第6話 あの日々の記憶
俺は演劇部の6人と共にほぼ日の暮れた街を駅へと歩いている。いつもならこのメンバーでいる時は楽しくないはずがない。しかし俺は演劇部に入って以来感じたことの無い孤独感といづらさを感じていた。いつもは温厚な仲間が初めてまともに喧嘩するのを見たのだ。それで受けた衝撃と各自の思いのせいか、俺含めみんな黙ってしまった。1年生だけでなく2年生までこの状況であることから、2年生もこういう経験は初なのかもしれない。俺は耐え、黙って歩くしかなかった。
いつもの最寄り駅に着いても、簡単に様子が変わるものではなかった。俺はせめて何か言っておこうと、帰り際に
「お疲れさまでした」
と声を上げた。しかし、誰も応じる者はなく、俺の声は大気に虚しく響いた。たまらなく悲しくなり、俺は滑り込んできた列車で急ぎ家に帰った。
家に帰ったが、依然として脳を支配するのは違和感と孤独感だった。一昨日以来の倦怠感と頭の鈍痛も顔を出している。俺は近場の椅子に座り、とにかく何か部活のことをしようと俺はファイルに手を伸ばした。小道具のリストは既に完成している。見たところ、演出部で考えた台本でも、柳田さんの原作でも小道具の大きな変更はなかった。作るにしても家には材料が無いし、募集している道具も東田家には無いものばかりだった。小道具リストの更新はいらないか。台本を読むにしても台本の方向性がまだ固まりきっていないから読んでもという感じだ。つまり、今の俺が部活に貢献できることは何もない。その仕事が出来ないと断定していくたびにやりきれなさともどかしさ、罪悪感に襲われる。俺はどうやらここまで来ても部活から離れられないらしい。
突如、閃いた。この時間に、幹彦のことを整理してしまおう。由香里先輩と清水先生の二人に言われてまでまだ引きずってしまっている自分が少し情けなかったし、明日以降の部活は今日以上に喧々諤々だろう。何より、これから新歓に向けて一つになろうとしているみんなの足を引っ張るわけにはいかない。そう。悲しみは今日ここで切るんだ。由香里先輩との約束を改めて思い出した。
俺はその決意を胸にペンを取り、まずは一昨日のことも思い出しながら幹彦への今の気持ちを改めて考えようと思い出を回想する。情景がスライドショーのように浮かんでくる。俺は一つずつその光景を書き留める。天井からの白熱灯の光だけが安定した明るさを運んでいた。
初めてあいつに会ったのは……確か去年の新歓の時だったか。入学したばかりの俺達は、演劇部の部室で出会った。部活見学初日、部室の廊下側に並べれられた椅子に座り、後の先輩の新歓の稽古を夢中で眺めていた。先輩達の演技の凄まじいリアリティー、そして白熱さに心を奪われた。どうやらそれは幹彦も同じだったようで、
「由香里先輩!! その表情なんですか!? ホントの先生そっくりじゃないですか!! 」
「健太先輩!! もしかしてそれも演技ですか!? わざと下手にする演技が出来るなんて本当にすごいです!! 」
二人して先輩の一挙手一投足に驚嘆し、声を上げ続けた。その日、俺たちは自己紹介をし合い、一緒に入部届けを出しに行った。幹彦は演劇に元々興味があったから、俺は純粋に練習に感動しての入部決定だった。新歓本番でもその熱は冷めることが無く、一日目は先輩方の演技の凄さについて、二日目は脚本の伏線やその回収などについて、公演後に二人で語り合っていた。二日目は公演後だけでは飽き足らず、帰りに俺の提案で公園に寄り道してさらに2時間語り合った。あいつは嫌な顔一つせず、目を輝かせて話を聞いてくれていた。新歓が終わって初めての部活。ここで今の先輩達や、同輩の小野一美(おの かずみ)、赤田美智(あかた みち)と知り合った。この頃の俺の未来は希望しか見えなかった。幹彦とはクラスが端端だったが本当に仲が良く、時にクラスメイトにはホモと馬鹿にされたが、その頃の俺たちは気にも留めなかった。最初、俺もあいつの人となりを良くわかっていなかったが、次第にあいつが繊細だが素直で、相手の気持ちになれるすごく優しいやつだと分かってきた。そうして、俺の中にあいつへの敬意と信頼と愛着が芽生えてきた。
