番外編①-3 輝けるようになるから

 「あのさ、ごめん、俺やっぱ一美の事好きだ……。」

公演の最後の日に国之から貰った言葉は、私を少なからず驚かせた。考えてみれば、国之にそういう素振りが無かったというわけではなかった。何より、私みたいな何も無い人を愛してくれるというのはすごく嬉しかった。でも。私にはやっぱり幹彦の方が「いい」。と思えてしまった。国之の気持ちは嬉しい、だけど、わたしはそれでも幹彦のそばにいたい……。強い西日が国之の顔をさらに照らし出す。こっちを一心に見据える彼は、今までに無いほど厳しい表情をしていた。そんな彼に向かって、最低の、拒絶の言葉を投げる。

「ごめん、私他に好きな人がいるの。だから、その、本当にごめんね。」

不思議と彼はそこまで動揺するでもなく、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。やっぱり、私は馬鹿だ。伝えるにしてももっと方法があっただろうに。言葉遣いがあっただろうに。

「ごめんね、全く嫌いってわけじゃなくて、友達として、部活仲間としては本当に好きなんだよ。だけど、恋愛対象としては、まだ見られないかな……。」

更に傷つけるかもしれないが、贖罪のためにも言っておかないと私の気が済まない。さらなる言葉を私が言おうとした時、彼のトーンの落ちた、半ば震えていると言っていい声が聞こえた。

「そりゃ、そうだよな。本当にごめんな。」

それは、完全に「諦めてしまった」声だった。まだ言いたいこと、伝えたいことはあるのに。それを聞いた私の中で、さっきまで持っていた言葉はいつの間にか消えてしまった。

「いいよ……むしろ、私にそんなこと言ってくれてありがとう。」

小さくつぶやいた声は、きっと国之には届くまい。でも、今まで通りの私でいることが部活のためになり、いつも通りの振る舞いで接することがせめてもの国之への罪滅ぼしになるなら、喜んでそうしよう。

「一旦集合します!! 」

折しも、ちょうど良く奏先輩の集合がかかった。返事とともに円弧の中へ走り寄る。口元に浮かべた微笑は、少し歪んでいるかもしれなかった。

 「お疲れ様でした!! 」

片付けが終わり、日誌が終わり、帰ってもよくなった時間。

「ごめん、今日だけは。」

心の中で美智に謝って、私は一足先に家路についた。今日に関して、今日だけは特に、いつもの部活のメンバーの中で平静を保てる自信が無かった。幹彦がおらず、国之がいるこのメンバーでは。私は駆け去った。離れるように。逃げるように。

 学校を出ると、既にもう日は落ちきっている。夕日の残光すら見えない道を、私は一人で帰っていく。部活がある日に一人になるのも随分と久しぶりだ。それだけ問題が無かったということなのだろうか。

「ごめんね、国之。」

まだ、声が謝ることを辞めようとしない。自分の心に従っただけじゃないか。そう言い訳したって、中々消えてくれることは無かった。彼をどれだけ傷つけてしまったんだろう。私の身勝手な片思いのせいで。私が幹彦を好きになったから、国之を傷つけてしまったのかもしれない。そう思うと、走り疲れてバクバクと弾む胸が更に窮屈になる。そもそも、私の恋なんて元々成就するはずなかったのだ。私と幹彦は大きく違うし、幹彦が私みたいに結局自分のことしか考えてない人間を好きになってくれるわけないじゃないか。去山駅で幹彦に告白したとき、振られたとき、幹彦の好きな人を聞いたとき。不思議とあんまり悲しくはなかった。ただ情けなく、悔しかった。あぁ、やっぱり私は幹彦に愛されるような人間じゃなかったんだなって再確認されたみたいで、悔しかった……。でも、今何ができる? 悔やんだところで何ができる? もう、彼はここにはいないのに。

