲の良かった子が家の都合で転校することになったの。今までに無いくらい泣いたし、凄く悲しかった。ちょうど、今の国之みたいになってたと思う。そのときに部長さんが、由香里、私と約束しようって言ってくれたんだ。」
「約束……」
思わずオウム返しをしてしまう。先輩は淡々と続けた。
「部長としたのは、1ヶ月経って、時間が解決してくれるまでは寂しいって言わないって約束。言い過ぎると周りも気を遣っちゃうし、相手を心配しすぎるのは相手を信じてないことになるんだよ。さっき存在を繋ぐために話をするって言ったけど、それはあくまで楽しい会話の中での話。いつまでもメソメソしてたら、幹彦だって悲しむよ。だからさ、国之も私と約束しない? 新歓が終わるか、ちゃんと自分の中で解決して寂しくなくなるまで、もう幹彦が恋しいって言わない。どう? 」
「……はい。それでいきましょう。よろしくお願いします!! 」
「よし、じゃあよろしくね」
なんだかすごく重く、厄介な約束をしてしまったような気がした。しかし厄介さも、次の先輩の言葉で雲散霧消することになる。
「最後に、国之。高校は義務教育じゃないんだよ」
この一言で俺の心の黒雲は消し飛んだ。どうしてこんなことに気づけなかったんだろう。自分の情けなさに思わず涙が出た。
「俺……今の今まで気づきませんでした……。そうだ。高校は義務教育じゃない。だから途中で道を違えることがあるのも普通だし、違えたとしてもそれは寂しがることじゃなくて、幹彦の夢への一歩かもしれないってことですね。やっとすべて受け入れられた気がします。」
「そう! だから幹彦に胸を張れるように、国之もがんばっていこうね。約束、忘れないでね。」
「はい! ありがとうございました。」
「ゆっくり休むんだよ。明日からはキャスト回しして、順次キャストを決めてくみたいだからよろしくね。」
そう言って、電話は切れた。キャスト回し。それは台本に登場する各キャラの役を、部員が順番にローテーションでこなしていくというのもので、演劇作りの本格的なスタートを指す。俺は改めて気分が高揚し、気合が入った。気がつくと時刻は11時だった。先輩に時間を使わせた申し訳なさはあったが、俺の心は昼間の何倍も晴れやかだった。まるで夜と昼の様な差があった。見えるもの全てが輝いて見えた。ふと夜空を見ると、街明かりの中でも月がくっきりと見えた。明日は晴れそうだ。結局優しさに甘えてしまったが、俺は由香里先輩の手を借りないぐらいに強く成長してみせると心に決めて床に入った。
その夜は直前まで幹彦のことを考えていたせいか、幹彦との入部してからの思い出が夢にまで出てきた。入学したての時の新歓で、俺はその芝居の感動的なクオリティーに一発で心を奪われて入部を決めた。幹彦とはこの時から仲良くなり始めたな。新歓の2日目を見た帰り道には二人で寄り道しながら新歓の舞台の素晴らしさを語り合って帰ってたな…。そん時のあいつの目は子犬みたいに無邪気でキラキラ輝いてた。学祭ではホントにあいつにお世話になった。間違って音響のコード踏んで、克己先輩にめちゃくちゃ怒られた時なんか、しょげてる俺をずっと慰めてくれてた。支部大会前のキツイ練習でも、あいつといたから乗り越えられたな………………思い出は溢れて留まることを知らない。あいつはいつも俺の側で色々と支えてくれた。決まってニコニコと楽しそうに笑い、目を輝かせながら。感謝してもしきれないくらいだ。
最後には、大きな旅行カバンを背負い、両手一杯に荷物を持ったあいつが出てきた。きっと夢へ向けて旅立つ所なんだろう。そういえばあいつ言ってたな。「まずは国公立の有名大に行って、しっかりとそこで勉強して、将来は地質学者になりたい」って。一貫して表情は明るく、でもやっぱり少し寂しそうに俺に語りかけている。声は聞こえない。でも耳をすませば………。
もう少しで聞こえそうな所で、目覚まし時計が朝を知らせた。さぁ、今日から本格的なキャスト……出演者決めが始まる。燃えるように真っ赤な朝日と朝焼けの空、それに照らされた街並を眺め、俺は明日への一歩を踏み出した。
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