俺たちの高校演劇デビューとなった学祭公演。このとき、俺は奏先輩と共に大道具、幹彦は克己先輩と共に音響で仕事をしていた。このときも幹彦には本当にお世話になり、あいつの人の良さを改めて実感した。ある時、俺は誤ってスピーカーからつながるコードを踏み、はずみにコードはスピーカーから抜けてしまった。そのことが克己先輩の逆鱗に触れて、俺は激怒された。事前に注意されていた事で、克己先輩が怒るのも当然かもしれない。俺はひたすらに反省し、頭を下げ続けた。その時も幹彦は音響の仕事を慣れない手付きでしながらずっと側にいてくれた。その優しさが本当にあたたかく、ありがたかった。そして、公演後にもらった拍手が、俺を演劇に惚れ直させた。そういえば、幹彦の「ぱぁふぇくと」のポーズを見たのが最初だ。学祭公演が終わってしばらくして、いつものように帰ろうとすると、突然幹彦がそのポーズをしてきたのだ。
「国之、お互い学祭公演お疲れさま!! 」
彼はそう言って、1度歩き去りかけ、
「ぱぁふぇくと!! 」
と、突然上半身だけをこちらにねじって満面の笑みでサムズアップしてきたのだ。その動きの滑稽さに俺は思わず笑ってしまったが、この時の幹彦の労いの気持ちは心に染み通った。この頃から、俺は幹彦からの信頼を肌で感じるようになり、幹彦のためなら何でもできるとさえ思えるようになっていた。
毎日学校や学校近くのホールで8時、9時まで練習した支部大会前にも幹彦は俺とともにいてくれた。練習のことは受身だったこともあって辛い記憶しかない。しかし、ホール練習の後に二人で買って飲んだ一つ70円のココアの甘みは心に残っている。今思えばこの時から何かあいつは変だった。前のように目を輝かせることは無くなったし、どことなく俺を避けるようになった。
そして、前代未聞続きだったクリスマス公演。この時は奏先輩が台本を書き、去山高校演劇部史上初の生徒創作脚本を実現させた。この時は公演初日の1週間前に奏先輩がインフルエンザで離脱、その期間は助演の俺と一美でなんとか最後まで劇を作りきり、上演にこぎつけた。あの時の苦労と興奮は今でも忘れられない。しかし、そんな俺の高揚とは裏腹に、この頃の幹彦は今まで以上に暗く沈んでいった。部活で会っても心ここに在らずという感じだった。あれほど部活を楽しんでいた幹彦の変貌に驚いたのは俺だけでは無かったはずだ。そして、クリスマス公演本番の日を最後にあいつは部活に来なくなり、LINEなどの連絡もついていない。しかも悪いことに俺はあいつの家も住所も知らないため、尋ねる術もなかった。
回想から覚め、ペンを置き、改めて思う。俺にはあいつと作り上げたものがあり、経験があり、何より思い出がある。あいつにこのままでいてほしくない。あいつがいることで、俺は救われ、毎日は彩られた。部内にもあいつがいて助けられた人はたくさんいたはずだ。あいつの真面目さと素直さ、セリフ覚えの速さは部の宝だった……。このまま忘れ去られて欲しくない。思いは口にしなければ伝わらない……いつなら伝えられるだろうか。
俺は何気なく開いたスマホのウェブページで見つけた。「送別会の挨拶で言ってはいけないこととは」これだ。スマホの画面が一層眩しく感じた。絶対に幹彦は最後の挨拶に来る。例え本人にその意志がなくても、清水先生がただでは済ませないはずだ。そのときにちゃんと伝えよう。だから、その時までは、先輩との約束を果たそう。目標が見えれば希望も見える。この溜まった思いは、せめてその時まで取っておいて、幹彦に全力でぶつけてやろう。いつになるのかはわからないけれど。
ひとまずは新歓を完成させよう。きっとここからもかつてない修羅場が待っている。寂しがる暇も無いくらい忙しくなるはずだ。俺は覚悟を決めてふと空を見上げた。相変わらず分厚い雲はかかっていたが、それを切り裂くかのように北極星の明かりが届いていた。ようやく見出された一つの希望を胸に、俺は床についた。
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