「わぁーーーーーー!!!!! 」

やり場のない叫びとともに、嗚咽が漏れる。やっぱり、私は弱い。分かっていたはずなのに。こんなのだから幹彦にも愛されなくなるんだ。こんなんだから、国之の言葉をもっとちゃんと受け止められないんだ。やっぱり、幹彦……あの優しい彼と一生を過ごしたかった。もっといろんな表情とか見てみたかったし、彼のためにもっとしてあげたかった。でも、もう彼はここにはいない。一緒に生活することはおろか、一緒に部活をすることすらもう叶わない。幹彦に会いたい。今の気持ちを全部聞いてもらいたい。そんな考えがちらついたが、やっぱりそんなものはただのエゴでしかなくて。私は結局弱く、虚勢ばかり張るエゴイストだ。そんな私が、幹彦と一緒になれるって考え自体が間違ってたんだ。幹彦のことはもう忘れて、こんな事にならないように、周りのことを考えられるようにならないと……。

 人間の体というのはわからないもので、頭が納得していても体は中々納得などしてくれないようだった。諦めよう。忘れよう。そう思った途端、胸がさらにきつく締まって痛くなる。頬が紅潮し、頭も痛くなってくる。急激な気持ち悪さを感じて、私は耐えきれず立ち止まった。電柱に掴まり、なんとかこらえようとする。少し治まってきただろうか。揺れる視界の中で、よたよたと、おぼつかない足ながら私はまた歩き始めた。ふと道に落ちている反射版を見つける。それは、まるでロッカーに昨日まで貼っていた蓄光(ちっこう)のように、夕闇に落ちた街に本当に僅かな光をたたえていた。ここにいますよと訴えかけるように。暗闇の世界で、それでも、僅かな光でも、輝こうとしている。私はそれを拾い上げた。

 翌日。今日は反省会ということもあり、やはり気持ちは重かった。舞台のこと、演技のこと、反省すべき点は色々あったが、一番憂鬱なのは国之に会うことだった。会いたくないと言えば嘘になる。ただ、この状態の私を、ここまで沈み込んだ私を彼はきっと見たくないし、見せてしまえば困らせるのは明白だ。だから散々気持ちを落ち着ける方法を考えようとしたのに。気がついたら朝になってしまっていた。やっぱり、こんな私のままじゃ幹彦は振り向いてくれないね。自嘲気味のため息が漏れた。相変わらず体は重いが、まさかこんなことで学校ごと休むわけには行かない。体をなんとか動かして、学校への道を進んでいく。

 「おはよう! 一美! 一緒にお弁当食べよう。」

彼女が、美智が変わらぬ笑顔で私のもとに突入してきたのは昼休みのことだった。彼女はクラスに友達が少ないわけではない。むしろ多いほうなのに、私のところに来てくれたのは素直に嬉しかった。

「うん。いいよ。ありがとう! 」

彼女は手近な椅子を引き寄せて私のすぐそばに座った。うちのクラスはいつの間にか変にグループになっているのだが、この時だけはそれに感謝する。言うなら、今しか、彼女しかないのかもしれない。こんな感情を引きずって部活に行くわけにもいかない。

「あのさ、美智、ちょっと聞いてもらってもいいかな……。」

「ん? どうしたの? 」

彼女は笑みを心なし暖かいものに変えて、私の言葉を待ってくれた。

「いやさ、どうすれば私、幹彦にオッケーもらえたのかなって。どうすれば国之をあんなに傷つけずに済んだのかなって。やっぱり私って、自己中なのかな……。ごめんね、お昼の時間にこんな話。」

声のトーンはどんなに高めようとしてもやっぱり落ちてしまった。情けなさと申し訳なさに泣きそうになってくる。

「私、昨日国之にあんなこと言って振っちゃって、で、何でだろうって考えたら、私、やっぱりまだ幹彦のこと諦めきれてないんだろうなって気づいてさ。ほんとに…、ごめんね。」

私の惨めな長広舌を黙って聞いてくれていた美智は、一瞬、すごく引き締まった顔になって言った。

「私は、一美は自分勝手なんかじゃないと思う。もしほんとに自分勝手なら、自分が人に迷惑をかけてもこんなに反省しないでのほほんと毎日を過ごしてるはず。自分が迷惑をかけたってこんなに後悔することなんて無いよ。それに、私は一美が自分勝手だって言って貶めてきた言動で何度も救われてきてるの。一美が自分を自分勝手だって言うのは、私が許さない! 」

「美智……。」

感嘆と驚愕で情けない声が漏れた。我慢しても、涙はどんどんとこぼれてくる。美智はまた言い続けた。

「国之についてはさ、もし仮に、昨日一美がオーケーしたことを考えてみようよ。もしオーケーしてたとしても、それは断ると国之に申し訳ないからとかそういう理由になってくるわけでしょ? それで、付き合ったとしてさ、一美。」

真剣味をさらに深めて、美智は私に詰め寄るように声を発する。

「友達としては好きだけど恋人としては見られない人に、いつまで恋人のふりをしていられる? 」

「ふりをする」。気味の悪さに、私の胸は思わず竦んだ。 

「だってそうでしょ? 本心から恋人になってない以上、気遣いでオーケーを出しちゃった以上、そこからの恋人としての行動は全部演技になる。いくら演劇部で感情と動きの関係をやったりしたからって、精神的にも技術的にもボロが出るのはそう遅くない時期だと思うのね。そして、それは確実に、嘘をつかれていたという点で余計に相手を傷つけることになりかねないの……。だから、君の判断は間違ってないんだよ。本心に従って正解なの。」

また泣き出してしまった私を、美智は優しく撫でてくれた。

「それにね、幹彦のことは、あれはもうしょうがない。悪いけど、どんなに一美が変わろうと、きっと幹彦は国之のことが好きだったと思うのね。幹彦は多分、国之の存在自体を心の底から愛してる。それこそ、生まれてきてくれて良かったって感じで。だから、多分どうしようもなかったのかなって感じはする。」

「そっか……。」

思わず肩を落とす私に、美智はいたずらっ子のようにささやきを加えた。

「それにね、一美、まだ、諦めるには早いよ。」

「え……? 振られたからもう無理じゃないの? どういうこと? 」

「まだ幹彦と国之がゴールインしたわけじゃないってことよ。これから幹彦にも色々あるとも思う。あって話す機会はあるかわかんないけど、ラインとかだってあるし。その時には、話を聞いてあげられるんじゃないかな。ねぇ、一美、あなたは幹彦にとっての特別な人になりたいの? 」

たしかに、それはそうだ。私だけを見ていてと思ったことも、少なからずある。

「うん。そりゃまぁ……。」

「それなら、この方法ならなれるよ! 幹彦の特別な人に。」

え。笑顔ですすめる美智に、私も釣られて笑顔になる。

「この方法だと、たしかに一美が幹彦の恋人っていう特別な存在にはなれないかもしれない。だけど、大事な大事な相談役っていうかけがえのない特別な存在になるんだよ。パートナーに言えないことだって、相談役の一美になら話してくれるかもしれないよ? そうなったら万々歳じゃない!」

相談役という特別。一気に胸の靄が晴れた気がした。それなら、まだなれる。高揚と気持ちを抑えられず美智に飛びつく。

「ありがとう!! 美智! ほんとにものすごく心が晴れた……。もう、多分あんな風に悩むこともきっとない。本当にありがとう!! 」

「こっちこそ、話してくれて嬉しかったよ。それに、今日ここに来た目的は一美と話すことだったからさ。昨日相当きつそうだったし。」

どうやら彼女は私の本心をすっかり見透かした上でここに来たらしい。全く。改めて美智には敵わない。

「ねぇ、なんでそんなに私の気持ちわかるの!! ねぇ! ねぇ! 」

「乙女の秘密ですー。」

私の質問をサラリと受け流すと、返す刀で彼女は言った。 

「それじゃ、今日もよろしくね。」

「うん!! 」

大好きな部活仲間と一緒に弁当を食べ、談笑する。普通の楽しみが、また戻ってきた。部活は、憂鬱なものからいつもどおり楽しいものに変わっていた。これも全部、美智のおかげだ。

「美智、部活仲間としてだけど、私、美智のこと大好きよ。」

「え? なんか言ったー? 」

「いやー、なんでーもなーい。」

急に恥ずかしさが襲い、私は目を伏せた。 

 教室の隅で笑い合う二人の女子を、雲量0の空から太陽が見下ろしていた。どこまでも暖かく、光が注がれる。

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